自分を見たければ鏡を見ていればいい 鏡でないものを鏡と勘違いしてしまったのか 本物の自分を正視できないから偽りの自分を映す鏡を見ているのか なんであれ、お前が見ているそれは鏡ではない
何だかヤバイ出会い系紹介サイトみたいなタイトルになってしまったが、 フィクションにおいて「セックス・フレンド」という設定が如何に優れているかという話 セックス・フレンドをモチーフにした作品はどれも本当におそろしい輝きを持っている そもそも「セフレを欲しがるに至る動機」なんてものが大体まともなものじゃ
セックスフレンドの美学
心中日記でない方の記事は基本的に予約投稿でずっと先のぶんまで投稿している とにかく「『俺だけはわかっている』感を出しているが実は社会に適合できていないだけのやさぐれた大学生」 みたいな話が無限に頭に沸いてくるのでブログのネタに困らないのだが、 困らなすぎてFC2の予約投稿の上限を超えてしまいそうでそ
無題
ソーシャルゲームと今までのゲームはそもそも目的からして違うと思う ソーシャルゲームについて、「金で勝利を買うゲーム」という意見があったりした また別の所では、「いや違う、それはモバゲー時代で既に終わっていて 今は『成長させるもの』というコンテンツを買う形になっている」という意見もあった しかし、僕が
続ソーシャルゲーム
ソーシャルゲームが嫌いだ、と言ったとしよう するとソシャゲが好きな人は当然「勝手に嫌ってろ、楽しんでる人たちの邪魔をするな」となるだろう しかし「ソシャゲを楽しむ」という行為自体が、ゲーム市場にある影響を与えている ソーシャルゲームはいわば「Win-Win」なのだ 開発側は低コストで作れて手軽にリリ
物申し
インターネットの個人サイトの寿命は本当に短い ある個人サイト群を100件ブクマしたとすれば、おおよそ2年もすれば半数以上は消え、 5年もすれば9割以上は消えているだろう 更新停止ならまだいい、本人の意志や鯖側の都合などにより404になっていると本当に辛い 僕も昔大好きだったサイトがいくつも墓場へと追
インターネットの命
Twitterとかいうカスツールをふっ飛ばしてブログをやれ SNS依存症の真の恐ろしさはネット中毒とかじゃなくて「承認中毒」にある 周りにちやほやされて甘えてるとかじゃない、むしろその逆で、 『「誰かに承認される」という形でしか自分を愛せなくなる』という恐ろしい呪いに罹ってしまい 一生そのために苦し
sns依存症
枯れてゆく才能、それは極めて自然なこと 問題は自らの才が枯れたとき、「自分がどうするか」だ 生きていく限りは絶対にいずれ才が枯れる時は来る それを認めず、「枯れた」と言われても無視して必死に歩き続けるか、 それとも、枯れた才と心中するか あるいは、才が枯れる前に自分が死ぬか 自分がまだ「枯れてない」
神の御業
「進化」なんて概念は存在しない、 すべては「変化」にすぎず、それに勝手にそれぞれが意味を与えているだけ という話は何度かしたと思う 10歳から15歳になることを成長と考える人がいても、 70歳から75歳になる事を成長と捉える人は少ないだろう それとは関係あるようでないようであるのかもしれないけど、僕
成長と嘘
これは冗談じゃないんだけど、ネット中毒な人ほど今すぐにパソコンとスマホを 窓から投げ捨てた方がいいと思う それができないならせめて「タイムロックコンテナ」の類を買って、1年くらいにセットしてブチ込むといい 優秀なものでは電池を抜いてもロックが解除されないという、梃子でも開かない物がある 1年後には開
インターネットをやめろ
最近のアニメであ^~って感じで癒やされている人、僕は1ミリも癒やされないどころか不快になるので とかく不思議だったが、90年代の子供向けアニメを見ていると僕はもうこれありえないくらい癒されるので、 たぶん感性が違うだけで役回りは同じなのだろう 人間の差異ってすげぇなと思う ちなみに今は夢のクレヨン王
癒し
自殺、自殺、ああ自殺、地獄かここは 最近あまりに居た堪れない理由での自殺案件が多すぎる 世の中が不条理で溢れているのは知っているが、 「救えるはずの不条理」すら野放しにする現代社会はメチャ許せんよなァ~~!? 仕方ない不条理っていうのは、高校時代色恋にも手を出さず必死に勉強して名門大学に合格した人が
クソが
いいねェ~~。久しぶりにいいねぇ。虚無病は正直微妙だったがこれは本当によかった。 久々に歌詞にキレがあった。「次の一歩で滑落してそこで死んでもいいと思える一歩こそ、 ただ、ただ、それこそが命にふさわしい」なるほど、そのとおり。
希望なんていとも容易く
よく「他人に迷惑をかけないなら人の自由だろ」というのを見るが、 僕はこの文章一字一字すべてに対して否定をぶつけたくなる もうこの題材は何度話したかわからないが、再び書き留めておくと、 生きている限りは「他人に一切の迷惑がかからない行為などありえない」 という事を認識していないように思える ありとあら
おこがましさ
このテーマは以前書いたかもしれない 確認してない 僕はずっと疑問を持っていた 「作者」の括り方がおかしいなぁと 例えば絵を題材にあげると、大体インターネットとかで絵を描く人は「絵師」という呼び名で纏められる 問題なのは「絵師」という言葉の響きとかそんな話じゃなく、その括り方があまりに大雑把すぎるとい
表現者と商人
例のゲームが面白すぎてずっとフィクションのあるべき姿について考えている ここまで一つのゲームで考えさせられたのは久しぶりだ 本当によいゲームだった 「フィクションをどんな風に楽しんでも人の勝手」という考え方は、 フィクションの中で本当に生きている命たちにとっては堪ったものではないのかもしれない そこ
フィクションの命
最近のアニメは「頭を空っぽにして見られる」「社会での苦しみや痛みを忘れられる」存在としての役割しか持っていないような気がする そもそもフィクションという存在が現実逃避に繋がるのは仕方ないことかも知れないが、それにしてもそれのみが目的になっている 可愛い女の子が日常を過ごす、なんの意味もなく。それを見
アニメは疲弊した大人の精神安定剤に成り下がった
ぼんやりと思っていたことをブログの方でまとめようと思う 1章で最原たちは「赤松が犯人である」という結論に辿り着いてしまった。 これは1章時点でどうやっても回避できなかった結末なのだろうか? 1章での情報量で最原たちが黒幕に辿り着く方法はないか考えていたら、ある事に気づいた。 捜査中の最原の口ぶりから