241210
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https://www.youtube.com/watch?v=1asPGnLCjec
死亡動機ゎ……。
本当に嬉しい。漏れも東京行こっかな。
最近インターネットを見ていると、いつか唱えた「重み付け理論」の正しさを強く実感する。
重み付け理論とは、言葉に対する重み付けは個々人で大きく異なり、その重み付けのestimationを誤るからコミュニケーションに表面化しない齟齬が生まれるという理論。
我々は意識的にせよ無意識的にせよ、言葉を共有のものと思っている。具体例をあげると、「こんにちは」や「ありがとう」と他人に対して言うことは「死ね」と言うより容易いと思っている。
しかし、そうでない人もいるわけで。信じられないかもしれないが、本当に、他人に感謝するより攻撃する方が”楽”な人もいる。これは彼が歩んできた人生のさまざまな過程による学習結果として、「攻撃的な言葉」が(受動にせよ主体にせよ)氾濫した結果、その言葉を使うことに対する抵抗(=重み付け)が軽くなったからと考えられる。
つまり、「常識的に考えたらこんな言葉を他人に吐くなんてよっぽど怒ってるんだろう・許せなかったんだろう」と他人が考える彼の発言は、実はあいさつ程度の心持ちで発したに過ぎなかったかもしれないのだ。
我々は頭の中に勝手な「標準の重み付け」というものを投影しており、しかし概してはそれは標準などではなく「自分の重み付け」によってバイアスがかったものである。
重み付けは言葉のみにとどまらずあらゆる行動に対して言える。特に文化的距離がある行動に対しては「こんなことをするなんて信じられない・理解できない」というものも多くあろう。(例:自爆テロ、即身仏、拷問史)それは現代的、局所文化的あるいは個人的な価値観に基づいて行為の重み付けを予測しているからで、あっち側にとっては「なんでもない行為」かもしれないのだ。
「この行動をするためにはこの感情がこれくらいの量必要である」という言外の内的常識を「重み付け」と呼ぶ。これが個々人でまったく共通でないために、またそれに気づかず「重み付けの価値観」を人々が互いに強制するために齟齬が起きる。
人を容易に傷つける人、暴言を吐く人は、それがもはや常習化している場合、少なくとも当人のスコープでその行為に深刻性がない。しかし被害者は自らの(あえていうならば、健全な)スコープで受け取った被害の重み付けをするから、「もし自分がこういう他害行為をするとしたら、よほどの恨みがないとしない」というようなミスジャッジが生まれるのだ。
インターネット上でよく起きる例としてはブロックなどがあげられる。ブロックされたということを深刻に受け止める人・そうでない人というのは、自らがどれくらい人を容易にブロックするか、という重み付けを反映させている。ほんの少し苛ついただけでブロックする人もいるだろうし、逆にどれだけ腹立たしく思っても絶対に人をブロックしないという人もいるだろう。そういう重み付けは不透明なのだ。だから行為に対する意図と被害が往々にして釣り合わない。簡単な言葉でいえば「そんなつもりじゃなかった」が多発する。
互いの頭の中にある辞書が一緒ではない、ということを理解しなければならない。寛容性をはぐくむにはそれがまず必須である。よくインターネット上で跋扈するcoping mechanismとして嫌な奴を「動物」だとか「宇宙人」だとか、あるいはもっと低級の生物だと思えというものがあるが、これは非人間化(dehumanization)にあたり虐殺の文法であるからまったく支持できない。より正確かつ健全なアプローチは「重み付けの考慮」である。
今アツいASMR
- こりす
もはやけっこう古株な人だけど音がいい・シチュがいい・声がいいで完璧です。ヘアカット系と肩叩き系が特に好き。
- すかーふ子
人気になる勢いが全盛期のアッシリア帝国くらい速い。完全新人VtuberでASMR3本しか出してないのにほぼそれだけで登録者2万人いく化け物。一つ残らず当たりです。新人のクオリティじゃないんだよなどう考えても。やってたでしょ!?
- yumedori
ゆめどりィ!お前はオレにとっての新たな光だ!!
登録者は上記二人と比べてかなり少ないし、お世辞にも最高級の音とは言えませんが、そのclumsyさと何より本人の人柄というかbearingが光すぎて癒やされ倒します。まあ見りゃわかるよ。https://www.youtube.com/@yumedoriasmr3874
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