240825
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親の教育方針って色々あると思うけど、厳しく育てる派閥a.k.a.毒親側の言い分として、「甘やかしたらダメになる」というものがありますよね。
今まであんまりgive it a thoughtしてこなかったけど、よく考えたら実際に甘やかされてダメになった人間の例を一つも知らない。逆なら山程知ってる。親に攻撃的に接され続けた結果壊れてしまった人・自尊心が欠如してしまった人ならごまんといる。では逆は?
そうして気付きました。「親に甘やかされてダメになった人間」って、有史以来ひとりもいないらしい。甘やかして育てましょう、君たちが親になるときは。
もしかしたら”周り”は迷惑するかもね。断髪前のルークみたいな感じで自尊心に満ちた子供に育ってしまったら。自分ファーストの人間に育つかもね。 で? それは子供が自分に生きる価値がないと信じ込み他人の気持ちばっか推し量って窮屈そうに生きる未来と天秤にかけるに値するリスクですか? って思うよわたくしゃ。「親」というロールを持った人間の立場から考えれば、子どもの幸福を最優先に考えるのは当然だし、またそうあるべきだ。何が起ころうとも。キビボの器理論じゃないけど、人間性云々の前に「親」ってそういうロールだと思う。世界中が敵になってもただ一人その人間(我が子)の味方であり続ける存在でなければいけない。
子を連れて西へ西へと逃げてゆく
愚かな母と言うならば言え
俵万智
俵万智のこの短歌が昔から好きでね。震災当時お子さんと仙台に住んでいたのが、福島第一原子力発電所の爆発事故から避難するために、石垣島に移住したんですね。放射能汚染についての情報は錯綜していて、こんなふうに逃げる事も薄情だという声がかかることもあったようだ。そこに対しての、この、親のアツい一言よ。かくあるべきだね。世界も倫理も知ったこっちゃねぇや、我が子を守るのみ。
サーバーですが、旧鯖民が割と来ており、であれば購読者の中にいたのだと今更気づく。インビジブルラブかい。みんなシャイよね、本当に……。でもよいです。もう愛の伝え方がどうとかいうステージはとうに過ぎた。私はすべてを赦し、すべてに身を任せています。
米津玄師が直近のインタビューかなにかで言っていたと思うんだけど、「あなたがこう思うかもしれないという気持ちを自分なりに汲み取って、慮って、私はそれにこう答えるよという姿勢を見せるところまでが『個人』としての自分にできることで、その姿勢をあなたがどう受け取るかは自分の預かり知るところではない」という考え方がやっと身に沁みてきた感じです。追う人は放っておいても追ってくるだろうし、離れる人はどう頑張っても離れるものです。
「今いる人を大事にする」という考え方は、選民思想的で嫌いだったんだけど、よく考えるとこの「今いる人」って、個人を指定しているのではなくエリアで指定しているんですよね。つまり誰だって後から「今いる人」の中に入る事ができるし、逆に抜け出す事もできる。ということは別にそれはアパルトヘイトとか優生学のような個人のアトリビュートで選民をしているのではなく、状況や関係性に応じて流動的に変わる範囲の中で選んでいる。
「自分は変わる」という諸行無常を呑み込んだ以上は、特定の誰か(たち)に固執するのではなく、その時々で大切にすべき人が自然と決まる・変わっていくということも受け容れなければならない。「生き続けることは失うことだった」。ロストコーナー状態。それを「まあ、それはそれで」とbrush offすることができるようになった米津玄師を私は美しいと思う。
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