wither
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ロリィタノイロォゼ、本当にちょっと運命の糸がひとつ違えば宇多田ヒカルになれたと今でもたまに思う。2006年時点でファーストを出してるんだけど、多分その時齢15くらい。宇多田ヒカルのデビューとちょうど同じくらい。そういえばエド・シーランもこの時15歳か?しかし声的には幼児みたいな幼さ。8歳くらいな感じがする。ともあれ十五歳で自分であれらの曲作ってしかも頒布しにいったっていうのはかなりすごい。
ロリィタノイロォゼの魅力については、こっちが引くくらい熱烈に・かつ的確に語ってるブログが他にあったんでもうそんなに言うこともないんですが、さらに付け足すなら、私が思う彼女の最もの魅力であり最大の強みは「一意(unique)」であることに集約される。このブログ通して何度も何度も音楽における一意性の重要さを言ってきたんですが、ロリィタノイロォゼはその点完璧。どういうことかというと、ものすごく大雑把に言うなら、「ロリィタノイロォゼの代わりなど天地がひっくり返っても居ない」という事。基本的に、音楽って意外と代わりが効くんですよ。墓荒らしの皆さんならおわかりの通り、多幸感さえありゃ似たような音楽でなぁなぁ誤魔化せてしまう。いわゆるポップス系はもう殆どわずかなフレーバーの違いでジャンクフードが廻っているだけで、一意のものなど殆ど無い。量産型音楽と言われるもの。しかしロリィタノイロォゼはそれらとは決定的に一線を画している。他のどんな音楽とも似ても似つかない、きわめて稀有な音楽性をもつ。一見するとありがちなよくある雰囲気系のゴシック同人音楽に聞こえないこともないが、しかし本質はまるで違う。それは前述のブログがだいたい言ってたと思う。ロリィタノイロォゼの一意性は誰もが感じるようで、かのブログから引用すると:
See?彼女が死んだらもうこの世に「ロリィタノイロォゼ」という音楽が生まれることは、絶対にあり得ない。そういう貴重な存在なんです。……そして現状、唯一無二の表現者となった。表現に枠は無いことを麻観りみゆは曲を生み出し、間接的に心情を吐露する事によって証明してみせたのだ。
しかしそれと同時に、残念ながら、ロリィタノイロォゼはもう死んでいる、とも思う。なぜか?これも前述の記事からの引用になるが、ロリィタノイロォゼを構成する魅力にして必須属性のひとつに「幼い少女の拙い歌い声」という部分がある。これはロリィタノイロォゼのアイデンティティとして極めて重要な部分だ。相対性理論がやくしまるえつこの声帯無しで売れたか?まさしくアーティスト名(ていうか、グループ名?どう言えばいいのかわからんが)に冠している通り、この一連の音楽の核となるのは「ロリィタ」であり、そこからその純粋無垢さと闇、光、躁鬱などを合成して独自の「美」を追求している、というのがロリィタノイロォゼだと私は思っている。しかし……まぁ……彼女に限らないんですけど、この手の音楽って刹那的なんですよね。齢15の頃の少女の声はもはや完全に失われてしまっている。あまりに残酷でどうしようもない現実だが、28歳で「ロリィタ」の称号を着るにはそろそろキツいんじゃないだろうか、というのが正直なところ。「幼い少女の拙い歌い声」を失えばもはやそれはロリィタノイロォゼではないのでは?と思わざるを得ない部分もある。こればかりは誰にもどうしようもないからこそ、刹那的と言うしか無いんですけど。なまじ音楽性は十年前と芯を変えずに技術だけを見事に成長させているので、非常に惜しい。ていうか、そうですよ。そこもすごいんですよ。大抵のアーティストは芯を変えずに技術だけ上げるということができない。活動年数が続くに連れ劣化していくのがオチなもんだが、ロリィタノイロォゼは作曲センスはまるで衰えない。そこは本当に凄いと思う。意識的にやってるのかは知らないが、もしそうならいくら褒めても褒めたりない制御力だ。普通に仕事とかもあって忙しいだろうに。
というわけでロリィタノイロォゼは少女性を失ってしまって悲しいねって話だったんですが、じゃありみゆさんが曲作りのみに回って誰か別の少女を連れてきて歌わせればいいのかというとそれも違う。そもそも彼女の歌声はとても独特で、その不安定にして美しい無二の歌い方そのものがロリィタノイロォゼの象徴でもあるのだ。だから個人的に考えうる最善案としては、もう流石に十年以上活動してきたんだしここらで「ロリィタノイロォゼ」としては終幕してみてはどうだろう。このへんでいい具合に最終アルバムを出して世界観をまとめきって終われば綺麗だと思うし、その後また新しい世界観のプロジェクトを進行させていけばいい。まぁ本人がやりたいようにやるのが一番だと思うけど、個人的なロリィタ性の薄れへの警鐘を抜きにしてもあらゆるプロジェクトは良い終わり時ってものを考慮しておいた方が良い。何事も無限に続くはずはないのだから。濡れて光るスプールを飲込み美しく死ぬ用意はいいか。
色んな音楽を聞けば聞くほど、ロリィタノイロォゼは本当に特別な存在だなという思いがどんどん募っていく。グローリア、Angel food cake、火星で~のイントロ、ワンダーランドIIあたりの旋律の美しさはとても言葉では言い表せない。特にグローリアかAngel food cakeは自身の葬式で流して欲しいくらい。あと地味にすげぇなって思ったのが、Go Underの「愛を騙る冷たい詞」の部分、ピアノが一瞬だけ不協和音というか不思議なコードになるんですけど、普通に弾き間違えたっていうかズレたのかなって思ってたけど幾つかあるバージョンのうち2つがそうなってたので普通に楽譜にそう書いてあるのかも知れない。そんなとこまで拘るかね。あそこいいアクセントになってるんだよな。あとハッピーバスデイとかもすごいと思うね。ロリィタノイロォゼは基本的に短調の三拍子が主でコード進行も複雑ですけど、あれだけめっちゃ長調だしコードもアルペジオ含めメチャクチャシンプルでロリィタノイロォゼにあるまじき明るさなんですよね。あれもわざとああいう雰囲気を生み出してるなら相当すごい。いくらでも語れてしまうな。なぜだろう。やはり知った時期がだいぶ昔だからか。昔に知ったものはなんか無条件で思い入れが深い。
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