20241221
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今一番アツいSNS。人口さえいれば。Xが全員ここに移住すれば面白い世界が出来上がりますがね。でもそうはならなかったのだから仕方ない。
忘年会で会話力の低さを痛感。会話力を鍛えたくなってきた。会話ってマジでどうやんの?人の悩み一位じゃない?
でもなんか……自分のことを突き詰めていくと、結局会話にそんなに興味がないんじゃないかという気もする。会話で得られるふしぎな多幸感だけが目的で、内容には一切興味がないというか。でもその多幸感を得るにはラリーが必要で、ラリーをするには技術が必要という。
会話に興味がないというのは、状況証拠から導かれる推論で、つまり人に興味がないということです。たとえばこのようなケースを想定してみましょう。
「お風呂に何分くらい時間かけますか?」
この質問、一見相手に興味を示しているようですが、少なくとも私がこれに類するような質問をするとき、殆どの場合それは標本数あつめに過ぎず、いま話している相手という「個人」に対する興味から出たものではない。ビッグデータの一部としての情報が欲しいだけです。
同様にして私の頭に浮かぶ質問たちは、頑張って捻り出してなお個人に対する興味ではなくジェネラルな情報あつめに過ぎず、Googleで検索するようなものなので、返答が返ってきた時点で「ふーん」で終わるわけです。そこでもう必要物の獲得は終了しているから。個人に興味があれば回答から質問を発展させられますが、興味がないので打ち止めになるのです。
だから私がとれる術としては、「相手に興味を持つ」か「興味を持っているフリをする技術を身につける」かの二択なんですが、どちらも困難。
というより、聞き出してまで知りたい事柄がないという方が近いのかな……。たとえば私は故・谷川俊太郎、mononokeなど、尊敬する人物や興味のある人物が多くいるが、実際彼らに面と向かって対面できたとして、質問が湯水のように浮かび上がるかといえば疑問だ。ひとつも浮かばないことさえあり得る。というより、そもそも会話はクイズではないのだから、必ずしも質問である必要はないのです。
その点において、私はアウトサイドがフィールドならばそれなりに飛び道具を使えます。外にいれば多くのものが目に入ります。天気でもいい、雲の模様がどうだとか青空が澄んでいるとか、紅葉がきれいだねとか、あの看板はなんだとか。割とけっこう繋げます。しかし見知ったインドーアだったり、あるいは電子上の通話だったりするとそうもいきません。外部刺激には逃げられない。じゃあクイズになるしかなくないか?
独り言を着火剤として発火させる、という手もあります。相手にそれなりのレシーブ力があれば、突然「お腹すいたー」とか「ねむーい」とか口走るだけでも始まりは作れるかも知れません。しかし、互いのラポールが築かれていなかったり、どちらかのレシーブ力が不足していた場合はこれも実りません……。
だから結局、やはり私は会話というゲームそのものに興味がなく、その結果として得られるオキシトシンが欲しいだけなのだという結論に至る。どう考えても。とりわけ共通項が少ない相手に対してはそうならざるを得ない。
たとえば職場にいるHくん。彼と私は「共有知識」が多い。共有知識とはすなわちコンテクスト。詳細な説明を要さず、フレーズによって合言葉のように通じ会える、広義での教養です。
たとえばある日、彼はネックウォーマーをつけて職場へ来ました……口元をすっぽり隠した状態です。それを見て私は「え?呪言師?」と言いました。その一言で、彼は私が何を意味したのかを解釈できる知識を持ち、またそれに準じてウィットの利いた返答ができる能力があります。だから彼はすぐにこう答えました。「おかか」
……これはHの技量にキャリーしてもらっているだけだな。でもそういうことです。私は彼が呪術廻戦を知っていることを知っているし、彼も私がこういうくだらないジョークをよく言う人間であることを知っている。共有知識があることがわかっているから、これくらいの球なら打ち返せるだろうという予測が立てやすい。麻雀的に言えば「現物」があるのです。
ところが共有知識がない人相手にはそれがない。どこに地雷があるかわからないし、何を知っていて何を知らないか分からないから、投げた球が打ち返されるのか全く読めない。
というか、俺もうこういう会話しか心から楽しめねえんだわ!!!!!(https://youtu.be/1cML151SPrM?si=jJVir3Ej9Jbdv8M8&t=802) クソ・オタクのダイアログしかよ。ずっとそうでした。そういう会話以外のやり方を知らないんです。今から助かる方法あるか?残基無限の子供時代にコミュニケーション練習しとかないと詰みますよねこのゲームゎ。
いや待て、ビークール。ゲーム性をあらためて検証しよう。
嫌われたくない、というのは全人類共通の思考だ。会話においても常にそれが頭を擡げる。しかし、大なり小なり嫌われるかもしれないというリスクを取らなければ関係性は大きく前進することはない。もっとも嫌われるリスクが低い行動は一切かかわらない・一言も発さない・植物のような存在になることだろう。後退もなければ前進もない、それでは意味がない。
事実、植物のように周りとかかわらない人間と、人格破綻者だが発信力・行動力がある人間ならば、後者の方に圧倒的に人は寄っていく。だから人の気を考えるなというわけではないが、会話というゲームでのトップメタは発信する力・あるいは引き出す力だ。
よく聞き上手こそが最強みたいな理論を見るが、聞き上手というのは要するに「相手から言葉を引き出す力」が極限を振り切れた人であって、機械に油をさすように、杵が臼をつく狭間に手を入れるように、最小限の動き(発声)で相手に発言を強制する誘導力を持っているということです。ただ黙ってうんうん聞いてるだけとはわけが違う。つまりどっちにしろアダプテーション、(https://youtu.be/1qMWEVuQPCc?si=mSbgv8qoyYFCjt9U&t=586)発声しないといけないんですよね。
会話というゲームを気兼ねなく練習できる相手がいたらいいんですけどね。気兼ねなく。つまり……関係性が現時点で軽微であるのに、それが破滅しても問題ないような、仮想環境のような都合のよい相手……それこそAIでいいんだが、現状のAIではヒト相手の会話練習の代役にするには(少なくとも日本語では)ちょっと性能が心もとないのが現実である。
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