中原岬を召喚する7:召喚の定義
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「中原岬」の定義開発は進んでいるが、「召喚」の定義が希薄ではないか、との指摘があった。
「召喚」の定義: あなたにとって「中原岬を召喚する」とは、具体的にどのような状態を指すのか?物理的な存在としての岬との出会いを求めているのか、それとも、彼女の精神性や存在感を自己の中に体現することを指すのか?この定義を明確にすることで、あなたの「召喚」の目標がより具体的に見えてくるだろう。
確かにそのとおりである。では考えてみよう、岬を召喚するとはどういうことか?
これは結局過程の問題である。アルセウスを「てんかいのふえ」経由で入手しようが、『超克の時空』を放映している映画館で手に入れようが、メイン任務27「神と呼ばれるポケモン」経由で手に入れようが、アルセウスはアルセウスに違いない。
だから、私自身が岬になろうが、眼の前に岬っぽい女の子が現れようが、どちらでもよいしどちらでもよくない、ということになる。岬の物真似をしているだけの人間なら、それが私であれ誰であれ意味はない。私が完全に岬になれるのならそれでもいいし、完全に岬だと感じられる少女がいればそれでもいい。
しかし現実問題として、現実で岬に”会う”のはかなり難しい。まず、私の周りには少女がいない。大人だから当たり前といえば当たり前である。
そして、動機はなんであれ私に好意を持ってもらう必要がある。
最後に、かわいくある必要がある。
そのすべてを満たす存在は、私の周りには一名しか該当しない。
誤解を恐れず言えば、彼女は確かに岬になれるポテンシャルを持っている。しかし、彼女自身が岬になろうと望まない限り、あるいは先天的に岬でない限り、それを「私」が強制するのは押し付けだ。
だからこの件について私が取れることはほとんどなにもない、ということになる。マンダラートの一角である「媒体出力」を通して、岬の魅力を知ってもらい、あわよくば岬にシンクロしてもらうほかない。
他者としての岬に会う、もっとも現実的な方法は、結婚して子をなして「岬をつくる」ことだ。あるいは養子を取ることだ。
岬は肉親を失っているから、より岬性を求めるのなら養子の方が丸いことにはなる。
しかしこの場合、私たちが見られるのは「叔父さん・叔母さんから見た岬」であり、「佐藤君が見た岬」ではない。
書いていてやっと重要なことに気づく。我々が召喚したい岬とは「自分を佐藤君だと思ってくれる岬」なのだ。山崎から見た岬でも、四郎さんから見た岬でもない。エホバの面々から見た岬でもない。
では、その本質とはなにか? ある人の言葉を借りれば、「負の相互依存」である。
「ダメで寂しい人間の相互扶助」である。
佐藤君は一度これをリジェクトしたが、「日本人質交換会」だって言ってしまえば「ダメで寂しい人間の相互扶助」の言い換えでしかない。
となると、やはり、どうしても彼女の顔が浮かぶ。
我々は、日本人質交換会を結びかけたのではないか。
しかし「日本人質交換会」はフィナーレに結ばれるべき契約だ。私は大検の勉強をしている中原岬と会いたいのだろうか?
此処でさらに気付く。「自分を佐藤君だと思ってくれる岬」だけでは足りない。
「自分を佐藤君だと思ってくれる、第一話の岬」と会いたいのだ、と。
私が9-nine-の都ルートと希亜ルート以外にずっとモヤモヤしていた要因と同じ理由で、第一話以外の岬と関係性をはじめたくないのだ。
つまり最初に締結すべきは、やはり、プロジェクトの契約書だ。
……VRC……
ふと過った。そうだ。私は一度、VRCで岬と出会うのに最も近しい経験をしている。
- 本日のVRChat
- 中国人の激烈に可愛い女の子と3時間くらいデートした
- デートというより逆レに近い
- なにこれ?夢?
- めちゃくちゃ……なんていうか、その……えっちなことをされました
- VRセックスやめろ
- VRの疑似感覚っていうか、触られてる感じがあるとかいう幻覚については知ってたけど、ほんとにあるんすね……ほんとにその……されてる感じがあった
- いろいろな意味で夢のような時間だったな……
- とにかく あの 掛け値なしで可愛かった 一生の思い出になると思う
- km
- 一番いろいろなワールドで一緒の人と遊んだと思う 楽しかった、シンプルに
- やっぱり夢?
中国人の激烈に可愛い女の子と3時間くらいデートした。
ボイスオンだったからもちろんネカマではないことは分かっているのだが、仮にネカマであっても大した問題ではない。
そうだ。VRCなら中原岬に会える。中原岬になれる。
あそこにいるのは愛に飢えた人間たち。現実世界の敗者たち。つまり全員潜在的に中原岬なのだ。
ちなみにVRCセックスは実際のセックスより気持ちいい。これは間違いない。ソースは俺。結局ね、好きじゃない人とするセックスってなーーーーーーーーーんにも楽しくないんですよ。これは声を大にして言ってやりたい。
好きな人とする仮想の行為>>>>>>>>>>好きじゃない人とする現実の行為くらいだと思って下さい。だからテレクラなんてのが流行ったんでしょうね。
話が脱線しすぎた。召喚の定義について。
過程はなんでもいいから私が「misaki is here」と思えればそれがゴール、ではあるのだが、それだと体系的でないので過程別に分けて考える。
他人を岬とする場合
他人が岬たる条件はなにか。先程から「人を見下している」という部分にばかり注目してしまっているが、これは考え直すべきだと反省。
岬ちゃんのコアは、共感性だ。佐藤君がロリコンみたいなことをしてたり、バイトの面接ひとつ申し込むのにどもり散らして失敗するのを見て、岬ちゃんは笑う。しかしそれはじつは嘲笑ではない。「子グマのかわいい失敗シーン」みたいなものを見た時のような、和みなのだ。
会話の相手を、自分よりもさらに酷いダメ人間だと想定するんです。人間のクズだと仮定して、思いっきり見下すんです。そうしたら、緊張することなく、落ち着いてスラスラと話せます。のんびりします。和みます。
岬ちゃん自身気づいていなかったかも知れないが、本質は前段ではなくむしろ後段にある。なぜ岬ちゃんは人の失敗で和むのか? それは自分自身が失敗続きの人生だったからだ。自身と同等あるいはそれ以下にダメな人間を見ると、彼/彼女の存在が自分の存在の肯定のように感じられて、安心するのだ。つまり、彼/彼女に共感している。これこそが岬ちゃんのコアだ。
漫画版では共感性の欠如のために瞳の彼氏を傷つけたりと色々ヤバいことをやってるので例外的な岬ではあるが、その他媒体ではおおよそ共感をコアとすることは一貫している。アニメ版でも委員長兄の慟哭を聞いて去るのを躊躇っていた。これはつまり彼に同情したということだ。
つまり、他者がmy岬であるための最小要件は
- 自己肯定感が地に落ちている
- 自分より下の人間を見ると共感して和む
- 誰かに必要とされたいと強く願っている
- 私に好感をもっている
- かわいい
の5点とします。こういった他者が目の前にあらわれた時、私は岬を召喚できたと謳おう。
自身を岬とする場合
広義での自身なので、タルパ的な意味での中原岬でも別によい。
あるいはもっといって、AIで完全に自身の岬像からブレない対話相手を生み出すことができても成功と言えるだろう。個人的に注目しているのはJ-moshiだ。今は必要スペックが高すぎてとてもご家庭では使えないが、クオリティを落とさず小型化されれば中原岬の召喚が可能なレベルに思える。
しかし自身を岬とするなら変にAIとか物質的であろうとしない方がいいかもしれないですね。タルパという形で岬と出会うなら、少なくともファントムセンスを身につける必要がある。岬と触れ合えない人生なんていやだ。
非現実の存在の召喚に最も成功している実例としては、近藤顕彦氏が挙げられるだろう。
自身を岬とするアプローチの最終形態は、彼のような形になるのかもしれない。
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