12月7日
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気づき。
本を読んでいる時間は孤独ではない。SNSを見ている時間は孤独だ。これはどういうことだろう。
本を読んでいると他者(作者)とつながっている感じがする。かなり。本って、読者に語りかけてくれるんですよ。読者にのみ語りかけてるんです。これは談話室での対面の対話なんです。いま、いまこの本をこの場所で読んでいるのはおれだけだ。「この本」はここにひとつしかなくて、他のどの本でもなくて、それを読んでいるのは「このおれ」だけなんだ。ここ!ここ捕まえて!間違いないね!?(https://youtu.be/wqzHwpSfqQ8?si=nYwgmgu3u1o-9JzR&t=1689)
でもSNSは違う。見ている(lurking)間は誰も「このおれ」に話しかけていない。誰も「このおれ」を見てはいない。それなのに人が大量にいる。そりゃ孤独ですわな。絶対に本を読んだほうがいい。
孤独ではないっていうのは、やはり「二人」が最低にして最高の単位だと思うんですよね。人って二人以上と同時に話せないじゃないですか。たとえば三人で話してるときって、絶対マルチタスクなのよ。A、B、Cで話してたら、AとBが話す、BとCが話す、AとCが話す……みたいなのを断続的にスイッチングしてるだけじゃないですか。聖徳太子じゃないんだから同時に別々のことをコール&レスポンスなんて出来ないでしょ。人数が増えるほどにコミュニケーションの密度が下がる気がするんですよね。100人で会話することを考えてみよ。もう「対話」じゃないよね、こうなると。結婚だって基本的には二人が単位だしね。友達だってそうよ。Aさんが友達10人います、っていうのは、AとB、AとC、AとD……みたいなペアが10個あるってことじゃないですか。人間関係ってペアでしか築かれないんですよ。ペアが核なんです。あとは紐が絡まってるだけ。
相手を見る、相手に見られる、っていうのは大事だと思う、やはり。相手を見ないことが多いよね、今の時代。見ているようで見ていない、人を見ながら人以外の何かを見ている。それはラベルであったり市場価値であったり権力であったりする。もっと裸の「ヒト」とやり取りしないといけない。難しいことだ。もう、とんと誰も裸にならなくなってしまったから。
虹裏スレを見ているとよく思うんだけど、レス数がかさむほどに全員が攻撃的になっていくんだよな。あれはなんなんだろう。2chではそんな傾向はなかった気がするんだけど。
これ、直感だけじゃなくてちゃんとデータとして取りたいな。虹裏の200レス以上あるスレをランダムに抽出して、攻撃的なワードの出現頻度とレス番号の相関性を見ればいけるか。スクレイピングが大変そうだけど。
つまり、レス数が1増えると、場の悪意が+0.1くらいされて、それが嵩むことでvisibleな差になる……みたいなイメージなんですが。いったい何が起きているのか。進歩史観ならぬ悪意のスノーボール。
話を変えよう。
谷川俊太郎が『鏡の国のアリス』の巻末詩を絶賛していてめちゃ嬉しかった。自分の好きなヒトが自分の好きな詩を好きだと嬉しい。
あと彼のエッセイも古いものだとだいぶ人間味があってそれもよい。
私がこの大問題をどう解決しているかということについては、ここではあまり触れたくない。ちかごろやっと快方に向かいつつある持病の鬱病がぶり返すのは、あまり愉快とは言えぬからだ。
1987-3-31
この辺とかもうほぼ漏れだろ。漏れというか、ありふれたブログだろ。80年代の日記となら「漏れか谷川俊太郎か」クイズできると思う。
なんでもいいのだが、たとえば桃太郎について少し知りたいと思ったとしよう、あなたは多分別桃太郎のお話の筋は知っている、だが、それが果たして正確かどうか自信がない。そこでまず児童文学の分野にあたってみると、あるわあるわ筋も語り口も桃太郎の性格も少しずつ違う絵本やお話の本が何十冊と出てくる、そこで一体この話の原型はどんなものだったのだろうと、燃やさなくてもいい好奇心を燃やしたが最後、あなたが国文学、民族学、文化人類学などなどの迷路に迷い込むことは避けられない。本は本を引き寄せ、本は本を生み、参考文献のリストはネズミ算式に増え続け、我々はと言えば袋の中のネズミさながら、右往左往することになる。 我々は本に包囲されているどころか、本のしかけた罠にがっちりと手足をくわえこまれているのだ。
1987-3-31
かなり漏れみを感じる。漏れって谷川俊太郎なんかなぁ?( . ̫⋅ )
しかしこの頃俊ちゃん50歳くらいでしょう。それでも令和時代と比べると相当若々しいというか青臭い文章が多いから、やはり耄碌してみないとわからないことがあるんでしょうね。年老いるのが楽しみになってきました。

なお……
「なにかの言葉でなにかを意味するといったようなことはありえない。新しい言葉の適用ひとつひとつが暗闇のなかの跳躍であり、どのような現在の意図も、これから選択するかもしれないいかなる行為とでも調和するように解釈することができるのである」
『訂正可能性の哲学』、いまのところ『やさしいがつづかない』の1億倍面白い。くぅ~、これだよこれ!って感じ。こうなると『一般意志2.0』も気になる。センスあるタイトルですよね。呪い5.0みたいで。プリズム理論と親和性がなさそうだけど。
『スマホ時代の哲学』という本も気になってんだけど、書評にチ。の人がいた。
即時(アジャイル)で常時(ユビキタス)なスマホ時代に、
超遅効で来る、孤独の消化不良(グルメ)
それでも、尚、「哲学」は美味い!!
高解像度モニターの中に満腹感を探すより
本書の導きとともに、知恵の樹の実の素晴らしき胃もたれにありつけ!
―― 魚豊氏(『チ。―地球の運動について―』作者)
なにいってだこいつ
『ダッシュツゲエム』っていう、終始ふざけ倒した作品があるんですけど、その中でも群を抜いて「それはアカンのでは…?」ってなった問題のシーンがこちら> しゅぴーげるアイ@フリゲ好き (@FHGlove) - 2025/12/07 11:00
https://x.com/FHGlove/status/1997486286828187974
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