20231215
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「グダグダ」という言葉がわからない。意味は何となく分かるが、現象としてよく分かってない。一般に悪いことであるとされているのは分かるが、私は「グダグダ」と形容された場面にネガティブな感情を抱いたことが一度もない。グダグダと平和ってどう違うの?
しまりがない、めりはりがない、または、収拾のつかない状態。気抜けしているさま。だめだこりゃ、という状態。
尚更わからなくなった。やはり平和との違いがわからない。
まぁ、ゆずソフトの中盤がグダグダ、と言われたらなんとなく分かる気もするが。でもグダグダってそんな長尺の状態に使われない気がする。ほんの数分の状態とかの方がむしろ使われないか?tediousを示す言葉なのに寧ろ刹那的な用法が多いのがよくわからない。
ひとつたしかに言えるのは、私はグダグダを愛している。声優のラジオとかでグダグダになった時が一番好き。「グダグダだぁ~w」って笑い合える世界が一番美しい。
3500くらいブックマークされてる小説書いてる人のXのフォロワー数が4とかでぞっとした。絵師との格差がひどすぎる。
観測した限り、人間をゲインしやすいのは絵師が圧倒的で、フリーゲーム制作者や物書きには全然寄らない。理不尽だ!と思ったが、よく考えればX上で完全に作品を貼り付けられるのはこのうち絵だけなので、作品を見るためにフォローするという目的ならば当たり前であった。140文字じゃ小説は書けないしゲームも貼れない。
エゴサ中毒の人を「自分大好き人間」と呼ぶことがあるらしいが、逆じゃないかと思われる。自分のことばかり考えてる人って自分に自信がないのですよ。他者承認を求めて徘徊してるんだから自分大嫌い人間の方が適切じゃなかろうか。「自分大好きになりたい人間」としてもよい。

「インターネット」1位。
絶望できる作品が好き。心が傷つけられるような作品が好き。と言った時に、悲観主義者だと思われると心外である。
私が求むるは過程としての悲劇のみ。そこで存分に傷つき絶望するからこそ乗り越えた先の希望が輝くのだ。(狛枝並感)
しかし絶望と一重にいってもやり方の巧拙はある。たとえば『チェンソーマン』のような絶望は二流。今年うまかったのはやはり9-nine-4章。本当にしんどかった。
『いちご100%』で心を破壊され、nineでも破壊され……。最高やな!😁
シナリオが面白すぎてやめるタイミングを見つけられずに徹夜してしまったこと、みなさんはありますか?私はあります。当然あります。むしろその感覚を味わいたくて今でもこうして美少女ゲームをプレイしているといっても過言ではありません。 そして当然、本作でもその感覚を味わえます。続きが気になって眠れないよ~><ってなります。 最近あの感覚味わえてないな~と思った人、ぜひともプレイしましょう。そして寝不足になりましょう。
https://ch.dlsite.com/matome/179134
コレメンス。ノベルゲーだとEver17以来の感触だった。翌日仕事あるのに全くやめられなかった。
https://huggingface.co/spaces/jbilcke-hf/ai-tube
早くAItterを作ってください。技術的にはかなり楽なはずなんだが。自作しようと思えば出来るけどサーバーを用意するのが大変だからやだ。
動画編集ソフトについてですが、ゆっくりムービーメーカーというのがあるらしい。見た感じ使いやすそうだしlow effort memeにはうってつけか?
攻撃的というのは防衛的という意味でもある。インターネットに溢れているのは悪意ではなく怯え。だって悪意らしきものを撒き散らす側も、インターネットの悪意体質にうんざりしているのだ。悪意が憎いのに悪意に縋る。それはさもなくば悪意に刺し殺されると怯えているから。
攻撃的な人々の人生満足度が軒並み低いことを考えると、やはりこれが真実な気がする。寂しいだけなんよ、みんな……。やっぱり世の中が悪いと思う。「世の中」と集合個人って別個なんだよね。世の中を作り出すのは人々だけど、人々を操るのもまた世の中なのだ。一度生まれた世は簡単には変わらない。たとえその中に生きる全員が違和感を覚えていても。
それにしても都が福圓美里だったという事実が未だに衝撃。もしかするとそんなに珍しくない役柄だったのかもしれないが、私にとって福圓美里といえばラングレーとかキュアハッピーだったから……。あとミジュマルもか。あんな繊細な役もこなすとは。
「20歳の時は声優業の傍らウェイトレスのアルバイトもしていた」って、もう都やん。阿部敦くんもほぼ翔だし、二人プライベートのガチ友だし、尊すぎるな。
呪術廻戦1期全話見たけど特に感想ない。ハンターハンター履修済だとどうしても節々がパクリに思えてならない。本当はそんなこと思いたくないのに……。東堂ほぼゴレイヌじゃん。
作品の密度を定量的に測る方法ってないんでしょうかね。例えば呪術廻戦はかなり見やすかった、24話が本当に一瞬で消化された。鬼滅の刃の時と似てる。これは言い換えれば24話*24分の中身がスカスカであるということです。
スカスカとはどういうことか?言語化しづらいんだけど、中身がないというよりは密度が薄い。すべての物語をテキスト媒体に移植できると仮定した際に、他の24*24と比べて書かなければいけないことが少ないということ。他っつっても比較対象にはよるでしょうけど。『デスノート』みたいな密度の塊と比較すればわかりやすいか。24話といえばLが死ぬ直前までのエピソード。あらすじをテキストに起こすと絶対に呪術廻戦の24話分の方が少ない。これがざっくらばんにいえば「密度」。
……いや、違うな……ごめん、書いてて違う気がしてきた。密度っていうのは、媒体に依存しないコンテンツの質量っていうか……。「アニメ」「漫画」「ゲーム」「小説」みたいなカテゴリそれぞれに係数があって、コンテンツの質量Xに係数をかけるだけでこれくらいの尺になるだろうというのが換算できるその元の形。木のままのやつ!(https://youtu.be/MRVM6gkWZLc?si=77oD6Ggn_nJGdqS6&t=343)
例えば係数の方はある程度分かっている。アニメの1話は週刊連載漫画の23話分と言われている。大体ページ数でいえば43ページくらいと概算できる。3話相当という話をしたけど、2~3話なんて24分もかからないでしょう。しかも漫画のアニメ化って殆どの場合ある程度シーンがカットされているから、もっと減らされてることになる。つまり同じ密度xを消費するのにかかる時間がアニメと漫画で違う。
このcompatibilityが一番安全そうなのがテキスト媒体だからテキストを例にしたんですけど、なんか、もう、そういう話じゃないんです。「密度そのもの」の実数値。デスノートが10だとしたらチェンソーマン第二部は1みたいなそういう何か。長さの絶対値じゃなくて、始点から(現時点の)終点までの密度の平均値のようななにか。
雲をつかむような話ではあるが、確かに存在するはずなんですよ。そういうものが。で、多分アニメって係数がでかいのよねそもそも。係数が大きいというのは、同じ密度を消費する時間量が多いというか……。さっきアニメの1話が漫画の2
はっきりしているのは、小説>漫画>アニメくらいで燃費がいいということくらい。その他のことは本当に霧中。この辺もうちょい研究したい、ていうか誰かもうしてないのか?
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