蓉-リプライズ
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どうにか、なる。
起きて半畳寝て一畳、缶詰の如き部屋は暗し。眼が醒めても全く気が晴れない。
昔はどんなに黒い夜のあとでも、ひとたび眠れば憂いを浄化されたような気になったものだが、
今の自分には如何なる朝日も燐光も悪魔のように思えた。
それ故私は今日も、あの墨汁を心に塗りつけられたような、後ろ暗い苛立たしい気持ちで寝床を立つはめになった。
本当に辟易している。今の私を苛むのは途方もない怒りばかりだ。一体全体なぜこんな事になってしまったのだろう。
私は私なりに、諸有に罹る呪いをかき消そうと努力したつもりだった。自己満足を承知で、救うべき人を救おうとしたつもりだった。その結果が此れだというのか。
確かに、やり方はやや恥知らずだったかも知れない。しかし、騒がしい生徒を黙らせるには、さらなる大声で制止を呼びかけるのが最も手っ取り早いのも事実だった。その自己矛盾は赦されて然るべきだった。そうでなければ、誰が人を救えるというのだろう。
ふと目をやると、長机の端で、偽物の青い苹果が揺れている。私は苹果が好きだった。とりわけ青い苹果は、見るだけで水晶体の裏に淡い光が射すような気持ちになるので、ある日心の安寧のために偽物の青苹果を購入したのだ。
だが今となっては、その苹果さえも精神の平静には何の役にも立たなかった。それどころか、苹果が時折長机から落ちるたび、私の遠くない未来を見せられているようでぞっとしたのだった。
「どこにいたって、人は繋がっているのよ」本当にそのとおりだ。そしてそれこそが最大の呪いでもある。
知ってしまったからこんなにつらいのだ。何もかも忘れてしまえ。
ガンジーは無抵抗主義だったわけではない。むしろ、「暴力によらない抵抗」こそがこの世で最も強力かつ荘厳かつ神聖な抵抗であると彼は知っていたのだ。暴力に訴えかけない抵抗とは、世界の理そのものに対する反抗である。彼らの敵は、政治家だとか、米兵だとか、差別主義者なんかじゃあない。私たちを地獄に陥れた世界の骨組みそのものに対する抗辯であり、過去と未来すべての不幸に対する弔いだ。それは暴力によるプロテストでは成し得ない。暴力で変えた世界は永くは続かない。必ず復讐者が現れる。そうして報復を無限に繰り返し、不幸の鎖が繋がっていく。呪いのように、何千年にも、何万代にも渡って続いていくのだ。それを断ち切るには暴力を否定するしかない。非暴力運動とはその場限りの革命などではなく、今まで世界が背負ってきた、そしてこれから背負っていく、全ての負債に対しての中絶である。
名誉を盗むことはできる だが誇りを盗むことはできない
乞食は善人だ。慈善家は悪人だ。乞食は苦境にある人間にしか成れぬが、慈善家は苦境にある人間には成れぬ。
死人はときどき、僕とそっくり同じ事を言う。「芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である。」なんかは、僕は此れを読む前から全く同じ事を言っていた。
ある日、学業を終えて小学校から家に帰る途中、私はお母さんが運転する車に乗りながらぼんやり窓の外を眺めていました。
その日はずいぶんな夕焼け空で、まるで琥珀を空に映し出したようなきれいな色をしていました。
私が、のろのろ流れる青紫の雲なんかを指でなぞりながら、ぼうっと見惚れていますと、車は十字路をゆっくり曲がって堤防に差し掛かりました。私がなんとなしに堤防の方に目をやると、海が見えました。もちろん海はいつも見えるんですが、今日はちょっと様子がちがっていました。
いつもは鯨の背のように黒々としていた海が、灼けるような夕陽に照らされて、真珠のようにちらちらと光っていたのです。そこに海鳥たちが集まって貝殻を突いたりしていました。私は思わず息を呑みました。お母さんは、フロントガラスに射し込む光が眩しいらしく舌打ちなんかをしていましたが、私はこの景色が、現実のものとは思えないほどきれいに見えたのです。
その日から、私は海が好きになりました。
「死ね」と一言言ったらどうだい。まどろっこしい奴だな。君が思っているよりも、偽の言葉というのは簡単に分かるもんだぜ。
「直接刺す覚悟のない奴が……」そんなことも言ってやりたかった。だけどそれじゃ駄目なんだ。私は憎しみに価いする。
自殺を否定するならば、過去に自殺を選択したすべての死者をも否定することになる。それだけは御免だ。
好きな子がいました。ほんの少し平均より太った、おかっぱの女の子です。客観的に見て、顔つきは特別可愛いという事はなかったように思いますが、その声色は好みでした。今でいうと花澤香菜のような、とても柔らかで澄んだ声をしていたのです。顔よりも声に惚れがちな私は、いつからか彼女に恋をしていました。
その頃から私はひどい人見知りでしたから、自分から彼女に話しかけるようなことは殆どありませんでした。ただ、やはり中学校なんてものは閉鎖空間ですから、出席番号が隣だったことも手伝ってか、成り行きで話をしたり一緒に何か作業をしたりといったことはままありました。
彼女はとても優しく、ある日、私がなんらかの事故で指を切った時なんかは、そっと絆創膏をわたしてくれたのです。また、人の悪口を絶対に言わない子でした。もちろん、私は彼女の行動の一部始終を監視していたわけではありませんが、少なくとも目の届く範囲では絶対に誰かを悪く言ったりけなしたりしなかったのです。それにも私は惹きつけられました。
あれは三年目だったでしょうか。私の学校は毎年同級生が変わるわけですが、運のいいことに彼女とは三年間ずっと同じ学級でいられました。そんな三年目のある日、家庭科かなにかの授業で調理実習がありました。班で協力して料理を作るのですが、ここでも私は彼女と同じ班に振り分けられました。
その時、ああ、どういう脈絡でこう云われたのかはもはや覚えていませんが、彼女が私に「あっ、Aくんは左利きだったよね」と言ったのです。なんてことはない一言ですが、私は此れに愕然としました。
繰り返しますが、私は彼女に積極的に話しかけるような事は全くと言っていいほどなかったのです。自分が左利きだという情報を伝えた覚えもありません。また、私はいっとう自己肯定感が低い男でしたから、とうぜん「彼女のような高尚な人間が、自分に興味など一ビタ足りとも持っているはずがない」と考えていました。
だのに彼女は、私のこんな些細な情報も覚えていて、それに気を遣ってくれたのです。確かなんらかの作業中、左利きだと都合が悪い場面で、助け舟を出すような感覚で言ってくれたと思います。
その瞬間、自分でもばかばかしいとは思いますが、私は彼女が女神か何かのように見えました。感動し、瞠目し、その記憶力に恐怖すらおぼえました。
彼女にとっては、べつに特別でもなんでもない一言だったのかも知れません。しかし、当時友達も少なく自己肯定感が低かった私にとって、あの一言は私のいままでの人生のあらゆる陰鬱を、暗い呪いを解かすナイフのようにして心の柔らかい部分に突き刺さったのです。
ふつう興味のない男の利き手など覚えているだろうか、もしかして彼女もまた自分に気があるのでは、という考えがほんの一瞬だけよぎりましたが、例えそうだとしても私が彼女に告白することは害悪以外の何者でもないように思えましたので、私はそのまま卒業まで恋を恋のまま連れて行ったのでした。
あれから随分年月が経ちました。あの子は今どこでどうしているでしょう。ふだん人の幸福など願うことはない私ですが、彼女の幸福だけは今でも時折祈っているのです。
けっきょく、性、性、性か。ばかばかしい。
拷問されているあいだじゅう、彼の頭はラズベリージャムの色と匂いと味とによって占められていたが、それは生きる理由を形成しなかった。
そりゃ、世間的には何処の誰とも知らんおばさんの作った飯より、マクドナルドのハンバーガーの方がずっとうまいさ。でも大事なことはそうじゃない、だろう?
露天風呂が最も楽園に近いんじゃないかな。光の話だよ。
天才、幸福の対極者。白痴、幸福の体現者。自然、幸福の預言者。
「生物がひとりでに死ぬ事はないんだから、誰かが死ぬってことは、そこには必ず殺人者がいるってことなんだよ。どんな死に方でもなんらかに殺されたんだ。人に殺されたか、病気に殺されたか、内臓に殺されたか、社会に殺されたか、思想に殺されたか……とにかく、ひとりでに死ぬことはない。まちがいなく。コインの裏と表みたいに、被害者がいるってことは同時に加害者が存在するってことなのさ。」
作家が最も多用する言葉を調べれば、何かが見えてくるかも知れない。谷川俊太郎は「言葉」が最も多く、米津玄師は「あなた」が最も多く、太宰治は「自分」が最も多い。そして我らが宮沢賢治は、「野原」だ!
また明日ね
明日じゃない 今日だよ
犬や木や落ち葉は、お金を求めたりはしない。お金を求めるのは人間である証明である。だから醜く感じるのは当然なのだ。
その題名はひょっとすると、流行がこういう状況になって、まさしくあなたが元凶になるというところまで見越してつけたのかい。
言葉を紡がない日は死んだような気がする。
ああ、忌々しい。鬱陶しい。さて、この男は何をこんなに焦慮しているのだろう?決まっている、停電だ。件の台風が近隣の電柱に強烈なパンチをお見舞いしたおかげで、我が家の文明がお釈迦になってしまったのだ。
最も忌々しいのは食糧がだめになることだったが、停電時間が十時間をまわったあたりから状況が変わってきた。空調が置物に、扇風機がユニークな墓に成り果てた今、暑くてとても眠れやしない。ただ暑くて眠れないということが此れほどまでに人を苛立たせるのだろうか。暗い室で眠気と殴り合いをしていると、やがてだんだん思考の雲行きが怪しくなってくる。なぜ俺だけがこんな目に合うのだろう。ひょっとするとこの室にはもう永遠に光が戻らないのではないかという焦りが生まれてくる。俺より後に停電した区域の方が先に復旧していくのだ。俺は今なんの罰を受けているのか。罰なら十分受けたはずだ、まだ足りないというのか。おお、神よ!あなたは俺が嫌いだろうと、数十年前からずっと思っていたよ。こっちが田舎でインフラの崩壊と格闘しているなかで、都会の人たちが「台風なんて雑魚だったな」と嘲笑っているのが聞こえる。くたばりやがれ。もしくは、電力会社に文句を浴びせる被災者を見て何やら不遜だ、失礼だ、人の苦労を分かっていない、などと、安全圏から宣う正義たちの姿。面白いじゃあないか。Life is so easy weh weh weh。そういう台詞は自らが安全圏にいるから吐けるのだ。この地獄を味わえば二度とそんな綺麗事は口にできまい。そんなことを考えながら世への恨みつらみを溜めていたが、数日後北海道でも大規模な停電が発生した。まさしく前述の通り、人間は他人事にはとことん冷酷になるもので「よくやった」などと思いながら傍観していると、案の定「北電さん大変だと思いますが頑張って!」などと抜かす輩がいた。さぁ彼はどんな安全圏からものを言っているのだろうと見てみると、なんと北海道在住の人じゃあないか。しかも30時間以上停電を食らっているらしい。そのような苦境にありながらそんな台詞を吐かれたんじゃあ、もう何も言えねえ。俺の負けだ。北風と太陽。
白痴になりたい。
気を病んでいない人間がひとりでもいるだろうか。
人間は、本質的に被虐趣味である。
家族に追放された者は、みんな同じ眼をしている。
きみは詩のなんなんだ。墓守か、審判者か、管理者か。
無機物に口があれば、もっと平和になったろうに。
手が荒れている。もう戻るまい。
物乞いが違法なら、なぜ命乞いは違法じゃないのか。
生きている ただそれだけで何らかの賭け事に参加させられている
じゃあお前はダブステップかJ-POPかの何方かしか一生聴けないとしても、迷わず前者を選べるんだな?
最も本質的な部分が最も隠れている。其処の八十三人だけが彼のほんとうの理解者だろう。
ゾンビは幽霊より厄介だ。幽霊は己が死んでしまった事を自覚しているが、ゾンビはまだ生きているつもりでいる。
「どうしたらけりをつけられますかね。」彼は出し抜けにこう呟いた。
或る夏の日、バイトの休憩時間に後輩と外で煙草を燻らせていた時の話だ。
僕は意味が分からなかったので、どういうことかと聞き返した。彼は独り言のつもりだったようで、少し驚いてからこう続けた。
「いえ、説明できるような話じゃないんです。ただ、僕らは呪われているって、以前にも増して強く思うようになっただけで。」
「呪われている?」
「そうです。もう、うんざりなんです。僕はただ、柴又駅の事も暗いトンネルも、すっかり忘れて生きていきたいだけなのに。」
ため息混じりに呟く彼の声は、普段の彼からは考えられないくらい低く、暗いものだった。悪魔というより、亡霊といった様子だ。
とうぜん僕はその時何一つ知らなかったので、なにやら過去の女のことでも引きずっているのかと見当し、
「よくわからないけど、誰かの怨念が錘になっているなら、忘れてしまえよ。きみの人生だろ。」というようなことを言った気がする。
それを聞いた後輩は、少し眼を見開いた後、含羞草のように項垂れた。眼が異様に充血していたのが印象的であった。
「それができれば、苦労はない。もう、何が正しいのか、わかりません。どうすればいいんです。いろんな手を尽くした。でも、どうにもならなかった。」
だんだんとその表情が般若の如くおぞましいものに変貌していった。そしてその声は、クレッシェンドした金管楽器のように、どんどんと力が篭っていった。
「もう、厭だ。とんだ呪いだ。僕は死にたい。死ぬ。そうとも、けっきょく、死ぬよりほかないんじゃないか。此処に居る限り、けりなんてつきっこないんだから。」
その後も彼は何か低い声で同じようなことをうわ言のように数度繰り返したのち、おしまいに熱したアスファルトの上にしゃがみ込んで、さめざめと泣き出してしまった。
僕はその時、率直に言って不気味だとしか思わなかった。ふだん、後輩はこんな奴じゃないのだ。接客もちゃんとこなすし、礼儀作法も整っていて、気のいい後輩だと思っていた。
しかし、この時から彼の事が屍鬼か何かのようにしか見えなくなり、自然に距離を置くようになった。数週間後、後輩はバイトを辞めていった。
その後、彼から連絡が来ることはなかったし、僕も彼に連絡をするようなことはしなかった。
彼の安否が不安でなかった訳ではないが、まあ、どうにかやっているだろう。なにより彼の人生だ、というふうに捉えていたのだ。
そしてそれは客観的に見て、間違いなく罪であった。どうにも、なるはずがないと知っていたのに。
数ヶ月後、彼の忠告はすべて罰として現実と成った。
知らぬ間に 「過去の人」に されていた
「何が食べたい?」「何でもいい」のように、人生の選択もいかないものか。
それがポジティブだろうがネガティブだろうが、自分のことを語っているなら自意識過剰だよ。
普通に殴るより、助走をつけて殴るほうが強い。もっというと、はじめ適度に優しくしておいてから裏切るように殴るのが最も強い。
仕込みの時間は長ければ長いほどよい。そういうわけで、いまから君を殴るよ。
無理して清く正しく死ぬくらいなら、馴れ合いや傷の舐め合いで生きていくほうがよっぽど良い。
あきらめろ。楽師には構ってちゃんしかいない。
たまに来る保健室は、どんな核シェルターよりも安全に見えた。
人間に、匿名掲示板のような匿名性を与えると、殆どの場合通常より凶暴になる。
人間に、ボトルメールのような匿名性を与えると、殆どの場合通常より温和になる。
妹の顔を見たことがない。あなたと同じだ。
借りた本をろくに読めないまま返しに行くような、あの感覚がずっと続いている
「親しき仲にも礼儀あり」なんて言葉を口に出さなきゃいけないような時点で、そいつと君との間柄は親しくない。
またあの感覚だ。正しく「呪い」の名に相応しい痛み。何かを知るたびに、そこらじゅうの土に地雷が埋め込まれる。
ただ沿線を散歩しているだけで、唐突に爆風を浴びせられる。どれだけ気をつけて歩いても、数が多すぎて避けきれない。
もううんざりだった。この呪いを解かす術は、死以外ないように思えた。いっそ灰をかぶって死んでしまいたかった。
相変わらず視界の端では、偽物の青い苹果が揺れている。知恵の実。罪。禁断。あらゆる罪悪を一手に引き受けた果物の、未熟なころの偽物の標本だ。
そろそろ察しがつくだろうが、私は気を病んでいた。精神の変調が限界に来た私は、何かに吸い寄せられるようにして、その偽物の苹果をがりりと噛ろうとしてみた。
前歯が触れる。安物の画用紙に歯を立てたような感触。意外にも、幽かほどの香りも無い。
そして、それ以上の要素を私に与えてくれることはなかった。トパアズいろの香気が立つことも、ぱつと意識を正常にしてくれることもなかった。
一体何をやっているんだろう。何も変わらない、何も起こらない。非道く悲しくなって、私は泣いた。
その時である。青苹果がふいに両手のひらからこぼれ落ち、ころころと狭い部屋を転がっていった。
なかば夢の中のような足取りでそれを追うと、青苹果は部屋に安置してある埃被りのアコースティックギタアの裏まで転げた後動きを止めた。
しゃがんで苹果を拾おうとすると、眼前にあるギタアが巨人のように大きく視えた。サウンドホールの洞が巨大な眼の如く私を睨み、すべてを見透かされているような気分になった。知っているぞ、知っているぞと囁かれる。
分かっている。云われなくとも。何をすべきなのか、何を成すべきなのか。成す?成すなんて御免だ。この言葉はもう大嫌いだ。あらゆる奮起の言葉は、最後には呪いとなり私に伸し掛かるのだから。
もう何もかも御免だ。叶うならば私を含む全ての野伏をこの銀河から消し去ってやりたい。泣き言ばかり。
世界ははじめからこういう奴で、私ははじめからこういう奴だった。どうにも、ならない。それでも、それでも、この信仰だけは捨てられないから、また縋り付くように筆を執る。せめて、自分の神さまに殉じて果てろ。
私はゆっくりとコンデンサーマイクを抱き起こすと、およそ数ヶ月ぶりに、祈るように、己のギターを手にとった。
終わらない だからだれかが口笛を
嫌でも吹かなきゃならないんだよ
中澤系
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