20231224
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クリスマスイブなので「愛とは何か」を考えていました。百二十八時間の思索の末、導き出した結論だけを書きます。
愛とは、「何が自分を救うか」という問いに対する各々の答えの表現の仕方である。
愛は、ほんとうは自分にしか向けられないものなんです。すべての人間とのつながりはいずれ消える。無二の親友とも疎遠になり、恋人とはいつか別れ、永遠の愛を誓いあった関係もその三分の一以上は離婚に至る。しかし、自分との関係だけは死ぬまで絶対に千切れない。自死を選ばない限りは永続する愛。これは終了条件ではなく継続条件です。つまり、死んでいない限りあなたの全身はあなたを愛している。
自分以外のすべてに向けられる愛っていうのは、**反射(reflection)**なんです。本当の愛っていうのは自分の中にしかない。
全存在に向けられる無条件的絶対愛というのは、自己を全と捉えることで成し遂げられている。言い換えれば、自己愛がそのまますべてへの存在に”反射”されることで成立する。
家族愛も、情愛もそう。対象を「自己の一部」と捉えるから愛おしく離れがたく、その人の為なら自分の身さえ捧げられる。自分の子供を無条件に愛せるのは、それが「自分」の一部だから。人間が本当に無条件に愛せるのは自分自身、エゴだけ。エゴの定義を限りなく広げられた者、「あなたはわたし、わたしはあなた」「みんなひとつ」に辿り着いた者が結果としてアガペーに至るのです。
愛とは範囲が広がったエゴイズムだ。たとえば車に轢かれそうになった見知らぬ子供を身を挺して助けたとしても、それは結果として利他行動になっただけで、本質は自己救済のための「儀式」である。それは自己規範に恥じない生き方をしたかったからかもしれないし、神さまの言いつけだったかもしれないし、愛する人との生き方の約束だったかもしれない。あるいは贖罪だったかも知れない。動機はどうあれ、なんらかの形で自己の魂を救済するという目的でしか発現し得ない。
だから愛は、「何が自分を救うか」という問いに対する各々の「答え」の表現の仕方なんです。他人を傷つけてでも自由に生きることこそが自分を救うんだと思っている人は他人から見て愛情乏しく見えるし、逆に他人を助けることこそが生きがいなんだと考えている人は愛情深く見える。愛とは現象。
またこれは見た目だけでなく実際にそうなっていく。聖書は「口に入る物は人を汚しません。口から出るもの、それが人を汚すのです」と説いている。これはまさしく愛の話で、愛をどのように捉え、表現していくかという過程で「自分」という存在が固まっていくということなんですね。
というのが昨日時点の結論だけれど、これはきわめて全体論的で「愛」というものの次元性を捉えていないのでまだまだ荒削りですね。あと思索過程を大分すっ飛ばして書いたので分かりづらい部分も多いと思う。まあまあ。
一昨日エロ漫画家になりたかったという話をしたが、逆に世のエロ漫画家は何を原動力にして描けているんだろう。本当に気になる。
「そんなの性欲に決まってるじゃないか」と言われるかも知れないが、性欲、というか、horninessって情動ですよね?情動ってすべてtransitoryなんですよ。つまり、永続しないし、好き勝手に引き出すこともかなわない。こんな不安定なものを、「漫画」なんてtime-consumingなものを生み出すガソリンに使えますか?
気が乗っている時はそりゃ、それでいけるかも知れないけど、”気”に操縦桿を預けていたら漫画の完成なんて何ヶ月かかるかわかりませんよ。
春画はほかの絵画とは性質が違う。他の絵は気が乗っていなくても描こうと思えばまぁいけるけど、エロは「気が乗っていなきゃ」描けない。なんでもないときに描こうとすると気分が悪くなるはず、少なくとも私は。
じゃあ金か?金を原動力にエロを描けるだろうか?いや、結局気分が悪くなるという問題を解決出来ない。承認欲求か?……。本当に分からん。きっと答えはもっとシンプルで、描きたいから描いてるってだけなんだろう。
私だって描きたいという気持ちは人並みにあるつもりだ。ただ、どう考えても必要な労力が甚大すぎる。「ドーナツ食べたいな~」って思って、徒歩10分圏内とかにミスドがあればふらっと足を運ぶかもしれないけど、車で2時間走った先の断崖絶壁の丘の真上にしかミスドがない世界だったら行けないでしょう?今私が立っているのはそういう荒野です。皆どうやってそこを乗り切っているんだ?画力の巧拙の問題じゃなく、どれだけ上手くなろうが時間はかかる。
エロ漫画家の人、見てたらその辺のTIPSを下さい。……まぁ、「描くこと」を時間消費の手間としか考えていない時点で私は資格がないのかも知れませんね、フフ……。
橘田いずみという声優が好きだった。ここ数年まったく作品に出演していないことに気付き、調べると3年前留学先で知り合ったイタリア人と結婚したらしい。それ以降音沙汰がないって感じ。昔の私ならこういう幕切れをどう思ったかは知らないが、今の私なら心から「幸せならOKです」のサムズアップを捧げられるだろう。それでいいんです。いいんだよ、忘れて。「何があなたを幸せにするか?」の答えは変わり続ける。そのたび適応していけばいい。それでいいじゃないか。カメラには映らなくなっただけで、彼女たちの人生は続いていく。ただ私たちが覗けないというだけ。
正体不明の「死」を恐れるように、我々は見えないものを恐れる傾向にある。覗けなくなった誰かの人生を恐れる。私はそれを「執着」と呼ぶ。掴んだ手、解き放て、空の果て!
明日はサードアルバム公開日ですね。特に言うことはありません。米津玄師が本名名義で初めてアルバムを出したときの言葉が地味に好きなんだけど、今似たような心境です。
https://twitter.com/hachi_08/status/196622198566432769
よきクリスマスイブを。
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