250124
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劉慈欣の「円」、今のところかなりつまらない。でも調べた限り収録作の多くが相当初期(2000年より前)の作品らしく、ということは劉慈欣物語は順当に面白くなっていったということなのでそれはそれですごい。三体がペルソナ5として今ペルソナ1やってるようなものだからそりゃつまらんわな。(炎上)(俺ではない)
夢の劉慈欣物語は円終わったらとりあえず後回しにして、浅倉秋成を読んでいきたいと思いますけどmore。
早くネトラセクラブになりたすぎる。ついに掴んだ、NTRの真髄。NTRの悦楽とはつまり、彼氏・彼女・寝取り役という3名がいたときに、彼女が最も悦しい、というところにある。感情移入すべきは寝取られる男でも寝取る男でもなく、女だったのだ。このことに気付いた奴から次のステージに行ける。
ずっと探してた「最終回茶番」の回をようやく見つけた。
https://www.youtube.com/watch?v=XARsIioTTEw
これのアバンがすっきなんすわ~。

最近毎日これ。
それにホントは、あたしのことなんて、ぜんぜん好きじゃあないんでしょう?
誰かが、頭からつま先まであたしのモノになってくれなきゃ、あたしは死んじゃう方がいい。
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あまりにも自分が中原岬になってきたので、この前友人[要出典]に相談したんですよ。誰に好意を向けられても全く信じられないと。彼、信じられないことが信じられないというような顔をしていましたわ。ああそうか、普通の人は好意を疑わないんだな。と思いました。あたしは普通じゃないんだ。
しかし、あたしとしてはむしろみんなに問いたい。なんで人の愛を簡単に信じられるの? ぜんぶ嘘っぱちかもしれないじゃない。言葉なんてなんにも信用できない。プレゼントをくれたって、何か見返りを期待してるだけかもしれない。優しい言葉は全部おべっか、あたしじゃない何かが欲しいだけ。それに、万が一、億が一ほんとにあたしのことが好きだったとしても、すぐに気が変わったりしそうだし。心変わりしない人間なんていない。それが好き嫌いなら特にそう。きっと期待させるだけさせて最後には見捨てるんだ! そうでしょう? 知ってるんだから。ねぇ、佐藤君……。
誰かが、頭からつま先まであたしのモノになってくれなきゃ、あたしは死んじゃう方がいい。
長い間和解できなかった「ヤンデレ」という概念を、叙情的な視点から表現したこの一節のおかげで、自分が何者だったのかにようやく気づけました。ありがとうNHK。私はワドルディです。私が長年メンヘラヤンデレキャラを嫌っていたのはつまり、私自身がメンヘラヤンデレだったのだ。同族嫌悪だったのだ。
メンヘラヤンデレはおとなしくメンヘラヤンデレのためのゲームをやっときます。

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