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休日に自発的に6時半に起きるという蛮行を敢行。
「(説明的な言葉)現象さ」というフレーズを見るとクーネルエンゲイザーにつなげたくなる呪い。あると思います。
原曲だと「現象だよ」だから正確にはおかしいんだけど、「現象だよ」だとクロノスタシスの方を想起するんだよな。なぜか。
クロノスタシスもクロノスタシスで「現象のことだよ」だからverbatimじゃないんだけど。
最近耳鳴りがひどい。今までも耳鳴りはあったが、ちょっと次元が違う。
キーン……という音が他のすべての音を覆う勢いで鳴り響く。正直怖い。
耳鳴りの原因を調べると「精神的ストレスや睡眠不足、過労」と出てくる。
耳鳴りに限らないが、症状の原因としてこの三つが並べ立てられると正直何も言ってないのと同義だろと思う。腹立たしくすら感じる。
精神的ストレスや睡眠不足、過労て。そりゃそうだろ。自明な議論だよ。意味がない。
もっと具体性のある原因を教えてくれ。
■自明な議論
「栄養バランスの取れた食生活が望ましい」
「バランスが取れている」とは「配分が適切である」という意味です。そして「適切なものが望ましい」のは自明なことです。では具体的にどう配分すればバランスが取れるのかが重要な点なのですが、そこが全て省略されているのでこの発言は正しいけど役に立たない主張です。
https://ronri2.web.fc2.com/kiben28.html
本題。
新都社の自作品のコメント欄を読んでいた。(珍しく)
すると次のようなコメントがありました。
希少性を愛でていただけ、か そうかもしれないよね推し活も何もかも
「希少性を愛でていただけ」というフレーズは作中で登場する。
しかし私はこのような視点まで含めて考えてはいなかった。
推し活は「希少性を愛でているだけ」。なるほど、そうかもしれない。
私はそもそも「推し」だとかに芯から興味がないのでどうでもいいが、推し活ラーの皆さんどうだろうか。
こういう主張を投げかけられた時、人がとる反応はおおよそふたつある。
ひとつ、「いや、そうではない」と頑張って反論する。
ふたつ、ああそうだと受け入れたうえで「それでもいいじゃないか」と開き直る。
今回私はこの「開き直り」の選択肢を深堀りしたい。
一見、筋が良さそうに見える。何事も開き直ってしまえば勝ちな空気がある。
相手は閉口し、それ以上の言及は不可能になるからだ。
向天吐唾の真意 で言及した、自らを縛る呪いを減らす事もできる。いいことづくめに感じる。
しかし私はあえて異を唱えたい。‘cause it’s bad to do what’s easy just because it’s easy。
「開き直り」という選択肢が有効かつ正解性を帯びる時というのは限定されている。
正解例のもっともわかりやすいものがこれ。
死球を見逃したアンパイア どうせ公正じゃないのならば
僕はせめて味方でありたい 信じられないならそれでもいい
『リビングデッド・ユース』
これが正解例。正しい、健全な開き直りの仕方。
これを「推し活は希少性を愛でているだけ」という言及に、(論点先取を主張せず認めたうえで)「それでいいじゃん」と開き直る行為と比較する。
端的に言うと、前者は自分をより苦しめ、後者は自分をより楽にする。
故にこの場合の開き直りは誤りなのだ。
一番わかりやすい形で例を示す。
あなたはナイフを持っていて、誰かを刺し殺そうとした。
それを咎められた時、「確かに殺そうとしたけど、それでもいいじゃん。失敗したんだから」と開き直った。
これが誤った開き直りであることは誰でも分かると思う。
ものすごく単純化すれば、こういうことである。
死球を見逃したアンパイアへの反抗は、環境がもたらす搾取に抗う運動だ。
一方、「推し活」の例では個人(自分)が行う搾取を肯定しているにすぎない。
私は他人がこの手の開き直りを平然と行っているのを見ると心が痛む。
この「心が痛む」はヴァルジャン的レトリックです。今後あらゆるネガティブな感情は「心が痛む」に還元しようと画策しています。キビボの「かっこいい」と同じ用法といっていい。
もっとも、向天吐唾を避けたいだけなら何事も開き直ってしまうのが一番ではあるが、
しかしはたしてそれが本当に唾なのか、あるいは正当な剣なのか確かめた方がいいだろう。
ディスコードではちょっと話したが、NSFW用のブログサービスをはじめたい。
別にエロ小説を書いたりエロ絵をあげたいわけではない。
やることの性質上NSFWが許容されるプラットフォームが必要というだけだ。
私は、カスのドクターストーンみたいなラボを立ち上げたい。
FC2ブログをやっていた時代、アクセス解析でやたら見られている記事がひとつあった。
「かなりどうでもいい検証」という題がつけられた記事で、「エロによくある描写はどれだけが現実で可能なのだろう?」をテーマに様々な現象の実現性を考察していくものだ。
二次元と現実。
これらには当然、絶対的な壁がある。現実では不可能なことが二次元ではまかり通るのだ。
しかし我々は全知全能ではない。そもそも「現実では不可能」なことを把握しきれないのだ。
例えば二次元の世界では鉄板の「魔法」なども、あり得ないだろうとは思うが
将来現実で魔法が使える世界が来る可能性もゼロではない。
ややもすると、二次元から現実への逆輸入的な世界が今後広がっていくのかもしれない。
そんな中で、あまりにも暇を持て余していた僕が目をつけたのは「エロ」の表現について。
みんなだいすきエロ漫画やエロゲーには、現実ではあり得ないシチュが山程ある。
それは「キモオタがこんな可愛い子に愛されるわけないだろ」とかいう次元ではなく、
物理的に不可能若しくは極めて困難でもやってのけている。
そこで僕は「エロによくある描写はどれだけが現実で可能なのだろう?」という疑問に直面したのである。
我ながら死ぬほどくだらないが、男なんて暇になると結局こんなところにしか行き着かない。
気になったからには検証したみたいと思う。
かなりどうでもいい検証
私は昔からこういうことをよくやっていた。エロの”実現性”についてかなり好奇心が強いのだ。
これを書いたのは2015年、つまり10年前だが、今も変わらず秘密裏にこういう検証はよくやっている。
そしてそれはやがて人体実験となり、pixivに投稿した藤波系のイラストみたく「実験」を繰り返してきた。
これは正しい意味で「叡智」たりうるのではないか。公開した方が世のためではないか。
ということで、まさしくカスのドクターストーンみたいな事をやり続けるブログを作りたい。
調べてみると2NTというプラットフォームが自由度高そうなので一旦そこで検討してみる。
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