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これヴィムッタ?
Yattemoさんといい、ASMR界隈ってたまに悟りを開いている人がいる気がする。悟りっていうか、理想すぎるくらいにさっぱりしているというか、どちらかというと不遇な経験をしてきているのに腐らないで自分らしくまっすぐ幸せに生きている人たち。そういう人々は雰囲気がなんとなく似ている。なんていうか雑念がないのよね。こういう人々にすごく惹かれる。
一ヶ月前から彼女の破天荒なスクリプトの動画に惹かれてたのだけど、これで完全に好きになった。simpとかじゃなくて多分男性でも好きになった。yattemoさんみたいに。人間として好き。
「生きてるだけで偉い」という論説、リアリストからは綺麗事だとか言われがちなのだけど、実利的に考えても生きてるだけで充足しているはずなんですけどね。「生きてるだけで偉い」が損得勘定で真となるためには、「死人」が社会という機構に与える利益を「ただ生きているだけの人」が与える利益が上回ればいいのだと思うのだけど、たとえ無職でも引きこもりでも人は生きている限り「消費」という最も大事な経済活動をし続けるのだから、経済という現実的観点から、人はただそこにいるだけで、存在するだけでいいんですよ。道徳とかスピリチュアルな観点ではなく、マクロ経済学という実利的な観点からして人は生きているだけで十分価値があるんです。この話前にもした気がするな。何が気に食わないって、自称現実を見ている方々や意識高い系の人々ほど「生きる価値」という、それこそスピリチュアルの塊みたいな概念に固執して他人を不当に糾弾したりすることなんだよな。みんなも今後「○○な人間は生きてる価値がない」みたいな論調に出くわしたら無知がなんか言うてるわくらいに思っておいたほうが良いよ。
知性にすべてのモラルハザードを免罪させているような主義は、人間が全知になり得ない限りabortiveだと思う。功利主義は功利がなんたるかを知っていてはじめて成立するわけで、でもそれを真に知るのには一生読書漬けで過ごしてもまるで足りない知識が必要になる。集合知は伝言ゲームだから役に立たない。知性を武器にしようとすると必ず自分より上の人間が現れるのでけっきょく個人崇拝に行き着きそう。何が言いたいかと言うと人の無知をあざ笑う前に自らの無知を知れ(ソ並感)ということと人は生きているだけでオールオッケーということです。それが「綺麗事」みたいな扱いを受けているのが一番の問題だと思う。ひろゆきも言っていたけど、「1人産めば1000万円支給」でもお釣りが来るくらい人間ひとりというのはすさまじい価値を持つのだから。まぁ個人的にはこんなロジックを捏ね繰り回して「生きてるだけで偉い」を補強したくなどないのだけど。だって「理由があるから偉い」じゃ、何かその理由を崩すものが現れた時に「生きてるだけじゃ駄目」ってことになるじゃん。人は無条件で偉いんだよ、生きていれば。それを否定するすべてのものを俺は否定するし、否定してきたし、今後もそれだけは捨てたくない。ただし「奪われるべきではない」ということで、「命」という願いの杖の使用権は常に個人の手にある。
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