the-scales-fall-from-my-eyes
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http://blog.livedoor.jp/nohohonw/archives/2463479.html
これ読んで今まで世間でウケている作品に感じていたあらゆる違和感が一つ残らず解決した。
そういうことね。そんな所に齟齬があったわけだ。あーさっぱりした(皮肉)
根本的に箱が違うんじゃん、じゃあ。ずっと前から思っているけど、アニメ、漫画、ゲームあたりを「サブカルチャー」の一言でまとめてしまうのどうにかなりませんか。まっったく目的もカテゴリも違うからね、themは。
こんなことなら、誰かと作品の面白さを語る時はぜったい最初にお互いの属性を言い合うルールを作るべきだと思う。「よく練られたストーリー」型なのか、「ライブ感」型なのか。タイプが見えないまま作品の良し悪しを議論するのは、「カイオーガにでんき技が効いた」という情報だけで「でんき技は強い!」って言ったり、それに対して「ディグダにでんき技は効かなかった」という経験則だけで「でんき技はクソ!」って言ってるのと同じようなもんですよ。この人たちはタイプの概念を知らないからずっと話が平行線になるわけ。互いに見たものしか知らないし、その光景は共有できない。そもそも話が噛み合っていないから、どっちも間違っているしどっちも正しい。……わかる?
ポケモンAがエンペルトに負けて、ポケモンBがエンペルトに勝てるからって、B>Aとはならんわけよ。これが「面白さ」という感覚にも適応されるんです。「ライブ感型」の人が面白いと感じる作品(例:鬼滅の刃、ファイアパンチ、BLEACH)を、「よく練られたストーリー型」の人がつまらないと感じても、それは”両方正しい”んです。「この作品つまらんと思うとか、センスないな」みたいなのは完全に的外れなわけ。逆もまた然り。面白さは、ひとりひとりの中にしかなくて、それらすべて正しいんですよ。
じゃあ「世間的に面白い」とされるものがどうやって出来上がっているのかと言えば、それは「客観的な面白さ」というより、「より多くの主観にヒットする面白さ」ということです。言ってしまえば、「客観」って、「77億の主観」ですからね。(ここはメモをとってください)たまたま「ライブ感型」の人間が多いから、必然的に世間的にウケるのがそのタイプの作品群ってだけなんですよ。良し悪しではない。
また、「媒体」にもジャンルがあって、マンガやアニメ、ライトノベルは「ライブ感型」だと思う。映画やゲームは基本的には「よく練られたストーリー型」なんだけど、ソーシャルゲームという「ゲームでありながらライブ感型のシステムを搭載した」ものが出てきたために、従来の属性であったコンシューマゲームなんかが駆逐されていったわけです。ここ10年でソシャゲがこうまで流行ったのは、「大衆向けの属性」を所持していたからだ。
映画にしても、「作品としての評価」は評論家とか見てるとやっぱり「よく練られたストーリー型」のままだと思うけど、インターネットが流行って「バズ」という概念が商業においてより強力になったため、流行が発生するとそれがそのまま「ライブ感」というフレーバーを保持しているため、ブーストがかかる部分はあるでしょうね。それでも、映画に関しては脚本がいいものがまっとうに評価されていると思う。
ソシャゲの横行、JPRGの衰退、映画をよく見る人よりアニメやマンガをよく見る人の方が多い理由、すべてに説明がついた。少なくとも日本国内においては、謎がすべて解けた感じがしませんか?俺はするので、今後はこの理論武装で行こうと思います。
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