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供養
「成功してしまう」のも時として呪いなんだなというのを今日知りました。本当に居た堪れない気持ちになった。
これは……一番きついぞ。そうだよなぁ。成功って言い換えると「今までの自分を”失敗”にする」存在ですからね。くす玉が割れた時立っている場所が目的地なら良いんだけど、迷い込んだ墓地で突然エンドロールが流れ出したら。解けてはいけないパズルが解けてしまったような、学級裁判で七海千秋を指定したあのときのような居た堪れなさ。自分の事ではないんですけどね。でもこれはほんと~~に、しんどい。承認って優しい顔をした悪魔なのね。詳しくは語らないけど、未来の俺ならこれだけの文でもなんのことかわかるだろう。
はぁ~……(https://youtu.be/bbfn2q2S_fY?t=42)本当にもうこのゲーム飽きたな。二十一世紀、かなりクソ章なので二十五世紀編くらいまで飛ばして欲しい。もういい、マジでもう良いわ。俺を最後に挫いたのが嫉妬や憎悪や義憤じゃなくて悲しみだってのが一番悲しいわ。とにかくね、今、悲しい。悲しさの化身です。一切の怒りはなく只々かなしいかなしいマウンテンになってる。
これマジでどうすれば良いんですか?もう、もう無いよ!もう希望なーんもないよ。一般的に希望とされているものが希望でないことが既に明白になってるから。早くみんな希望が一切ないことに気づかないかな。ていうか、もう気づいてるでしょう?早くやめようぜこんなゲーム。せーので全員スパイラルマタイしようや。
もう、幸せだったり不幸なふりをするのはうんざりペポ……。シェイクスピアの「世の中には幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにもなるのだ。」って、今まで希望に満ちた言葉だと想ってたんですけど、これ正真正銘に何もなかったんですね。「考え方次第で幸せにも不幸せにもなる」とかじゃなくて、マジで、”ない”。幸福や不幸といった概念そのものが畢竟でっちあげだったんですよ。我々が作り上げることすらできない、正真正銘のNull。「どうにでもなるのだ」って言うのは、むしろこのデカすぎる虚無に賽を投げるような意味合いだったんじゃないでしょうか。人間は巨大すぎる自由に対して、随意的に不自由にならざるを得ない。「どうにでもなる世界」だからこそ、「どうにもならない」んですよ。何でもできるって言われたって僕たちはずっと何をしていいか分からない。思想のサハラ砂漠にノーヒントで放り出されてもどうしようもない。線路があった方がましだ。デカすぎる虚無、それこそが我々を苦しめる本当の存在だったんです。静寂に勝る大音量なし。芥川の「唯ぼんやりした不安」という理由は良い線いってたわけだ。
同様の理由で、インターネット飽きたけどインターネットやってないとデカすぎる虚無に殺されるだけなんでやらざるを得ない。虚無と地獄で地獄がThe lesser of two evilsになるの、地獄だな。これもトートロジー。それもトートロジー。あははあはは。生と死もTwo evils。幽霊にしてくれ。ずっとスペクテイターモードになりたいだけ。地球の本棚の奥の方を漁る。絶望が俺のゴールだ。
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The SHOW/ LUCKY TAPES
就寝御礼
雲上のサン
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