才能なんてどこにも芽吹かぬ荒野
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Take a look at this fucking graph right here. It is an abomination. I hate it.
ある時期から俺はずっと「アンチ才能論者」なんですけど、どうもね……。否定しても、データで出ちゃってんだから(CV:設楽)
だって才能がすべてだなんて認めたら、「持たざる者」に残された選択肢は死しかなくないですか?自由意志の不在を認めてしまったら刑法が成り立たなくなるのと同じですよ。こんな「真実」を明かして誰が救われるっていうんだ。
あるいは、「もうひとつ」セットで明かしてくれるなら皆助かるかも知れない。それは「才能の保有率」です。つまり、たとえばサッカーが得意なAさんがいたとする。Bさんはサッカーはぜんぜんダメだけど、ピアノがうまい。AとBに「他の才能」がなかったとすると、才能保有率は1になる。ここでCさんという人物がいて、サッカーがダメならピアノも全然できなくて「自分には才能がない」と落ち込んでいたとする。しかし生きていくにつれCさんは色々なものに触れていき、自分には料理の才能があることに気づいた。これで才能保有率は並ぶ。……言いたいこと分かりますか。つまり「1人の中に潜在的に眠っている才能の量は一定である」ということなら、才能がすべて論はそこまで残酷ではなくなるんです。
例えば米津玄師は絵・音楽・身長・💃などに才能があるとする。才能保有率4としましょうか。ここで、ひとりの陶芸家がいるとする。彼の才能は、陶芸・盆栽・フラッシュ暗算・ジャグリングだとする。才能保有率4で米津と同じです。ここで違うのは、「才能のレベル」ではなく、「ジャンル」だけなんです。要するに天賦の才だとか言われる人物がすぐれているのは如何に「高い才能を持つか」ではなく、如何に「商業主義に即したジャンルの才能を持つか」なんです。10年に一人と呼ばれるほど陶芸がうまくてもたどり着ける年収なんかたかが知れている。音楽なら数億は固いでしょう。じゃあこれは「不平等」なのか?と言われると、「社会」は不平等であっても「遺伝子」はそうではない。社会を是正していけばどうにかなる話。それに保有率が一定なら、ジャンルがバラけようが完全一致しようが「完全劣化人間」は生まれないわけですよ。だって、たとえ商業的には価値がないとしても、米津玄師に陶芸はできないんだから。お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のやうに地面を速くは走れない。なお「みんなちがってみんないい」を詠った金子みすゞは壮絶な半生の末に26歳で服毒自殺をしている模様。
まことにヤバイのは、才能保有率すら一定でなかった場合。たとえば米津玄師が潜在含めて才能保有率10くらいあったとして、ホームレスには1しかなかったとしたら何をどうあがいても逆転不可能でしょ。……あれ?救われないな……どうすんのこれ。こういうときのための社会保障じゃないんですか。なお、生活保護すらまともにおりん模様。よし、この世界線はダメだ。核弾頭ですべて吹き飛ばそう。まじめな話一旦やり直したほうがいいですよこのシムシティ。もう疫病まで流行ってるし。
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