240918
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ナツブラ69回、おたみちゃんが「萌え」の定義についてアツく語っていてすごくよかった。今や彼女もVtuberになって萌えのことなんて忘れて「推し」という言葉を使っているんでしょうか。だったらやだなぁ……。
「先生、俺死にたいんですよ」のhttps://x.com/r3nd32__v0u5/status/1746570239909990546は十年に一度の名文だったのに、なんかいつの間にかミームとして使い倒されていて本当に本当に悲しい。今年一番悲しいかも。あんまこのコピペ好きじゃないんだけど今回ばかりはこれを強く思った。
【コミュニティの一生】
面白い人が面白いことをする
↓
面白いから凡人が集まってくる
↓
住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
↓
面白い人が見切りをつけて居なくなる
↓
残った凡人が面白くないことをする
↓
面白くないので皆居なくなる
大切なものに汚泥を塗りたくられて汚されている気分です。人との向き合い方を根本から変えないといけないと思う。借り物の言葉しか使えない人間になるなとは言わんけど、言葉を借りるならその意味と重みをきちんと理解して欲しいね。重くないか、その言葉?(⌒,_ゝ⌒)
鈴田美夜子が愛を「見返りを求めない心」と定義したのアツい。結局そこよな。藤井風もそう言うとる。
しかし君、見返りを求めるとはどういうことかね。能動的に求めることのみを指すのか、心の底で少しでもそれを望めばアウトなのか。だとしたらどうしようもなくないかとも思うわけです。綺麗事抜きにして、己のアクションになんの反応も求めないなんて不可能でしょう。感謝されなかった時に、口に出したり行動にしたりという形で報復をすることはなくても、心の底で少しくがっかりしてしまうのは人間である以上仕方なくないですか。
でさぁ。だとしたら、だとしたらよ。私は、見返りを求められた方が嬉しいかもな。今そういうステージです。一歩進んだよ、倫理バトルのステージが。「見返りを求めない心」の善性というのは、もうほんっとうに心の底から無償であるときのみ成立するんです。bravadoやfacadeとしての「求めない」というアクション、affectationはむしろその人を傷つけてしまう。自らを偽って生き続けるなんて苦しい筈だ。「心で見返りを求めているが口には出さない」では「見返りを求めない心」として成立していない。だって心は求めているんだから。心が叫びたがってるんだ。
「愛してるとは言わないけれど
このまま側に居られたらいい事だから」
嘘をつくな
見え透いて泣ける
欲しいなら 奪えよ
エルロイ 安藤裕子
duality of love。
ようするに……愛がどうだのというのは一面的ではないということです。そもそも愛は病のようなもの。風邪にも歯痛にも同じ薬を出していたら意味ないでしょ。病状に応じて適切な対処があるわけで。「愛は見返りを求めない心」というstaticなルールに縛られて、本当は見返りが欲しいのに頑張って抑え込んで、そんな自分の「みにくさ」を恥じる、みたいな生き方は健康的ではない。欲しいって思っていることは最早仕方がないのだから、求めてみてもいいんじゃないですかね。本当に心の底から見返りなんていらないって思う人はそのままでいいわけで。
こう思う理由としては、「思いは口に出さなければ伝わらない」からです。案外相手方もなにか返礼をしたいと思っていて、あなたに何かを求めて欲しいと思っているかもしれないわけで。その場合ってもう完全なwin-winなはずなんです。ただあなたが一言「欲しい」というだけで。ところがどうでしょう、あなたがその本懐をしまい続けたならば、あなたは叶わぬ願いに苦しみ相手方は返礼できない申し訳無さに苦しむというlose-loseに様変わりする。そしてこのマッチングはきっと現実には可視化されている以上に多く存在する。それは悲しいことではありませんか。
と言いつつ……己のことに翻ってみるとやっぱり怖い。こわい(https://www.youtube.com/live/hfuWUad7NVE?si=QePLql5ckSY557w0&t=3653)
だってさ~。欲しがって引かれたら立ち直れませんわよ。結局その恐怖がまさって、lose-loseになろうとも一人負けするよりはマシだというあさましさにしがみついているのではないか。心が二つある~~~~!!
引かないで、嫌わないで、見捨てないで、そういう弱さに支配されている。相手が先に両手を広げてくれないとハグができない。なぁ酒ねぇ……ワンカップくらい返せねえのかよ!
でもさ(一転攻勢)、気づいたんですが、嫌うとか引くとかって、そんな……必ずしも一発レッドなものでしょうか?蛙化現象なんて叫ばれて久しいが、現実には人との関係って常に浮動しているというか、失われても回復するし回復しても失われるものじゃないか。本当にそこに愛が成立しているのなら、一度や二度のミスでは崩れないものがあるのでは。
……わからない。でも、そうですね。私が思うに、人を「受け容れる」には二種類あって、agree and respectとdisagree and respectがあるんですね。前者は「思想に同意するし、君がその思想を持つ権利を尊重する」。後者は「思想には同意できないが、君がその思想を持つ権利を尊重する」。どっちが尊いみたいな話ではないんですけども、後者って相手方が形を粘土のように捻じ曲げて抱擁してくるみたいな感じなんですよ。前者は違う、もうピッタリはまりあっている、チープな言い方をするなら運命的な出会いということ。
disagree and respectは努力でどうにかなるが、agree and respectは努力では解決不可能だ。深層の部分で理解し合えない者同士がたどり着ける限界点がagree to disagreeである。
私は自分の異常性については深く自覚しているが、それでも、disagree and respect的に「受け容れられ」ても、きっと苦しいだけ。何故ならそれはパワーバランスが不均等だから。相手に合わせるためにどちらかが一方的に努力しなければいけない関係性は息苦しいだろう。
倣って私の望みを言うのであれば、私という鞘にぴったり収まる剣を、シンデレラフィットを探している。自在に曲がる剣ではなくて。80億もいるんだからきっとどこかにはあるはずなんです。
優しさは尊重を補えても欲望は補えない。やさしさだけじゃ恋はつらい。メガネは顔の一部じゃない。あなたはわたしの全てじゃない。さわやかサンシャイン。
なんだか最近手紙のような日記が続く。そういえばもうすぐ彼の誕生日か。流石に今年は何か贈りたい。
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