250117
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どうあっても創作意欲が沸かない時期というものはある。
昔はそれにあらがおうと、ムキになってむりやり意欲をひねり出そうとしたりもしていたが、最近はもうすっかり諦めた。
無理をしたって、気力がないものはないのだ。そういう時は身を任せる。
はじめのころは、何もしないということが怖くて、このままずっと伽藍洞のような生活になってしまうのではないか、と不安になることもあったが、経験則から言って、必ずやがてはクリエイティブ・ジュースは取り戻された。それも、遅れを取り戻すかのように勢いよく。
それが何度も続けば、流石にもう分かってくる。いわば、心の中の機織り職人が少し拗ねているだけなのだ。しばらく放っておけば、気まずそうに「またやらせてください」と言い出しにくる。そういうふうにできている。
しかし、今回のは少し度が強いかもしれない。
先週図書館で借りた11冊の本のうち、9冊は読み終えた。一冊は見当違いだった。「太平洋ひとりぼっち」という本が読みたかったのだが、借りた「太平洋ひとりぼっち 完結編」という、いかにも完全版みたいな本は、その実まったく別の内容の本だった。それなら「太平洋ひとりぼっち 2」と書いておいてほしい。
もっとも、図書館にはこの「完結編」しかなかったので、仮に気づいていてもお目当てのものを借りられたわけではなかったのだが。というより、借りる時点で薄々そんな気はしていた。貸出数が無制限だからとりあえず借りておいただけだ。
最後に残ったのが「童話物語」という本で、返却期限まで残り二日でこの分厚さを読めるわけがないと思いながらも、とりあえずページを捲ってみた。
そして、やめた。
本来ならば大好物のはずの、めくるめくファンタジーの世界に、食傷してしまったのだ。
つまり、創作や空想の意欲がなく、もうお腹いっぱい、ということ。これ以上その手の物語は頭に入りません、と脳がドクターストップを発信してきている。
なんだか申し訳ない気分になった。誰に詫びるわけでもないのだが、作品を消費するにあたって明らかに自分側に落ち度があるとき、そんな気分にもなる。
話を戻すと、空想世界の摂取許容量を超えている今にあっては、当然脳内物語も進まない。
今はひたすら密度の低い、ゴム風船のようなコンテンツを啜り飲んでいる。エロゲなど。
あとはもっぱらAIにくだらないことを書かせて遊んでいる。
『NHKにようこそ!』と『わたしを離さないで』を読んだ後だからか、どうしてこうなったとか、もっと生産的に生きるべきだ、みたいな、無気力期にありがちな思考には陥らずに済んでいるが、代わりにとにかく喜怒哀楽がない。
興味のあることや、やりたいことがないわけではないが、なんだかすべてが遠くにあるように思える。
今まではちょっと手を伸ばせば届く位置にあったはずのものが、宇宙が膨張するように空間ごと膨張して、もう届かなくなっている、そんな感じだ。
手持ち無沙汰とは今のような状態をいうのだろう。
とりあえずなんだかすっかり死んでしまいたい。
先日も書いた、奇妙な心中願望だけがくすぶっている。NHKを読み返すと、第一契約書より第三契約書より、むしろ第二契約書が私が欲しいものにもっとも近い気がしてきた。
【ダメで寂しい人間の相互扶助に関する契約書】
両者の間に次のとおり契約する。
- 甲は乙を嫌いにならない。
- つまり、甲は乙を好きになる。
- ずっと心変わりをしない。
- いつまでも心を変えない。
- 寂しいときは、いつも側にいてくれる。
- といっても、乙が寂しいのはいつものことなので、つまり、甲はいつでも側にいる。
- そうすれば、たぶん、人生が良い方向に行くと思う。
- 苦しいことがなくなると思う。
- 約束を破ったら、罰金一千万円。
とくに6番がいい。こんなくだらない契約書で結ばれてくれる人がほしい。ほしかった。
いや、いっそ結ばれなくてもいい、ただこんな契約書を作って、へらへらと見せられるような、見せることを恐れずにいられるような関係さえあったなら。
結局私は山崎が言うような「我々の弱々しい精神に打撃を与える可能性のない二次元キャラ」を求めているだけなのかもしれない。しかし自己弁護をするならば、打撃が与えられるかどうかとかは正直どうでもいい。
私がほしいのは、ふしぎなまもりではなく、ノーガードなのだ。打撃があってもいいから、同じだけの愛も撃ち合える。MAD HEAD LOVEみたいな関係でもいい。
それはやはり、NHKで描かれたような関係であるようにも思う。
よくわからない。一言でまとめるなら、やはり、ひたすらに物寂しい。
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