足跡ひとつも残さないで
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今年入ったあたりから、露骨に「記録」をしなくなった。多分長期的に見ると損をするのだけど、一度しなくなると後はあっという間に怠けていく。
記録をしないというのは、そのとき思ったこと、感じたこと、考えたことを何処にも書き留めずにそのまま霧散させてしまうということ。
私はそれが必ずしも悪いこととは思っていない。特にネガティブな考えとかは書き出している間もつらいし、書き出した後も一般にためになるようなものではない。
ただ、そういう行いを控え始めてから精神状態が安定しはじめたかといえばそんな事もない。むしろ悪化している気もする。自分では分からないが……。
思えばFC2ブログの時代はネガティブなことばかり書いていた気がする。それが傍から見て面白いコンテンツになり得ることは理解している。刺激になるからだ。別に穿った言い方をしたいわけではなく、”刺激”というのは”思考への刺激”という意味だ。どんな形であれ、shock value的な意見が飛び込んで来れば読んでいる側の頭が働く。脳内で論駁したり、あるいはその思考を拡張したり、同意不同意はともかくとして自分の中で消化し発展させられるからだ。それがある種の知的好奇心を満たすというメカニズム。
しかし、”それ”を原動力に日記を書くことは出来ない。し、そうしていた時期があるわけでもない。今は単にcan’t get off my arseという状態なのだ。個人的な問題の話ばかりになってしまうし。
寂しい……私は寂しいんでしょうね。人がいない、という意味ではない。かつていたはずの人がゆっくりと乖離していく、という斥力がとても怖い。疎遠、それはともすれば絶縁よりも恐ろしいもの。音もなく関係性が途絶えている。そんな例なんていくらでもあるんだろうけど、それでも……怖いなぁ……(ハンジ)
物語でいえば連載途中での失踪ですからね。うp主失踪シリーズだよ。どんな終わりも迎えないという恐怖というのか重圧というのか。この感覚わかりますか?
あんなに仲が良かった人々が、「なんとなくしばらく会ってない」というただそれだけの理由で、その「なんとなく」が時間経過でどんどん膨張されていって、気づけば分厚い壁になっている。多分お互い嫌いになったわけでも興味をなくしたわけでもなんでもないのに、その壁に阻まれて二度と再び話せない。それってやっぱり……寂しい。
そんな世界で、ああゴミ袋を買わなきゃとか、卵が切れていたから補充しなきゃとか、来週までにあのお金を払わなきゃ、あの書類をどうにかしなきゃみたいな事柄に追われて生きていくのがなんだか不意にどうしようもなく孤独に感じてしまって、だから、寂しい。
ただ一言、あの人やあの人に元気?と訊いたり訊かれたりさえ出来たなら。そんな些細な祈りがどうしようもなく遠く感じるのです。
たぶん、こんな孤独感は珍しくない。大なり小なり誰もが感じたことがあるものだ。だからこそいっそう救いがないようにも思う。想いが同じでも、言葉にして伝えない限りは共有されない。愛が秘匿されたまま萎れていく。不可視の愛を感じるためにはそれなりの心の余裕が要るのだ。支えがなければ……
誰かに必要とされたい、という願いが絶えることはない。永遠に必要とされることなどありえないから。私が思うに、人が誰かに与えられる効用……「思い出」とも言うべきか。その量には上限がある。年収900万を超えるとそれ以上幸福度が上がらなくなるように、思い出が頭打ちになってそれ以上のあらゆる交流はほぼ或いは全く効用を与えない地点だ。べつにこれは悪いことではない。「あなたは私に十分なものを与えてくれた」という意味なのだから。器がいつかは満ちるように、これは自然なことなのだ。「もう……喰ったさ。腹ぁいっぱいだ」と同義。
さて、そこまで達してしまえば、人は成長していくものであるから、どんなに愛しかった存在であっても、あえて言うならば「忘れて」新しい生活へ順応していく。ここでいう忘れる、というのは、記憶から綺麗さっぱり消える、という意味ではなく、人生におけるその人への重み付けが軽くなっていくということだ。思い出という甘く優しくぼやけた世界へ溶け込んでいき、個としての影響を失っていく。これも、別に悪いことではない。自然なことだ。
しかし人は常に誰かに頼られ求められることを望む。ひとりを満たしてしまったら、また別の誰かを、自分がなにかしらの価値を与えてあげられる誰かを探す旅に出なければならない。それを繰り返して生きていく。食糧を求めて彷徨い歩く動物のように、飽食の文明を築いた我々にとっても別の形での「飢え」のシステムがあるのだ。
私はきっと今までたくさんの人を満たしてきたと思う。でも、私は……私はまだ満たされていない。もっと人と関わり合いたい。もっと知りたい。そう思うのに、自分の効用が頭打ちになっていることも分かるから、それが出来ずに……。よくないな。私の人との関わりは今まで平等じゃなかった。一方的に与え続けるか、一方的に与えられるかしかなかった気がする。これはハイレベルの話ではなくむしろ表面上の話です。目に見えるインタラクションの話。こっちが一方的に話すか、向こうに一方的に話してもらう、という一方通行のコミュニケーションが多すぎた。
もっとこう……上下関係のないコミュニケーションがしたい。アーティストとしての私でもなく、ファンとしての私でもなく、なんでもない私となんでもないあなたとして。そういう話し方ができる人がいない。それが正直とても寂しいです。この頃。
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