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https://takpluspluslog.blog.ss-blog.jp/2014-11-03
通常のワープロやエディタを使っている場合、それは今開いているファイルのどこかに書くべきことなのか、別のファイルを開いてそこに書くべきことなのか、メモ用のファイル(あるいは用紙)に書くべきことなのか。いちいち判断が必要になる。
ちょっとしたことだけど、この「判断」がばかにならない。一瞬考えたために、何を書こうとしていたか忘れることもある。判断を間違って後から見つからなくなることもある。
なぜそういうことが起こるかというと、「ファイル」に縛られているからだ。
全てが一つのアウトラインに入っていれば、思い付いたことは新しいトピックを立ててただ書けばいい。
小さな思いつきの断片をキャッチし、発酵させ、組み立て、最終的な文章に仕上げていくプロセスのほとんどを、ひとつのアウトラインの中でシームレスに行っていることになる。
複数のファイルに分かれていたら、こういうふうにはならない。
これ、まったくもって同感なんですけど、考えれば考えるほどAtomic notesという概念の対極だよなと思うわけです。なればこそZettelkastenってやっぱり歪極まりないんじゃないかと感じる。
Zettelkasten信者ってさ、アトミックノートとアウトライナーを両立しようとしているわけでしょ? スイカと天ぷら同じ丼に乗せてるようなものじゃないか?
複数のファイルに情報が離散するのは創造性を損なうから一箇所にまとめようというのがアウトライナーなら、情報の最小単位でファイルを分割せよというアトミックノートは不倶戴天の敵なはずなんだがな。
ドラフト段階ではアウトライナー、完成品はアトミックノートとでも言うつもりなんだろうか。ドラフトを敷く時点でそもそも完成品はアトミックではない気がするのだが。
まぁZettelkasten自体にアウトライナーの概念が必須なわけではないけど、少なくない人数がZettelkastenを謳いながらアウトライナーもやってるわけで。ムジュンしてるような希ガス。
桜井政博a.k.a.行動力の化身が1993年からアウトライナー信者だったと聞いて揺らいでおります。アウトライナーってええんか? 幾度もタックルしては良さがわからずに逃げ帰ってるんですが。
アウトライナーが苦手な理由に関しては20230825と1209に書いてあるんで省きますけども、どうにも使いこなせないんよな。
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まず最初に見出しを作った方がいいのかな
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コピペ性能について
- やはりここが気になる
- アウトライナーは正確にはplain textではないから、非アウトライナーのテキストとのマージが難しい
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フォーマットの固定化について
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AAも張れやしない
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アウトライナーという箱に縛られるッ
- それ自体が魅力であると考える人もいる
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見やすさについて
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これは、正直、見やすいです
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自分くらい使うのが下手な人間のアウトライナーですら、ただ「見返す」ぶんには可読性はかなり高い
- 通常のテキストと比較しての話ね
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文節に対して過剰な形容や補足が入りこまずにサブクラスターとして表示できるのが大きいのかな
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アウトライナーの機能
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バレットの入れ替えがキモだと思うんですけど、やはり入れ替えるようなことがほぼない
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間に追加するとかはあるっちゃあるけど……
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そもそも話題の区切りなんてplain textで十分できるわけで
- 視覚的に区切りたいなら
---で区切った方が早いし利便性が高い
- 視覚的に区切りたいなら
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そもそもObsidianのアウトライナープラグインのドラッグアンドドロップがバグってる
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結論
- 意味なくない?
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創作について
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キャラクター性のことを今まで軽視しすぎていたかもしれない
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いままでキャラクターは遍く物語の奴隷であり、マクガフィンの容れ物であるとドライに考えていた
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しかしキャラクターが物語を牽引するという作り方もある
- ていうか、仮に理詰めで作るとしても制作過程ではその牽引は必ず起こる
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キャラクター性が固まってないとどう動かしていいのかわからなくなり、結果的にそれがストーリーの進行にも影響する
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どうすればキャラクターを魅力的にさせられるか
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そのキャラクターを深く知ること
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どうすれば深く知れるか
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attempt1: プロフィールづくり
- 一瞬で飽きるし静的すぎてあまり意味がない
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SSを書いていた時代を思い返す
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SSは地の文が存在しないキャラクター同士の掛け合いのみで構成される
- =自然とキャラクター性をよく知れるのでは?
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アイデア:原创キャラでSSを書く!
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アリかもな……これは
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エルシデアンサーキュー、略してエルキュー
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このAUはプワープみたいに世界線無視してすべての部のキャラが行き来できることにしよう
- おおおおおおおおおお!!!!!
- RWBY Chibiすぎる
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今調べたらRWBY Chibiの最初の放送日が2016年5月ってあるんだけどマジ?
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2016年って、ほぼ昨日じゃん
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2012年ごろだと思ってた……
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書いててアウトライナーわずかにわかってきたかも
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はじめっから段落を全部決める必要はない
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ある程度書き終えてから分解していい
- たとえば、この段の元のテキストは「はじめっから段落を全部決める必要はない ある程度書き終えてから分解していい」だったが、書き終えて数行進んだ後に分割して字下げした
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感覚としてはノートを書いているというよりツイートしてる感じに近い
- これが一番しっくりくるかもな
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でも私はツイートをしたくない
- なぜならソーシャルメディアが嫌いだから
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つまり私はおそらく生理的にアウトライナーが苦手なのだ
- ※使う側としてです 見る分にはむしろ見やすい
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新都社漫画の台本を見直した
- 結局、愛についての物語になった
- というか私は愛についての物語しか書きません
- 問題は、愛について語る言葉にどう説得力をもたせるか、というその一点でしかなくて
- そこだけを早20年ひたすら試行錯誤しているのです
兄はこう言った。「小説を、くだらないとは思わぬ。おれには、ただ少しまだるっこいだけである。たった一行の真実を言いたいばかりに百頁の雰囲気をこしらえている」
私は言い憎そうに、考え考えしながら答えた。「ほんとうに、言葉は短いほどよい。それだけで、信じさせることができるならば」
太宰治 葉
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こういうことなんだよね
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それだけで信じさせることができないから、わざわざ十何話も漫画を書いたりゲームを作ったりしてるんです
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つまりお前らがもっとお利口さんなら、創作なんていらなかったんですよ
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ノートを見返していたんだけど、私の記事ってもしかして引用が多い?
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昔の小説から現代のミームまでとにかく引用をしている
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頻出する引用というのもある
- 谷川俊太郎
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言いたいことは大体既に言われているということです
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本当は引用のコラージュだけで発言はできる
- というより今の人間がやっていることは大なり小なりそういうことだ
- 言語を獲得してから二十万年以上の歴史があって、その間に千億近い数の人類がいたのに、言葉が出尽くされていないはずがないとは思いませんか
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絵、意味ない。正確には時間をかけてeye candyを作ることに意味はない。
珍しく、使用した英単語の解説をここでしますが、eye candy(目の飴)とは要するに視覚的な喜びを与えるもののことです。飴玉なんだよ結局。きれいな絵って。飴玉屋さん飴玉屋さん!(kbb)
コードの美醜に凝る人と、「動きゃなんでもいい」という人がいます。
絵において同様の考えを適応するなら、「わかりゃいい」という絵のスタイルがあってもいいわけで。
でも、「わかりゃいい」といっても実際描いた絵が分かられてるのかを証明できる手段が今までなかったわけです。そこでvLLMの登場です。
私が描いた「落書き(ドラフト)」段階の絵を送信しても、今のAIは各要素をほぼ完璧に把握できている。つまり、「わかる絵」にはなってるということ。
無論私も自分が描いているものはわかる。つまり「わかりゃいい」は満たされた。
飴なんていらねえ。食えりゃそれでいい。パンピーが極上の飴玉ひとつを作る時間で、俺ぁ素パスタを5皿作らせていただきますわ。

「わかりゃいい」絵
OC、それはY-shaped chain piercing, nose chain, collarをすべてブッ込んでも赦される魔法の世界。創作たのし~~~~~~~!!
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