良い曲発掘につき
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あまりにもいい。この曲を誰も聴いてないのは世界の損失だ。
ピカイアというアニメのOPらしい。10年前……!?世界はなにをやってたんだ!!
いや、マジで、マジで良くないですか。今年聴いた曲一位まであるんだが。
こんなもんほぼTogetherだろ。クオリア的な意味で。
先日偶然見つけたこれも超絶良い。これNEUTRINOなんですね。SynthVより自然な気がするな。
ずっとこれくらいのアマチュアさの音楽だけ聴いていたい。心が洗われるようだ。
OPが良すぎるというのと、声優が無駄に豪華(メインキャラにミズハスがいる等)ということからピカイア!を思わず視聴開始するとかいう暴挙に出たんだけど、とんでもないっすこのアニメ。神アニメやん。
まず、OPに限らず全ての劇伴が良い。ありえないくらい良い。開始1秒の曲がまずめちゃくちゃ良い。
そして初期設定が子供向けアニメとは思えないくらい重い。地球が生物が居住不能なほど荒廃していて、メインキャラが宇宙コロニーで過ごしている。そして38代目の人類である子どもたちが人類の未来をかけて戦う。ほぼ三体だろこんなん。
監督の名前に見覚えがあると思ったら前のアニポケの総監督だった。そりゃおもろいわけや。
ただピカイアちゃんの出番は思ったよりないです。もっとミズハス聞かせてや。
調べたんだけど、このアニメサウンドトラックが出ていないっぽい。そんなこと許されていいのか? 出してくれ、必要だろ。絶対に。
- 早くアンパンマンinフミちゃん超になりたい。本当に。
- ほんと、勘違いする人多いんですけど、あの手の絵師が迷惑がられるのは連投しているからであって、画力は関係ないんですよ。画力が村田雄介でも一つのタグに6000枚連投してたら嫌われるよ。
- 「連投はダメだ!これを肯定する理由があってたまるか!!」ってこと。
- ありえないアルバム
- 佐伯俊男というアーティストが描いたらしい
- 「パリで原画展が開催された時、終了後に全作品が盗難に遭った。」←草
- ていうかもう亡くなってるし……


- なるほど。なるほどね。興味あるね。
- ジャパニーズヘンリーダーガー!?!?
- わしもこういうイラスト描く人になろうかなあ。案外向いてる気もするよ。
- Xにおける(政治であったり、ゴシップであったりの)口が悪すぎる罵詈雑言系アカウント、YouTubeをやっているケースがあり、覗いてみると9割型が関西人だということに気付いた。アクセントがゴリゴリの関西弁なので。
- 関西人は口が悪くなるのだろうか? まぁ……そこまで直感に反さない結論ではあるが。
一部のおもんないくせに口の悪い人のせいで関西人を嫌いにならないでねー。
https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/1080522/
- これがもうすでに口が悪くて笑ってしまった。
- ちなみに私も東西で分けるなら関西人寄りではある。
- 愛知以外の東海、九州、北海道あたりは人間が出来た人が多い印象。その他はデータ不足で良くわからない。東京はそんなに悪くないと思う。
- キビボの地方論みたいになってきた。まあでも地方論はあると思いますよ。居住地だけで言葉にこれだけ影響があらわれるんだから、サピア・ウォーフ的に言えばそりゃ性格も変わるでしょう。
坂口恭平さんという人がいて、「いのっちの電話」というのをやっているんです。自分の携帯電話の番号を公開して、死にたい人であれば誰でもかけられるようにしています。『苦しい時は電話して』(講談社現代新書)という自分の本にも、自分の携帯電話の番号を載せている。電話がかかってきたら話して、電話に出られなかったときはかけ直している。そうやって2万人くらいの死にたい人の話を聞いてきた坂口さんは、人の苦労というのはすべて他人との関わり合いのなかにあるとしています。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00426/042800007/
そうなんでしょうね。だから「一切人と関わらない」という戦術は割とアリな気がしてきているんだよな。中途半端が一番毒なので。
感謝的生活さえ守れていれば人と関わる必要はあまりない気がしている。というか、養老先生も言ってますけど、現代社会で人と全く関わらないなんて土台不可能なので、「全く関わらないように全力で努力する」スタイルまでやってようやっと自然5:人間5くらいの丁度いいバランスになるんじゃないかしら。
倫理の核心をつかんだので報告いたします。
無惨によって炭治郎が鬼化されたとき、冨岡義勇が即座に隊士全員に「炭治郎が鬼にされた!人を殺す前に炭治郎を殺せ!!」と命じるシーンがある。
この行動は倫理的に正当化可能でしょうか? イエス。これがまさに危害原則や公共の福祉の核。
ではこの行動は倫理的にのぞましいものだったでしょうか? ノーなんですね。
ここよ!! justifiedとdesirableは相反し得るのです!!
炭治郎を殺すのはやむを得ない措置であって、望ましいものではないのです。「倫理的に正当化可能」というのは多くの場合この状態を指す。
国家による暴力の独占も同様。死刑制度くらいになると賛否両論あるでしょうが、「国家の暴力独占」に倫理的な異議を唱える人は今更居ないだろう。だがこれも望ましいわけではない。やむを得ないだけなのだ。
これが倫理の出発点であってほしい。忍者と極道が訴え続けているのはこういうことではないでしょうか。
私はねぇ、いつも言ってるんですが、別に悪人を肯定しろなんて思ってないんですよ、誰にも。否定するという結果は同じですよ。でも倫理って過程が大事なんです。そしてその過程は言葉に漏れ出るんです。「不寛容への不寛容」は、断じてdesirableではない。そしてあらゆる倫理の立場にとっても、justifiedすることが必要であってもdesirableにまで転換する必要は絶対ないんです。常にこれを覚えておいてください、誰を何を否定する時も。



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