240823
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哲学書にしてもライプニッツのモナドロギイが反訳になつてゐる位だから、凡そ今の人間の言語で言顕はす事は、どんな事でもエスペラントで言はれぬといふことはない、それでゐて殆ど研究といふ程の研究をせんでも分るのだから、それから推してもエスペラントの将来は実に多望だ。十年二十年と経つたら、今より数十倍応用の範囲が弘まり、五十年も経つたら、各国の小学校の必須科目になるかも知れん、現に既に必須科目にしてゐる地方もある位だから、そりや然ういふことになるかも知れん。
二葉亭四迷
大外れでしたね。。当時は本当に世界語になるという希望が、大望があったんだろうなあ。エスペラントの現代の立場については各人思う所はあるでしょうが、どう贔屓目に見ても「世界共通語になる」という当時の目標においては明白に失策してしまったのだからいかんともしがたいね。
https://mos.fanbox.cc/posts/8425169
モスー氏、活動辞めるってよ。悲しいなぁ……(諸行無常)
モスコードも爆破するらしい。一応ずっといたんだけど、SCE2というあの大名作を作れる人間でさえここまで精神も肉体も病んでしまうものなのかと何だか無性に悲しくなった。富も名誉も意味はないね、まるで。
ディスコサーバーを作る
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「通話がしたい」と思っても、そのタイミングに空いてる人がいなかったり、逆に相手方が話したいときに自分がいなかったりということがよくある
- あるいは私が別の人と通話中に「今通話できますか?」的なメッセージが来ることもしばしば
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=現状、時間的ミスマッチが多発している
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フレンド全員に「今通話したいです!」的な通知を送れたら一番効率がいい
- でも実際にそんなことはできない(ヒットした人以外を後から断る必要が出てくるので)
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サーバーを作れば合理的な一斉通知が可能なのでは?
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チャンネル作る→「つわぼ」的通知→いる人がいればヒットする!
というわけで三度目の正直です、サーバーを作りました。
招待リンクは7日でリンク切れするので注意
過去2度のサーバー設立を通して私は多くのことを学びました。ちょっとプレゼンさせてください、いかに今回のサーバーが堅牢なのかを。
過去の失敗
【張り切りすぎ】
サーバー設立に限らず、ゲーム制作にしてもなんにしても、初回あるいはそれに類する回というのはとにかくハリキリがちです。チャンネルやロールをいっぱい増やしてみたり、扱い方も知らないBOTを導入したり。これがまずファースト&コモン・ミステイク。
使いやしないんですよ、チャンネル増やしても。手に余るとはこのこと。誰も興味ないし、そのぶん人口が分散するとも言えるので小規模想定の鯖ならやるだけ無意味。
今回のチャンネル数は管理用(ルール告知など)を除けば2つだけ。メチャ小規模。最強。ロールなんて機能ひとつもない。BOTなんてひとりもいない。これでいい。
【参加者の負担を考えなさすぎ】
サーバー運営者として、サーバーが盛り上がっていないと寂しいというのは非常にリーズナブルな感情ではありますが、参加者からすれば知ったこっちゃない話である。運営が変に空回りして企画みたいなのを発布しまくったり、参加者にやたら絡みに来たりというのは、気持ちはわかるがどう考えても悪手。
というわけで今回は参加者の負担ができるだけ少なくなる構築。参加挨拶ももちろんいらないし、なんなら一度もポストしなくていいレベル。なぜなら本サーバーの主目的は「通話相手を探す」ことにあるから。
例えば私がつわぼチャンネルに「◯時から通話募集します」とだけ書く。するとその時間帯に通話する意志のある方は、私に、チャンネル経由ではなくDMで「どうですか?」みたいなことを送ればよい。(別にチャンネル経由でももちろん良い;DMのがユーザーの心理的安全性が高いかと思うだけ)
このようにヒットした場合、私はチャンネルの方で「相手が見つかったので〆ます」的なことを書き込んで募集を閉じれば、前述した「全員に送ったらヒットした人以外を後から断る必要が出てくる」という問題を回避できる。
もちろんこのシステムは対私だけでなく、他のユーザー同士で使ってもらっても良い。まぁそれはどちらかというと参加の負担を増やしそうだが。
つまり、言ったように「幽霊部員」の状態でも機能する、リキ入ってないゆるめのサーバーなのだ。
話したい人たちだけが話せばよい。気後れする人はそのままでよい。通話目的で作ったとはいったが、別に通話したくなくともいてよい。フリーテキストチャットチャンネルがあるからそこで話してもよい。話さなくてもよい。inclusion, people, inclusion。圧倒的自由。
過去のサーバーを爆破してしまったのは、私がまさにその「負担」に耐えられなかったからです。サーバーとは言ってしまえば規模の小さなSNSだ。そしてSNSは人の心を害するものです。モスー氏も同じveinで心を病んだ。
極限までSNSとしての機能を削ることがむしろ我々の身を救うことになるのではないだろうか。そんな実験的なサーバーとも言えよう。
【最近の謎】
「お腹が鳴るのが恥ずかしい」っていう常識(らしきなにか)あるじゃないですか。あれが全くわからない。本当に。全く。1ミリたりとも。何一つロジックが見えません。いくら仮説を立てても説明がつかない。
仮説1: お腹が減ったとバレるのが恥ずかしい
これはまずありえないよね。「腹減ったー」くらいのフィラーは、親しき仲ならもちろんのこと、そんな仲良くなくても容易に使えるくらいハードルが低い技です。どのみち意味わからないし。というわけでこれは却下。
仮説2: 身体から音が鳴るのが恥ずかしい
「げっぷ」や「おなら」と似た理論でこれが本命だと思っていたんですが、こう考えてもやはりおかしい。だってさ、「ため息」は恥ずかしくないわけでしょ?鼻を啜る音とかも、(程度の差はあれど)別に誰もそんなに避けないじゃん。くしゃみは避けるけど。あと「指を鳴らす音」とかも別に誰も恥ずかしいとは思わないし。
「自分で制御が効かない、内蔵部から出る音」と括るとほぼ仕分けは完璧にできる気はするけど、だとしてもなぜ「自分で制御が効かない、内蔵部から出る音」を恥としなければならないのかわからない。制御が効かないなら不可抗力ってことでしょう。また、お腹が鳴る音に関しては他と違い気体を放出しない。空気を振動させるだけです。おならは臭気という(考え方によっては)悪影響を及ぼすし、くしゃみは細菌をばら撒くけど、お腹が鳴っても何も起きないじゃん。
ちなみに「げっぷ」は海外では日本ほど恥ずかしいものとは思われていない。西洋のカートゥーンアニメとかで割と普通にゲップサウンド聴くでしょ。恥ずかしさゼロってことはないかもしれないけど、日本の1/100くらいだと思う。
あと同様の理屈で「喉が鳴るのが恥ずかしい」もわからない。まあこれはそもそもやや少数派だとは思うが。
仮説3: 集団の中で音を出す行為自体が恥ずかしい
たとえば、クラスで授業を受けていて割と静かなタイミングでひとり勝手にお腹が鳴ってしまうのが恥ずかしい、とか。これなら全然わかる。目立っちゃうからね。でもこの仮説は否定されているんです。なぜならYouTubeのソロ配信者とかが雑談配信中とかにお腹が鳴った場合でも同様に羞恥反応が見られたから。つまり少なくとも仮説3が主要因であることはない。クラスルームで配信していたのでない限りは。
何度考えても「そういうものだから(養老理論)」という思考放棄の末に刷り込まれた異常常識のようにしか思えない。こういうのこそ洗脳っていうんじゃないかなあ。
ちなみに海外だとお腹が鳴るのは恥ずかしいことなんだろうか。これは、ちょっと知識がない。全然恥ずかしくなくてもおかしくないとは思う。そもそもStomach growlingという用語自体をあ~んまり見かけないし、英語で検索しても割と日本語の記事の英語版がヒットしたりするから、そもそも誰も気にかけてない可能性が高い。
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