外在批評しか出来ない人々
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フェミニストにしても政治オタクにしても、彼らの論評が嫌われるのは、徹底して外在批評しか出来ないその性癖にある。漫画だろうが小説だろうが、この描写はフェミニズム的にはこうで、あの描写は現在の国際情勢を踏まえるとこう解釈できて、ここは歴史背景を見ればこうで……というように、作品が謳ってもいなければおそらく求めても居ないであろう「解釈」を、自分の語りたい分野にむりやり引き込んで広げだすのだ。
ようするに彼らはすべてをmoral of the storyに押し込むのである。「道徳的絶対主義では、プライベートはそれ自体が政治になるため、妥協はありえず、逃げ道もない」という金言があるが、これに近い。彼らの目を通すとあらゆるものが政治的イデオロギーに転化される。
簡潔にいえば、彼らはきわめて侵襲的なのだ。そして彼らはおそらくそれを否定することはなく、また否定する必要はないと思っているだろう。侵襲的であるべきだとさえ思っているかも知れない。なぜなら彼らにとっては今の狂った世界を彼らの信念を以て正すことが正しい行いなのだから……。
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