私的ミーム辞典
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【私的ミームとは】
世間一般にはミームとして伝搬していないが、自分の中・或いは限りなく狭いグループ内においてはミームとして成立している言葉。
・クオリア
別記事参照。英語で言う所の「vibe」が現存する言葉の中では最も近い。
・人それぞれ砲
会話が面倒になった時、議論が平行線になった時などに使う。答えの出ない問題で水掛け論をし合う事を避けられる。
・為し
「成し」の対義語であるというのが最も正確な定義。文壇から降りて内なる神との邂逅をはかる。
・ショーペンハウアーメソッド
ショーペンハウアーの「the Freedom of the Will」の一節で説明された理論。人間に自由意志など存在しないという理論の拠り所の一つとなっている。
「……ここに一人の男を想定してみよう。この男は道端に立ち止まってこんな独り言を言っている。
『さて晩の6時だ。一日の仕事は終わった。これから散歩に出ることもできるし、クラブへまわることもできる。塔に登って日没を眺めることだってできる。芝居を見に行くことも、あちこちの友達を訪ね歩くこともできる。いや、それどころか市の門から広い世界へ走り出て、二度と戻ってこないことだってできるのだ。どれもみな私の一存で決まる。どうするかはまったく私の自由だ。だが、いまはそのどれも実行せずに、まったく同じ自由意志によって帰宅し、妻のもとに戻るとしよう。』
これはちょうど水がこんなことを言っているのと少しも変わらない。
『私は大波を打たせることもできる(そうとも、嵐の海ではね)、こんこんと流れふもとのほうへ下っていくこともできる(そうとも、河床にいればね)、泡立つ迸流となって落下することもできる(そうとも、滝になればね)、一条の水柱となって自由に空中に舞い上がることもできる(そうとも、噴水ならね)、そして最後に、煮詰まって消えてしまうことだってできるのだ(そうとも、百度の熱にかかればね!)、けれどもいまはそのどれにもならず、自由意志によって鏡のような池の姿で静かに澄み渡っているとしよう。』」
・自由意志
人間は己の行動を自身の理性によって選択しているとする概念であり、このブログでは「非存在である」という立場をとっている。上記のショーペンハウアーメソッドもその裏付けのひとつだが、他にもさまざまな論文で科学者たちが「あれ?自由意志なくね?」と言い出してるので、皆さんも速く自由意志への幻想を捨てろ。(ただし自由意志は刑法学の前提となっている「他行為可能性」と結びついているため、自由意志が否定される=刑法が意味を成さなくなる ので恐らく完全証明される前にもみ消される)
・フェイク
「リアル」の対義語。言語化不能な感覚だが、しいて言えば「誠実ではないもの」。あらゆるオブジェクトに対して適応できる考え方で、おそらくpythonなどでデータ分析を行えば明確に数値として可視化できる。
・呪い
主に芸術に対して使う。創作に携わる者にとっての底なし沼であり、一度浸かるとまず一生抜けられない苦痛の螺旋。あらゆる足掻きは自らの身を深く沈めるだけで、基本的に知名度や名声が高いほどむしろ呪いは強まる。最近の研究で「宗教」による脱出が可能であると証明された。
・宗教
「信仰対象となるもの」。かなり広義の意味で使用可能で、この世に存在するありとあらゆるものは宗教となり得る。社会も労働も結婚も芸術もアニメもすべて人によっては宗教である。盲信的であればあるほど健康的で、理論的であろうとすると信仰を持つことはできない。
・ノスタルジー
子供の歌 下手なピアノ やる気のない教科書の音読 学校を休んだ日の遅めの朝食 よそのうちのお風呂にいるときの惚けた空気 修学旅行の帰りのバスでひとしきりはしゃぎ終わった後の静寂とかすかに聞こえる寝息 給食の安っぽい砂糖だらけのあげパン
・睡眠の重要性
http://resurrection237.blog.fc2.com/blog-entry-173.html
・善性
実は日本語の辞書には載っていない言葉。中国語で「人々の生来の善良さ」「人々の善良な本性」を指す。
実態としては「絶対的な慈愛」のことを表す。ガンジーがピストルで撃たれたとき、イスラム教で「あなたを赦す」を表す動作をしてこの世を去っていったような、宮沢賢治の童話に頻出する自己犠牲のような、ミリエル司教がヴァルジャンを赦した時のような、神聖なる精神。邪悪に対して慈悲で以て迎え、右頬を打たれたら左の頬を差し出し、己を罵り呪う者の幸福を祈る、そういう志のこと。同時にこの世の暴力や不条理に対して唯一抗える、呪いの車輪を破壊しうるただ一つの術である。
・チャンピオンマント理論
ポケスペのミクリの発言より。
チャンピオンマントという、チャンピオンになった者だけが持つことを許されるマントを羽織って颯爽とマグマ団・アクア団の前に飛び出したミクリは、「何者だ!」と訊かれ「このマントを見て悟る者なら……名乗る必要性はない。このマントを見て悟らぬ者なら……名乗るに値しない!」と叫んだ。
これより転じて、「Aを見て悟る者には説明する必要性はなく、Aを見て悟らぬ者は説明するに値しない」という状況のときに使う。
・バスケットゴール理論
カイジの遠藤の発言より。
「バスケットボールのゴールは適当な高さにあるからみんなシュートの練習をするんだぜ あれが百メートル上空にあってみろ 誰もボールを投げようともしねえ」
転じて、遠すぎる目標に対しては人間はそもそもやる気を出しようがないということを説明したいときに使う。
例:若者よ、社会が不満ならちゃんと選挙に行って自分の手で国を変える努力をしようぜ!←高齢者と若者の人口比が違いすぎて例え全員行ったとしてもお話にならないような状況では、100m上空のバスケットゴールをめがけてボールを投げろと言っているようなものだ
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