アイドルは必要なのか
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アイドルという仕事は、誰かの心の支えにはなるかもしれないけど、いなくても物理的には困らない。
僕はそれでもアイドルが必要だと思うけれど、今はそのことは忘れよう。
—マネージャー, シャインポスト
これ、24-10-11_153619で書いたことの発展型というかアンチテーゼですね。
人間関係モチベがゼロになってきた。ひとりでも別に困らない。大病にかかってわかった。少なくとも半径10mにいない人間は、結局私に何もできないということを。コロナで寝込んでいた時、職場の上司が代わりに買い物に行ってきてやろうと言ってゼリー飲料やら飲み物やらを家まで持ってきてくれた。「職場の上司」なんて、希薄きわまりない、なんなら敵対といってもいいような関係性の人間ですら、インターネット上の十年来の親友よりはるかに私の助けになった。それがただひとつの正解だ。
ここにいれば、同じことをしてくれたでしょう。助けになってくれたでしょう。でも実際にはここにいない。そっちが真実であり、現実なのだ。そうはならなかったんだよ、ロック。画面の向こうでは手も握れないしナイフも突き立てられない。無害無得。
24-10-11_153619
心の支え、か……。アイドルってなんなんでしょうね。広義の意味で。
ただ、やっぱり私は物理的な支援と精神的な支援には非対称性がある気がするんだよなぁ。物理的な支援は精神的な支援を必然的に内包しているけど、精神的な支援は物理的な支援を内包しないよね。
なぜアイドルが必要なのか。シャインポストをちゃんとやればその答えを知れるのだろうか。私がアイマスで学んだ限りでは、アイドルたる少年少女が前を向くために必要ということになったが。つまり世界にアイドルが必要なのではなく、アイドルにアイドルが必要だということで……。
音楽もACGも詩も、当然なくとも物理的には困らない。それでも人は音楽やACGや詩を求める。一番簡単な答えはそれが純粋快楽であり、自慰と同じと結論づけてしまうことだが……。そうではないという事にするとどうしてもオカルトめいてくるからなぁ。魂とか自分らしさとか。
農家の知り合いが多い都合上、一次産業が一番偉い、というような価値観がわたしの周りだと結構支配的で、わたしもいつの間にやら同意見になっていったのだけど。少なくとも目に見える世間的なappreciationは逆転していて、どっちかが間違っているとするならそれは世間的なappreciationだと思うけどなぁ。
極端な話、やっぱり農業・漁業・林業が明日いきなりすべて途絶えたら、全人類が死ぬほど困るでしょうけど、コンテンツ産業(第三次産業)が明日全滅してもちょいつまんなくなるだけで致命的に困りはしないもんな。
だからってなくなっていいってわけではないというのはまぁわかるんだけど、比較として考えればやはり重要度は低いでしょう。役割論理でSが6番目に重要なステータスなのと同じ感じだ。三次産業は3番目に大事な産業なんです。
しかし次の次元が上がるほどに「個」の影響力が強まるんでしょうね。有名な音楽家と有名な農家ならアイドル性はぜんぜん違うから。こうやって突き詰めていくとやはりアイドル文化そのものが人間性搾取を基盤にしている気がしてならず、あるべきかなくなるべきかで言えば綺麗さっぱりなくなった世界のほうが平和な気がしてしまう。
◯◯が面白い、というのは◯◯の存在を肯定する唯一の理由になってはいけないはずなのに(e.g.イジメ)、コンテンツ産業はほとんどこのルールで動いているから搾取が見逃されがちになりすぎる。ハイパーリアル……。シミュラークル……。スペクタクル……。やはり我々は破滅を引き寄せているのか。
アイドル文化をアテンション・エコノミーを発露と置き換えてしまえば相当醜く映る。そうまでしてアイドルが必要なのは、カリスマ性そのものが誘蛾灯のような魔力があるのかもしれません。ヒトラーに縋ってしまったホモサピエンスが100年足らずで根本的に進化するだろうか。
やっぱりそれでもアイドルは要らないと思うのだけど、アイドルは生まれてしまうんでしょうね。どうあっても。K2に登って死んでいく人間が絶えないように。
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