夢
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どこかで書いたような気もするが、最近夢が面白い。内容はまったく覚えないんだけど、とにかく面白いという読後感だけがある。
今日のは光景だけは少し覚えている。一番最後のシーン。滅びゆく人類と、子供たちの救いを求める悲鳴を背に巨大な鳥の巣から飛び立っていく鳥。雄大でうつくしくて、本当にいい映画のエンドシーンみたいな感じだった。どうやったら言葉で描写できるんでしょうねあの感覚は。本当にすごかった。『この世界の片隅に』をはじめて観た時みたいな衝撃。おそろしくて美しい。一番好きな感覚。雄大というかgrandeurというか。
ポーター・ロビンソンが「Happy sad」を一番好きな感覚と言っていたが、ジャンルとしてはそれに近い。おそろしくて美しい。全部ひっくるめて「切ない」と表現すべきかもしれない。英語には切ないという表現がないからHappy sadと形容したのかもね。なるほど切ないはHappy sadか。
『この世界の片隅に』、思い返すと本当に凄まじい映画だったな。なんていうか、私はすごすぎるものに出くわすともう二度と見返したくなくなるんですけど、いや、なくなるというか「できなくなる」といった方が正しくて、意志によって観ないのではなくアビリティとして不能になる。この世界の片隅にとか、『U+』とか、聲の形とか。神聖化されてしまう。
感情を動かすという意味ではあれを超える映画はないと思う。一回しか観てないはずなのにどのシーンも焼き付いて離れない。克明に思い出せる。
冗談抜きであれを観れただけで生まれてきた価値があったと云えるくらいによかった。最近あれくらいに良い映画を観れてない。出会えていない。ほどほどに良い映画ならいくらでもあるんだけど、マキマのいうような「人生を変えてくれる」ものがない。
人生は有限だ……。ロックマンエグゼなんてやってる場合じゃないのかも知れない。聲の形のような、サノバウィッチの寧々ルートのような、ブルーアーカイブ最終編のような、圧倒的感動をもう一度ください。
……割と味わってるな。
作品 | 時期 |
---|---|
聲の形 | 22年5月 |
サノバウィッチ | 22年12月 |
ブルーアーカイブ | 23年7月 |
『超感動』のリストです。直近一年で3作。
うーん……映画と本のヒットがない。聲の形は漫画版だし。映画も本もそこそこ見てるはずなんだが。『生きてさえいれば』はなかなかよかったけど、ここに名を連ねるかといえばどう贔屓目に見てもそんな次元ではない。
誰か以下の超感動リストをベースに作品をおすすめして欲しい。
聲の形、サノバウィッチ、ブルーアーカイブ、ゆびさきミルクティー、金色のガッシュ!!、新☆魔導物語1、オナニーマスター黒沢、レ・ミゼラブル、この世界の片隅に
ドイツ人の性格が終わってるというのを最近知った。知ったというか、知った上で感じたというか。諸事情でドイツ人と関わる機会があり。
色々調べるとハイコンテクストとローコンテクストという国民性の違いが主な原因で、おそらくオランダあたりも似たような感じなんだろうと思う。常識が日本とあまりにもあべこべで、日米よりも乖離が酷いみたい。日本の価値観でいえばドイツ人は攻撃的で失礼だし、ドイツ人の価値観からいえば日本人は嫌味で陰湿な野郎という具合。
欧米的価値観もアジア的価値観もだいぶ見てきたけど、自分はどうもどっちにもチューニングが合わない感じがある。それぞれ好きな部分と嫌いな部分が明瞭にある。
たとえば欧米的価値観でいえば、感情表現の自由性やボディランゲージの支配度は素晴らしい。特にハグが日常的に行われているのは如何なる国も見習うべきことだと思う。一方で「自由」への異常な執着とそれによって生ずる権利意識の歪みが酷い。LGBTQとか子供の権利とかには超絶過保護になるのに、著作権みたいな権利意識に対してはめちゃくちゃルーズだし(知っての通り;他人のイラストの無断転載とか漫画の違法アップロードとか普通に当たり前のようにされまくるし、また皆が思ってる以上に当たり前のように読まれまくっている)、米国では自由信仰のあまり銃規制が出来ないから銃乱射事件が起きまくる。それでいてAIアートにはどこよりも反発的なのは少し謎だが。アーティストの「自由」を侵害するからだろうか。それでいえば著作権にもタイトであっていいはずなんだが。
アジア的価値観でいえば、「滅びの美」とか「侘び寂び」の文化は美しいと思う。また言語がだいたいハイコンテクストなので、小説みたいな文章媒体の芸術品がローコンテクスト組よりよく映えるし色々な仕掛けを施しやすい。一方でハイコンテクストに頼り切ったコミュニケーションによって醸成される陰湿さはとても肌に合わない。言いたいことも言えないこんな世の中じゃPOISON。「恥の文化」なんて概念自体が恥だと思う。そして先輩・後輩みたいな縦の関係へのこだわり。この辺はだいたい全部孔子が悪い。
アジア圏は儒教の影響が基本的に強く、これは欧米で信仰される「自由」の対極のような倫理フレームワークなのでこんな軋轢が生まれてるんですね。でも自由信仰も儒教も正直どっちも行き過ぎて鬱陶しい。
私がまったく明るくないのが中東的価値観なので、ここに救いがないか少しく知りたいな。ステレオタイプなイメージだと完全クルアーンベースな感じがするんだけど。人当たりでいえば大体良いイメージ。
ひとつはっきりしているのは、私は「人権」というフレームワークにほとうんざりし始めているということ。人権が不要な発明だったとは全く思わないが、現代においてはこれひとつで万人を救えるような万能薬では最早なくなってきている。欧米的価値観では、人権は倫理ピラミッドの頂点に位置し、これを阻害するあらゆるものはフィクション・ノンフィクション問わず即時排撃される。故に彼等からはおそらく『家畜人ヤプー』やHr555連作のような作品は生まれ得ない。また中国のようにプライバシーや権利問題を考えないが故に実現できる高度な科学技術も手に入れられない。
「生存権」のようなフレームワークは依然大切と思うが、人権というコンテナが包括する権利たちのうちには最早邪魔なものがいくつかあるように思える。とりわけプライバシー保護。私個人として云えばこんなものは今すぐ全て捨て去られても困らない。完全監視社会によって受けられる恩恵の方が圧倒的に多いと思う。「ものごとの不透明化」こそ本質的に人権というものを阻害する害悪ではないか?
[ローカルノート切り抜き]
人権という概念を何度も考察してきた。今の世に生きていけば、社会は「人権」という「形なき大切ななにか」を守ることに必死になっていることがわかる。同時にそのせいで時折身動きが取れなくなっていることも。
ざっくらばんにいえば、USやEU、西洋諸国、英語圏の世界は相対的に「人権先進国」とみなされることが多い。ポリコレの発祥地であり、人権が定義される場所。
日本はアジアの中では比較的西洋価値観寄りなので中間くらいとしておこう。では他のアジアは?
とりわけロシアや中国といった、民主主義を拒絶した国家体制は「人権後進国」とみなされることが多い。
このあたりまでは大体の人の間で大凡合意が取れるだろう。
問題は、人権先進国であることが必ずしもすべての局面において是であるのかということ。
私は英語を数年学び、西洋的価値観は随分と学ぶことができた。そして今、中国語を学び、西洋的価値観と相反する彼らの思想もまた学びつつある。
結論から云うと、今の私は中国的な「人権を(比較的)軽視した思想」の方が自身に適合しているような気がしている。
というより、西洋的価値観が過保護すぎるという方が正しい。
社会主義国は概して「命はもっと粗末に扱うべきなのだ」を地で行く。国民のプライバシーを守らない代わりに、監視社会によって犯罪の取りこぼしを抑制できる。強力なセンサーシップによって発言の自由が奪われる代わりに、(中国思想に立脚する上で)有害な情報を遮断できる。国民をある種洗脳状態におくことで、「知らぬが仏」の幸福度を確保できる。人間の価値・信用を数値化することで、国民の経済・健康・精神状態を把握しやすくなる。
つまり人間をオブジェクトとして捉えたフレームワーク。それが今中国が敷いている体制だ。これを人権軽視と呼ぶのなら、それは単なる劣化状態ではなく、人権ベースの社会ではない「全く別のシステム」を構築したと呼んだほうが正しい。
ニュースサイトによれば中東では「自由や人権といった普遍的な価値観よりも「実利」で動く側面が強まっている」らしく、別の世界が見られるかもね。
う~ん。本記事の花鳥風月度7%。低いっすね。20%は欲しいな。
空を見上げてる時が一番幸せだと思う。冗談抜きで。こんな綺麗なものがいつでも無料で見られるんだから、自然って太っ腹ですよね。空見上げるのにサブスク月500円とか言われたらやっていけないわ。
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