表現者と商人
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僕はずっと疑問を持っていた 「作者」の括り方がおかしいなぁと
例えば絵を題材にあげると、大体インターネットとかで絵を描く人は「絵師」という呼び名で纏められる
問題なのは「絵師」という言葉の響きとかそんな話じゃなく、その括り方があまりに大雑把すぎるということ
ひとくちに絵を描く人といっても、「どういうつもり」で描いているかによって大きく変わってくる
趣味程度で描いている人、プロを目指して描いている人、あるいはすでにプロになっている人、
若しくは本気で絵に対して生涯を捧げると固く誓った人、あるいは金稼ぎのつもりでしか描いていない人
僕は別にどれが善くてどれが悪いとか言いたいわけではない
個人的にはいわゆる「同人ゴロ」とか呼ばれる人々も、作品を作ってそれを消費者に与えているのだから
例え金稼ぎのことしか考えていなくともそれはそれで一つの形としていいんじゃないかと思う
(もっとも、意識問題とは別に二次創作同人はそもそも犯罪を黙認されている形なのでそれは少々問題だとは思うが)
問題なのは、これら多種多様な目的で絵を描いている人々を「一括りにしている」点
Twitterなどで時たま発言力のある人の「絵師は◯◯されると嬉しいんです!!」みたいなツイートが
何万RTもされていたりするが、それを見るたびにうーむと思う
しつこいようだが、目的が違えば何をされると嬉しいかも違ってくる
ある絵師にとっては至高の喜びでもある絵師にとっては限りなく冒涜に近い行為かもしれない
こういう状況の時、だいたいマジョリティの意見のみが採用されて少数派は人格に問題があるという形で
追いやられるのだが、まぁそれは別にどんな分野に関しても同じなので仕方ないか
ともかく括り方がおかしいのだ せめてあとふたつに分けるべきである
それは「表現者」と「商人」
もっとも、分けると言っても99%の人は商人に属するので、絵師とは別の名称を考えて
それを表現者を表す代わりにするという方がいいのかも知れない
僕の中で表現者と商人は明確に区別されている
ふたつを見極めるポイントは本当にいくつも在るのだが、もっともわかりやすいのは
「表現者である前にひとりの人間」なのか、「ひとりの人間である前に表現者」なのかを問うこと
前者は商人で後者のみが表現者だ
「表現者」というと何だか壮大なイメージを持たれるかもしれないが、あくまで名称分けとして読んでいるので
辞書とかの本来の意味とはかけ離れた意味を僕は与えているかもしれない
ここでいう表現者とは、「自分の利益よりも、作品の質を高める事を重視する」、
もっというと「この世の何事よりも自らの作品の質を高める事を優先する」人のこと
そんな人間が存在するのかと言われそうだが、
僕は2人ほどは見つけているのでとりあえず、存在するといえば存在する
「なぜわかる、心でも覗いたのか」と言われそうだが、この場合別に本心がどうであると問題はないのだ
他人の心を読むことができない以上、僕にも心からそんなことを思っている人間がいるかはわからない
しかし傍から見る分に「表現者」としてのボロが出ていなければ、それで充分だと僕は思う
さっき言った2人は、僕はもう本当に尊敬していて端から端まで知っているが、ボロは出ていない
傍から見る分に「一人の人間である前に表現者であり、作品を質のために他のすべてを犠牲にできる人間」
であれば、それは表現者と呼ぶにふさわしいと思う
商人とは、承認を求める人々のことである(神ダジャレ)
承認の形は人によって違うが、共通するのは他人からの反応をもらうという点
褒められること、お金をもらうこと、色々あるだろう
承認欲求は人間としてきわめて自然な欲求で、むしろこれがない人間は人間と呼ぶに値しないだろう
彼らは基本的には自分が描きたいものを描いているが、人間とはかくももろいもので
はじめは「好きなものを描いて、たまたま見つけた人が『これいいね』って言ってくれればいいなぁ」
くらいのつもりで描き続けるのだが、段々と「どういう絵を描けばより人気が貰えるのか」が
わかってきて、段々と「承認をもらえるジャンルこそが私の描きたいものだ」という風に変わってゆく
一見すると何かが「悪くなっている」ように見えるかも知れないが、本人の心中としては
「好きなもの(描きたいもの)」の対象が移り変わっただけで自分の好きなものを描いているつもりなので
何も不幸せなことはなく、まわりと交流しながら楽しく絵を描けているのだ
何一つ問題はない おそらく「俺も絵師になりたいな^~」みたいな人たちが憧れるのはこっち側のはず
断言するが、表現者よりも商人の方が極めて健全で自然で人間らしいのだ
むしろ、表現者と呼ばれる人々も「願わくばこちら側に来たかった」だろう
先程99%の人は商人といったが、それは当然なことである
「表現者」に属する人間は、言ってしまえば社会に不適合を起こし追いやられた人間が、
人間になれなくなった成れの果てなのだ 決して憧れるようなものじゃない
間違いなく幸福な人生は送れない 僕が出会ってきた表現者は皆自己肯定感が異常に低く、
誰よりも素晴らしい作品を作れるのにお金を取るでもなくただただ陰鬱とするのみだった
商人側の人間から見ればあまりに不合理で理解できないだろう
表現者は技術力はプロに勝るとも劣らない人々ばかりだ
彼らが商人スタイルに回ればきっと誰よりも人気を博しお金を稼げ、一般的な「幸福」を
手に入れられるのにも関わらず、彼らは人目を避けるようにただ黙々と作品を作る
しかしそれには理由がある 彼らが超越者である訳ではなく、彼らにとってそれが「幸福」でないからだ
彼らはそもそも「周りと交流する」能力を持たない
原因は不明だが、ごくごく少数の人間は、ふつうの人が涎を垂らして欲しがる
「承認」を毒と認識してしまうのだ(これは僕が知っている表現者の発言の要約)
そもそも彼らは「商人側」に立つための切符を持たないのだ
承認は彼らにとって耐え難き苦痛となる しかし彼らは表現することを失っては生きていけない
だから呪いにかけられたような思いで彼らは作品を作り続けるのだ
先程「ひとりの人間である前に表現者」と言ったが、そもそも彼らの殆どは「人間」を廃業してしまっている
彼らの原動力は負のエネルギーだ
そこから作り出される作品は、少なくとも僕が思う「よい作品」の波長に恐ろしいほどあっていた
繰り返すが、別にどちらが善くてどちらが悪いという話ではない
ただ、このふたつは同じ芸術分野に属して同じような作品を作っていても、根本が全く違うのだ
それをひとまとめにするから両者に軋轢が起こるのではないかと思う
絵に限らず、芸術界隈はけっこう内ゲバが激しい その理由は思想の齟齬じゃないかな~とおもう
いま思ったが、「表現者」「商人」で分けるより「表現者側」「商人側」で分けた方がいいかもしれない
要するにどちらに憧れるかという話
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