250213
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ファックユー by 流浪の月
ギャルゲってなんで全部固定ルートの中盤以降クソつまんなくなるの??;;
なんか、恋愛の育み方が恐山の体の操作くらいぎこちないんだよな、どいつもこいつも。急アクセルや急ブレーキでの制動しか出来ていない。すべてのキャラクターが狂い出す。キャラに合わないことばかり言い出す。それが恋だと言われればもうどうしようもないんだけど、にしても、違う、恋ってこんなんじゃない、と強く思う。
何が嫌いか、なんとなくわかってきた。いきなり自分本位になりだすのだ。美辞麗句で飾り付けてはいるが、要するに性的に魅力的な相手を所有したくてたまらないと言っているだけじゃないか。汚物に金箔とラメでデコレーションをしたような気持ち悪さがあります。思いやりってそんなもんじゃない。愛ってそんなものじゃない。泥と血で穢してもなお光り輝く真珠、それが愛だ。そうであるはずだ。
恋仲というものが、友達や仲間より低級の関係だと思っているのが気持ち悪くて仕方ない。告白というものはただの押し付けだと言ったのは誰だったか。女性の作品だったことはおぼえている。
恋愛を書かせると男性向けの作品は本当にずぶの素人だなという気持ちになってきた。今までこんな事感じたこと無かったはずなのに、なぜなんだろう。ほんものの恋愛なんてしたこと無いはずなのにね。だから下手な小細工は捨てて、100カノとかハヤテのごとくくらいフィクショナルにやった方がむしろ見やすいんです。気を害さないんです。100カノやハヤテのような気を害さないラブコメに共通する要素があります、主人公が紳士であるということです。もっと言ってしまえば性欲らしい性欲が欠落していることです。


たとえばこんなことを絶対に思ったりしないということです。
まあ、本ルートに限って言えば一番の問題はそこじゃなくてアゼルの人生を手前の恋ゲームに利用しているところが大変気に食わないという事になるんですが。
俺さぁ、思うんだけど、1対多の構図っていかなる感情のやり取りであってもイジメになり得ると思うんだよね。たとえ送られるのが善意であっても。
このルートを見ていてそれを強く感じた。此処に言及した作品は私が知る限り『はなまる幼稚園』しかないが。
1対多って、1が絶対的に不利なのよ。1が人形なのよ。1って多の思惑に搾取され続けるしか無いのよ。それが悪意でも善意でも。『流浪の月』もそういう作品でしょう。
だから皆さん、誓ってください。もし自分が誰かやなにかに対して多対1の構図を作っていると思ったら、考え直してください。アプローチを変えてください、すぐに。タイマンでやってください、必ず。以上。
今世紀最大の死にたさが俺を襲う!
同僚に中原岬がいるかもしれない。きょう、ラグランのロングスリーブを着てきた彼女を見てそう思った。
中原岬ポイント。髪型は、少し長いが、似ている。ファッションが酷似している。かわいい。童顔である。自分勝手でテイカー気質、かつ自己肯定感が低い。声がきれいでかわいい。向こう見ずである。
ノット中原岬ポイント。彼氏持ちである。眼鏡をかけている。
しかし彼女は自分の彼氏がいかにダメ人間かを延々と自慢していたので、そういう意味では中原岬らしいかもしれない。
ダメ人間を見ると安心するのだ。ダメ人間を自分の手元で飼い慣らしたいのだ。どれだけ迷惑をかけられても、もう君にはあたししかいないのよ、という状態にもっていくことの方が大事なのだ。
そういった視点で改めて見てみると、実に中原岬っぽい。
しかし、だからどうだというのか。彼女と私はお世辞にも仲が良いとは言えない。職場でも下から数えた方が早いだろう。何より既にパートナーがいるのだ。きわめつけには私も彼女の人間性には辟易こそすれ惹かれてはいない。
やはり、第一話の中原岬と出会わなければならない。中途の岬と会ってもどうしようもないのだ。
もう全部どうでもいいし普通に死ぬことにした。
あたしは誰にも必要とされていないんです。やっと気づきました。結局佐藤君の言葉だって嘘じゃんね。「俺には岬ちゃんが必要なんだ」は、あたしを止めるためにやぶれかぶれで考えた言葉でしかないよね。心からの言葉じゃないよね。ほんとにそう思ったわけじゃないもんね。つまり、嘘ってことだよ。
全部うそ。全部ぜーんぶうそ。あたしがいなくなっても誰も困らない。困ったとしても、お気に入りのラムネ菓子をなくしちゃったとか、折りたたみ傘が壊れちゃったとか、それくらい。すぐに元通りになるよ。あたしが抜けた穴なんて、あっというまに塞がるよ。
みんなのちょっとの日々の楽しみのために、死ぬまで苦しみ続けるなんて、不公平な話だと思わない?
だからいなくなったほうがいいんだ。叔父さんや叔母さんが悲しむぞ、って言われて岬ちゃんが首を振った理由がやっとわかったよ。悲しまないよ、って意味じゃなくて、悲しんだとしてももういいよ、って意味だったんだね。岬ちゃんも、釣り合わない、って感じたんだと思うんだ。自分は生きててこんなに苦しいのに、いなくなっても周りの悲しみはちょっとだけ。だったら死んじゃってもいいよね。そう思ったんじゃないかな。
だからこその人質交換会だったんだと思う。俺の悲しみは小さくなんてない、っていう証明が必要だったんだ。ダメで寂しい人間の相互扶助に関する契約書と人質交換会って結局同じことじゃない?って思ってたけど、そういう視点で見ると別物ってことがわかる。
ダメで寂しい人間の相互扶助に関する契約書は、悲しみを消し去ろうとするけど、人質交換会は悲しみを分け合おうとする。
不思議だよね。互いに支え合う契約が悪で、互いを脅し合う契約が光なんて。でも、たしかに前者は停滞で、後者は前進の約束なのです。
三日とろろ、美味しゅうございました。さようなら。
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