蝕まれてる場合じゃねぇ
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内田温氏にドハマリしています。
彼の真に恐ろしいのは発想力でも構想力でもなくて、「頭で思い描いたものを実像化させる技術力」が常軌を逸して高い事。おそらく彼は、「想像したものを実現させる能力者」といっても過言ではないくらい内なるクオリアを現世に投映する精度が高い。
並の人間ならビビって踏み込めないラインにも、いともたやすく踏み込んで見せる。自分の能力的に普通は自信がなくなる仕掛けとか、作成にかかるであろう労力とか、そういうのを一切妥協していない。「挑戦」に対する恐れが一切ない。それは自分なら脳の映像を切り取って完全再現できると知っているから、としか思えない。天才とかいう次元を越えている。人間にこれができるとは思わなかった、全創作者の夢に到達している。映像と音楽はまるでそれがはじめからひとつとして生まれてきたかのように合致し、すべての音像は技術的にはやや稚拙ながらも完成されきっている。
たとえば我々はアカペラで歌ったり鼻歌で歌ったり脳内で音を鳴らしてみたりする時、メロディだけを歌っていたとしても脳が自動で伴奏を補完してくれる。我々DTMerなんかはそれを頑張って想像に留めず具現化しようとあれこれやるわけだが、彼の場合それがすべて一片も抜け落ちず自動で完成品として出力されてきているとしか思えない。「この曲・この映像にこれ以上手の加えようはないだろう」というラインですべての曲が構成されているのは狂気じみています。なんというか、「パラレルワールドの80年代に飛んで、その世界でのヒット曲を現世に持ってきている」みたいな感じ。(?)うん、これが一番しっくりくる。異次元、とにかく。「相対的な完成度」ではなく「絶対的な完成度」が高いっていうのは、まず常人じゃできねぇ!(CV:ニャンちゅう)
絶対的な完成度……「他の曲と比較しての完成度」ではなく「その曲自身と比較した完成度」。つまり、「この曲はここをこうすればもっとよくなり得たんじゃないか」という可能性がいくつ残っているかということ。絶対的な完成度が高ければ高いほど、修正の余地はなくなる。彼の曲の場合、音質などは除いて編曲・作詞作曲・MVの面で見るならスキは一つもない。ひとつの音も邪魔にはならず、逆にひとつでも音が欠ければ絶対的完成度は下がるであろう。僕は今の所、そんな曲にはこの人の以外出会ったことがない。
追記:ずっと「彼」呼ばわりしてきたが、女性らしいっす。ペルシア語ならトラブらなかったのに……(?)
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