厌恶
この記事を閲覧するにはアカウントが必要です。
久しぶりに僕の中のダークな人格が顔を出しています。暗い言葉がすぐ顔を出すからしょうもない。
執拗に主張してきてることなんだけど、「できるけどやらない」のと「できない」のでは天と地ほどの差があるんだよな。
出来もしないのにドグマの違いや美的感覚の話を持ち出して煙に巻こうとするのは論外。まず、それを実行するコマンドすら出現してないのだから。
万物は我々の可動範囲の「選択肢」に入ってはじめて決定権が与えられ、アンロックされていない選択肢に対して理由をつけて「選ばないことを選択した」ような顔をするのは「酸っぱい葡萄」の話とまったく同じ。
印象派をやるなら写実主義を理解しつくす必要があるし、シナリオのない物語を書くなら脚本術について幾千の本を読み込む必要があるし、シュルレアリスムをやるなら「シュルレアリスムでないもの」をほぼ完璧に出来るようにしてからじゃないと意味がないと思う。
ピカソのキュビズムだって、もともと超絶デッサンが上手いという下地があってはじめて成り立ったものだと思うんですよね。
識字ができない人の非言語主義は逃奔以外の何者でもなく、無職の労働論、白痴の科学信仰も然り。
「Xでないもの」をアートとして創るには、まず「X」がなんたるかを誰よりも熟知しなければならないんです。
何が言いたいかわかりますか。大黒柱の存在しない信仰ははりぼてだってことだよ。
個人名を出さずに恨み言を吐くのマジでDastardlyだな。r/whyareyoubooingmeimright。そんなサブレディットはない。
Comments ( 0 )
No comments yet.