恩寵の結論
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世界一嫌いな人間と 世界一大事な人間を 一人しか救えない
だとしても迷うだろう そういうもんだ人として
――amazarashi「百年経ったら」
もう何回この話すんねんと思ってるかも知れませんが、結局世の中の人間っていうのはこれに「死ぬほど共感する」人と「永遠に理解できない」人の二種類しかいないんですよね。最近つくづくそう思う。最近っていうか、4年前からずっとそう思ってる。
マジでこの二種類。これと比べれば他の人間を分けるすべての基準ははるかに劣等、塵に等しい。国籍も性別も血液型も学歴も年収も、名前さえも何一つ意味はない。人を分けるのは此れのみ。本来人間が何百万字と連ねて議論してきた「倫理」というものを、わずか二行でどんな言葉よりも鮮明に突きつけた傑作。これほどまでにはっきりとしたパッチテストは他にない。
だってこれ、分からない奴には何をどうやっても永遠にわからないんですよ。永遠っていうのは言い過ぎかも知れんけど、一朝一夕でどうにかなるもんではない。誰がどんなに時間をかけて説法しても意味はないし、変わる事があるとすれば本人の内なる魂ごと変化を迎えるほかない。これを理解できる・理解できないっていうのは、人間としての底の底の一番深い部分に根ざした部品が違っているってことですからね。
別に悪いって言ってるんじゃないですよ。ただ、決定的に人種が違う。なによりも違う。性別が違うよりはるかに違う。ヒトのすべての思想は「ここ」を根っことして枝が伸びていっているので、ここが違う人同士では枝も葉も成る実もひとつ残らず違う。だから決定的にわかりあえない。社会で生きていく上での人間関係のすれ違いのすべては「ここ」がずれているために起こると言っても良い。行動原理のプログラムがぜんぜん違うのよ。
マジで、国家規模でこの言葉についてのアンケート取ってほしい。一体何人が共感し、何人が理解できないのか。
なお
世界一嫌いな人間と世界一大事な人間を一人しか救えないだとしても迷うだろうそういうもんだ人として 百年経ったら/amazarashi
あなたはどちらを救いますか?— ひ█ろ█き (@hajisarashi0106) August 4, 2019
ああ、そうだよな。分かってたよ。さらばだ世界、俺の最初で最後の友よ……
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