群衆
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ラジオを録ろうとして失敗するというのをここ一週間くらいずっと繰り返してる気がする。女声+一人二役という業に業を煮詰めたような地獄に挑戦しているためか。でもこれが最も効率的な気がしているんですよね。少なくともミロードたちに近づく手段としては。
アズリカ更新したいけど気力がない。トカレフだけはなんとか毎日触ってる。一周目専用の戦闘システムができた。
オランダ語学習が最近うまく行っている。やっぱ例文を書くというのが一番大事だな。
ガソリンがマジで切れる5km前くらいになっていて厳しい。明日即刻入れに行かな。
なかすしやさんの印象しかないけど最近やたらと耳にひっついて離れない音楽。かなり一意ではあるよね。此れに似た曲なんて知り得ないもの。
「あれほど生きてきたけど」って歌詞がかなりトリッキーだと個人的に思った。「あれほど」という指示語を選んだことが。自分の人生なのに客観の言い草なんだよな。それもかなり遠い客観。常にエゴから離した位置で歌っていることが独特の浮遊感に貢献している。
ひょっとすると俺はこの世で一番作曲が下手なんじゃないかと思うことがままある。何を驕っていたんだろう……。兎角意味がない、何事にも。読みかけの本の頁の上で踊る「水蜜桃」という言葉の響きに魅了されるくらいしか愉しみがない。誘蛾灯とか水蜜桃とか、そういうきれいな言葉をひそやかに集めています。
どうしてこんなにも意味がないのだろう。息をすることにも、信じてみることにも、知ることにも、足ることにも、何一つ意味がない。歴史も地球も世界もワクチンも意味がない。それでも人の優しさには意味がある。人の優しさ以外のすべては塵芥。ただ打算なのか本物なのかを識別できない。苦しい日々。
ここ一ヶ月くらいずっと薄ぼんやりと死を祈っている気がする。故人の言葉を借りるのならば「さらってほしいの」という気持ち。俺が好きなアーティストはみんなどこか攫ってもらいたがっている。GATHも「Steal me away」と歌っているし。ここではない何処かへ行きたいが、自分の足でゆく気力は残っていない。もう僕に、人生を変えるだけの力は残っていなかった――。
一番なりたくなかった大人像に着々と近づいていくのが厭でたまらない。君は信じるだろうか。たいていの子供たちと違い、私は大人になる日を決して迎えたくなかった。大人になりたいと思ったことは一度もない。いつも年若いままでいたかった。いまや私は成人し、年老いた脚の悪い男だ。いまいましくも。
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