25-07-03_154252
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https://www.nicovideo.jp/watch/sm45147017
えー、重音テトSVが冷笑しかできないといったの、撤回させてください。
まさかテトSVをこんな使い方ができるとは。天才やん。サイテンやん。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm45143313
最強。お前はニコニコインディーズの柱になれ。
最近NicoBoxくんがクソ強い曲しか紹介しなくなってきて困ってる。百発百中かい。
最近ASMRより音楽を聴くことが増えてきた。こんなことがあるのか。下剋上やん。
ASMR意味ないですよー。飽和しすぎているから。その割にやることにあまり創意工夫がない。音楽以上にテンプレートに支配された世界である。
VRC。VRCかぁ~。みんなVRCやってんだもんなぁ~。皆よ。全人類。フォロイーもラマーズPも中井も。
何もやる気がない。何も続かない。それが一番の問題。DRITHも全然進んでない。神絵師も進んでない。何もかもを途中で投げ出して終わる。ジョー力一助けて!!
「全て投げ出してもいいじゃないの? Used to be 諦めるのは easy」とはどういう意味だったのか。歌詞全体をみると一概に反語とは言えない気もする。
ジョー・力一はすべて投げ出してもいいと言ってくれた。そういう後退のやさしさが世界には必要だ。
よくこういったやさしさは甘いだとか無責任だとか言われるが、じゃあ後退を咎める激なら発言者が何か責任を負うのかと言われれば全くそんなことはないので、どっちにしても無責任である。ならやさしさを選んだほうがよくね?
これ毎回思ってる。厳しく返せば責任が生じるってならわかるけども、どっちにしたって選択は放任されるのだから全く同じく無責任でしょう。「オレが導いてやる」とか「お前なら出来る。出来なかったら◯◯してやる」みたいな形で責任持つならともかく。
結果がどうなろうと責任を負わないという点が共通してるなら、やはり基本的にはやさしさを選んだ方が良い。さもなくば課題の分離に失敗してるだけ。
デノ周りの記事( https://rakuyo.pages.dev/blog/fc2/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E5%AD%90/ )見てたら無慈悲すぎる罵詈雑言がわたくしに送られててかなりメカもじくん顔になった。4ねありがとうございます。
FC2は本当に魑魅魍魎だったな。今見返しても割と傷つくので早くわたしをちやほやした方が良い。ふつうに生きてたら「いつまで生きてんだ生ゴミ」とか言われないからね。心に深いトラウマを負っています。
世界平和とギーマが好きです。サンムーンの変貌含めて好き。
一度いったんよ「それ言う前に人が不快になるとか考えれん?」てそしたら「その一言が私を不快にさせてるけどねw」とか返されてもうええわってなってそっからこんな感じ
http://fesoku.net/archives/9624075.html
本日の議題はこちら。「人を不快にさせる言動をするな」に対して「その言動が私には不快だけどね」と返された時の対処法。
自分でも驚いたんですけど、パッとクリティカルなアンサーが浮かばなかったんですよ。つまりラップバトルなら負けている。
もちろん、こいつを殺すのは簡単よ。明らかに詭弁だし、>>1がそうしたように「あっそ、じゃあもういいわ」と離れるのもいいでしょう。しかしいずれもエレガントではない。コイツをクリティカルで確殺できる剣がどこかに在るはずなんです。
寛容のパラドックスにも似た現象ですよね。話はちょっとそれるけど、寛容のパラドックスはポパーのアプローチが正しいと思う。「不寛容に対して寛容にあるべきだ」と謳うほとんどの論者は最終的に「しかし他者に危害を加えるとか公共の利益に反するとかの例外においては排他されなければならない」とかいう条件付きまで後退しており、けっきょくケースバイケースと言っているだけで根本的なパラドックスの解決に至っていない。「危害」の定義も「例外」の作り方も恣意的で、それはつまり不寛容に対して不寛容であるべきだというポパーの帰結に戻るだけ。別にそれも石の裏をひっくり返して積極的に排他しろなんて言ってないし、危害原則に反さない限り不寛容に対して寛容であるなんてのは「前提」であって、あたかもポパーやローゼンフェルドがその前提を共有していないかのように言うのは揚げ足取りのように聞こえる。
ええ……でつまり、これを今回のケースに当てはめるのなら、危害を加えている人間に対してその行為をやめるよう「忠告」をしたわけで、それを危害と認識されても社会通念上筋が通らない、と主張することは、まあ、できるでしょう。
しかしどうもlameに感じる。寛容のパラドックスもそうだが、「しかし社会通念上は~」「一般常識では~」「世間の見解では~」みたいな言葉に逃げた時点で私の中では精神的に敗北している。太宰メソッドに片足を踏み入れているし。
AIに訊いてみると、3つのcomebackを提示した。
<1>
「待って。その二つは話の次元が違うよ。
君の最初の言葉は、平穏な状態の僕に向けられた『原因』だ。
僕の今の言葉は、君が作ったその『原因』に対する『結果』であり『反応』だ。
原因と結果を同じテーブルに並べて『どっちもどっち』って言うのは、議論のすり替えじゃないかな。まずは、最初の『原因』について話さない?」
これは一見クレバーなようだが、相手の最初の言葉を「平穏な状態」から繰り出されたというのは憶測に過ぎない。この場合、相手は「じゃあ言わせてもらいますけど、私が◯◯と言ったのはあなたがその前に~~ってことをして私が気分を害したからです」と言ってきた場合、それだけで相手も『原因』に対する『結果』という同じテーブルに乗ることが出来る。
ここで原因を否定しだすと、同様に相手もこちらが感じた原因を否定できることになるので、水掛け論になる。
<2>
「なるほど。じゃあ確認したいんだけど、僕たちの間では『相手に不快なことを指摘されたら、“その指摘が不快だ”と返すことで、元の話をチャラにできる』っていうルールでやっていくってこと?
もしそうなら、この会話は永遠に解決しないし、僕も今後はそのルールで君に接することになるけど、それでいい?」
これは結局土俵を降りているので「もういいわ」を長々と言ったにすぎない。特に「僕も今後はそのルールで君に接する」という提案がまずい。これは暗に「不快指摘によってチャラにできるというルール」が自身にメリットをもたらすと認めていることになる。
何故ダメなのかというと、この手の開き直りは「俺はお前を好きに刺すから、お前も好きに刺してこいよ」という提案に近しいからです。これは一見平等に見えて、自分自身にメリットがない(別に人を刺したいという衝動がない)等価条件によって相手が一方的にメリットを得る(人を刺したいという衝動を満たす)破綻した取引だ。ルールに乗っかった時点でこちらが負ける多重質問のようなものであり、この場合は前提の破綻を指摘しなければならない。
<3>
「そっか、僕の言い方で君も不快にさせちゃったなら、それは謝る。ごめん。
ただ、僕がこれを言った目的は、君を不快にさせることじゃなくて、『こういうことを言われると悲しい』って伝えて、二人の関係をより良くするためだったんだ。
君が今してくれた返答は、どういう目的のためだった?僕を打ち負かすため?それとも、僕と同じように、二人の関係を良くするため?」
コミュニケーションとしては正しいが、これは剣ではない。恋愛指南書にこれが乗っていたら名著かもしれないが、哲学書にこれが乗っていたらブーイングを食らうだろう。
これを受けてのAIの改善案がこうなのだが、
「面白い指摘だね。僕の言葉が君を不快にさせた、というのは、一旦受け入れよう。
ただ、その二つの『不快』は、性質が全く違うんじゃないかな。
僕が感じた不快は、君からの**『人格や能力、選択に対する一方的な評価(ジャッジ)』**によって生じたものだ。『仕事がお世辞』『食事が不健康』、これらは僕という存在へのジャッジだ。
一方で、君が今感じている不快は、僕からの**『君の言動がもたらす影響(インパクト)のフィードバック』**によって生じたものだ。『あなたのその言葉は、私を不快にさせる』という、これは君の行動が他者に与えた結果を伝えたに過ぎない。
『ジャッジ』と『フィードバック』。
この二つを『どっちも不快』という言葉で同じ箱に入れるのは、リンゴと爆弾を『どっちも丸い』と言うようなものじゃないか?
僕が問題にしたいのは、僕たちの間で交わされるべきではない、一方的な『ジャッジ』についてなんだけど、君はこの違いをどう思う?」
語るに落ちるとはこのことだろう。
感覚を客観で定義しようとする行為はだいたい袋小路に陥る。「君が今感じている不快」という形で相手の感覚を第三者が定義してしまう場合、同様に相手も容易にこちらの感覚を再定義できる。この場合、たとえば『食事が不健康』は「食生活」という「行為」に分割され、人格を否定するものではないという回避が当然成立する。あるいは「そういう言動が他者を不快にするって思わない?」というこちらの発言の方を人格否定にマージすることも出来る。
この後も何度かAIとやり取りをしたのだけど、なんとAIは白旗をあげた。ウソだろ?こんなイージーエネミー相手に?
まあ、現実なら<3>寄りのアンサーが一番丸く収まるとは思いますが、そうまでしてこの女に付き合う必要があるかと言われればまず無いでしょう。
しかしそうなるとどう転んでも負けということになる。この際、勝者が何を得られるかは関係がない。ええ、仮にこの試合に負けたとしてもこの女Aは間違いなく誰からも見放されて不幸の一途をたどるでしょう。しかしそれこそ関係がないのだ。問題は正しい側が口論で負けているということだ。
AI曰く。
相手の攻撃はただ一つ。「お前の言葉で俺は不快になった」。
この攻撃は、反論を許さない。主観だからだ。
この攻撃は、全ての議論を無に帰す。「お前の正論は、俺を不快にさせた時点で悪だ」という論理だからだ。
そんなバナナ。じゃあご不快ソードを振るっているだけであらゆる反駁を退けられるじゃないか。
手にはご不快ソード、腰には原因の遡及ガン、そして全身にアンチ「感覚を客観で定義しようとする行為」アーマーを纏うことで誰も勝てなくなるじゃないか。そんなわけないだろ。
どうもAIと話していると分かってくるのが、相手の主張が「私は悪くない」だと思っている点。この相手が厄介なのは「お前も悪い」といっているからであって。仮に相手の非を認めさせてもそれは大抵の場合こちらも巻き添えになるルールのもと(<2>のように)なので勝利にはならない。
私が求める剣とはこちらが無傷で完勝するものである。ないもんかなぁ。
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