ヴィーガン考終
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ビーガンが唯一理想を実現する術があるとすれば、きわめて穏便で牛歩なやり方で人口を増やすことだ。
思想が過激でない「ゆるビーガン」ほど実はもっともビーガニズムの理想の体現者に近い、という結論になった。
「動物の命と人間の命は同じ価値」というのは、少なくとも私が思う限り現状では「知的な議論ではない動機」がない人間に対してあまりに訴求力がない。アフリカの子供一人を助けることは、あなたの家族や大切な誰かを一人助けることに等しいのだという主張は、功利主義的・倫理的に正しくても人を動かせない。人を自発的に動かせないなら、「それ」を呑み込ませるには何らかの圧力による恐怖政治の体制を取るしかないが、それは義務論的な倫理に進化し得ないので自己矛盾を起こす。
過激なビーガンとは、この問題に対してある程度まで「イエス」と言ってしまった人だ。「動物の命と人間の命は同じ価値」という前提を飲ませるには知的な議論のみでは不可能ということが暴かれた。では「それ」をどう呑み込ませるか、それには強制力をもたせるしかない。というのが彼らの結論である。
しかし、実はもうひとつの結論もある。「時間」という最強の兵器を利用するのだ。実のところ、ビーガンの世界人口は1998年から2018年にかけて毎年1%近く増えている。もちろん今後もそうなるかはわからないが、少なくとも今のところは少しずつ増えているのである。テロルはもっとも手っ取り早く理想を実現しうる唯一の手段だが、きわめて長期的にものを見てよいのならテロルよりも「時間」が強い。
一日一食だけ動物製の食事をやめてみるのも
そうしないよりいいし
月曜だけやめてみるのだってそうしないよりもちろんいい
倫理とは強制力をもたせる思想だ。これはいわば諸刃の剣だ。スマホは倫理によって普及したのではないし、サブカルチャーは正義のために広まったのではない。テロルを使わないと決めた場合、ビーガニズムが今抱えている厳格な「倫理性」を下げることこそが彼らが望む厳格な倫理を実現する唯一の方法なのだ。
君にとって最も崇高な願いと最も醜悪な望みは、同じ意味を持っている。
言峰綺礼
奇しくも「シン・ヴィーガン」とだいたい同じ結論になった。ビーガニズムは目的はともかくとして現状「アプローチの仕方」がひたすら稚拙なのだ。彼らは思想を純化させたり倫理観に訴えかけるよりも広報の仕方を根本から考え直した方が良い。もっとも集合知としては正しい戦略をとっているのだとは思うが、だからこそ「穏便なビーガン」が内輪のノイジーマイノリティをぴしゃりと黙らせてプリズムを破壊する必要がある。
今すぐに「動物の命と人間の命は同じ価値」という倫理を呑み込ませることは絶対に出来ない。水滴が岩を穿つように途方もない時間をかけてパラダイムを変革していくしかない。焦ってトンカチを持ち出す輩が現れると、社会はダイラタンシーのようにかえって硬くなり、目標から逆に遠ざかるのだ。一番の近道は遠回りである。少なからず分かっているとは思うが、自分のライフスパンの間に叶えられるとは思わず23世紀くらいまでを目標にしてコツコツやってはいかがだろうか。「より良い生き方」とはそういうことだろう。
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