20231127
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自分は何があっても人にお金を貸さないという信念を持っている。なぜかって、お金を貸すという行為は双方にとって帰結未定のデバフをもたらすから。
期限を設定することに意味はない。踏み倒されるおそれがある。催促するにしろ忘れるにしろ、「あの時貸した金」に脳のリソースを割かれること自体が、もう貸した額以上のダメージを及ぼしている。
また、借りる側も借りる側で「返さなくちゃ」という想いを片隅に抱えながら過ごすのはつらい。本当に返すにしても踏み倒すにしても。借金体質の太宰治は「待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね」と言い放ったそうだが、よく馬鹿にされる言葉だけど彼の目線に立てば一理あるのだろう。実際に太宰が「待たせる身」をつらく感じていたということだから。
だから、貸すのは駄目だが「あげる」のはよい。私は人に金を貸すくらいなら差しあげる。返さなくていい。慈善なんかじゃなく、そっちの方が絶対的に健康的なのだ。あげた方がオキシトシンの放出量も上がるだろうし、リスク管理を考えるとトータルで見て金額分より得をすることが多い。
私は副詞の使用頻度が高すぎる。副詞は文体を修飾するもので基本的に文意を大きく変えないので、できるだけ控えた方が好ましい。多すぎるよりは少なすぎる方がいいはず。ただ既にこの文章を書くだけでも「基本的に」や「できるだけ」という副詞が入っている。しかしこれらは修飾というより予防線として機能させるための設置物な感じもある。副詞をすべて除いた場合、文章は常に断言調になってしまう。「ばあい」の設定ができなくなるのだ。
- 時々私はパンを食べる。→私はパンを食べる。
- ジャンクフードはできるだけ控えた方がいい。→ジャンクフードは控えた方がいい。
これはこれで炎上率が上がるだけな気もする。
「まあ」とかフィラーに近い接続詞が多いとsophisticationが下がるので控えたい。
昨日「口の悪さ」が及ぼす悪影響についてお話しましたね。これは考えれば考えるほど奥が深い問題です。口が悪いのはいけない、というのは大前提として、誰も好きで口が悪くなっているわけではないというのも事実。「じゃあどうすれば直せるのか?」という所まで見ていかなければならない。
そもそも文体が人に与える印象って千差万別なんですよ。状況にもよるし、文意との複合要素にもよる。例えば敬語は無難に思えるかも知れないが、「高圧的」あるいは「衒学的」と捉えられる事もある。キレると敬語になり始める人とかもいるしね。敬語なら悪意がなくなるかというと全然そんなことはない。
色々文章を見て研究してきたけど、多分この問題は減点法だけで解決するのは難しい。要素が多すぎるから。加点法と合せ技で考える。
基本的に広義での「口の悪さ」に繋がりやすいのは以下。
-
命令調
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「~してくれよ、~しろ」>「~してください」>「~してみましょう、~してみませんか?」>「~してくれたら嬉しいです」のような順で高圧度が下がる
- 数学の問題文か?
-
行き過ぎると慇懃無礼になるので注意
-
-
レッテル貼り
- 特定のグループをまとめようとする行為。大きな主語。
逆に、多くのケースで口の悪さを軽減するのは以下。
-
顔文字、絵文字
- フォーマルな場では使いにくいが、それ以外のすべての場において「感じの良さ」への強力なバフ効果を持つ。
-
ユーモア
- 適度にself-deprecatingであるとなおよい。
- 自分がウケるためではなく場の空気を回復する目的で試みられるユーモアは、笑いをとっても取らなくても基本的に好印象に終わる
感じのいい例文
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1292593447
人柄もありますし、態度もあるので一概には言えないんですけど そういう人は大抵 はきはき話す人が多くて語尾をしっかり言い放ちます。
なになにですかっ?
なになにしておきますね!
少しのばしたら柔らかくなることがありますよ(^o^)友人の女性にもいるんですがやらせたら少しゆったりした印象でした。
ですかその人の個性もあるので友人は強い言い方の方が本人らしくて僕らは好きでした(笑)仕事で困らなければ自分をだしたほうが周りにいっしょにいてくれる人は案外好きですよー
すいません適当で(°∇°;)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question\_detail/q1292593447
これ、ほぼ完璧じゃないですか?読んでびっくりした。
「敬語が高圧的だと言われるんですが、どうしたらいいんですか?」という結構回答が難しいお題に対して、ここまで華麗にベストアンサーを叩き出せる人がいますか?
文体が及ぼす効果を研究する上でかなり優良なサンプルなので、細かく分解してみましょう。
まず、バフ管理が優秀。顔文字や語尾和らげモジュールを使いつつも時と場合の見極めが絶妙。
顔文字は使っているが二回だけ。しかも可能な限り間隔を開けている。このバランス感覚がまず良い。顔文字は優秀なムードメイカーだけど、乱用すると鬱陶しく感じるしあざとく見える。
使っている顔文字も至ってシンプルなもので、特殊文字とかは使っていない。
また、諸刃の剣として名高い「(笑)」も、まったく嫌味臭くならない文脈で華麗にキメている。(笑)って使い古された表現ですけど、上手く使えば未だに効果的なんですよね。
さらに、語尾の調整も絶妙。「ー」「!」「~」「(顔文字)」などで終わると語調を和らげるというのは有名だが、実はそれ一辺倒では強弱がつかずに効果が薄まるのです。オモコロチャンネルの個別特殊衣装回は面白いけど、全員集まったら”虚無”になったのと同じ理屈。
この人は文章ブロックの初手を基本的に「。」ではじめ、その後徐々に崩していくというスタイルを取っている。第一印象をニュートラルにしておくことでデッキ展開がしやすくなっている。
さらに、攻撃的にならない言葉選びと予防線が絶妙。ディフェンシブに見えない程度に、しかし確実に入れてきている。
明確に予防線といえるのは以下ふたつだが、驚くことにまったくいやらしさがない。
人柄もありますし、態度もあるので一概には言えないんですけど
すいません適当で(°∇°;)
後者がいやらしくないのは比較的理解しやすい。「謝罪」と「顔文字」という二つの好印象モジュールを付与しているからだ。また文末というのも差し込みやすく邪魔にならない位置でポイント高い。
テクニカルなのは前者。抜群に巧いです。ここだけ切り取ってもわかりにくいけど、たとえばこういうふうに書くこともありえたわけで。
その人の人柄や態度によるので、一概に決めつける事はできません。しかし、そういう人は大抵はきはき話す人が多くて語尾をしっかり言い放ちます。
どうでしょう。一気に高圧的になってしまったと思いませんか?
なぜか。大きく変えたのは「一概には言えないんですけど」の「ですけど」という接続を消したこと。ここを消すということはつまり「一概には言えません」という「否定の断定調」で終わるということで、それ自体がマイナスの印象を発してしまうので接続形にすることで可能な限り「否定の時間」を縮めたんですね。
さらにすごいのが、ここからのカバー。上記テクニックをもってしても、
人柄もありますし、態度もあるので一概には言えないんですけど そういう人は大抵 はきはき話す人が多くて語尾をしっかり言い放ちます。
ここだけ切り取るとまだちょっと高圧的に感じ得る。ここから知恵袋特有のご意見番ムーブが飛び出してくることも考えられる。
しかし、続く三行でフェニックスのごとく華麗な復活を果たします。
なになにですかっ?
なになにしておきますね!
少しのばしたら柔らかくなることがありますよ(^o^)
すごくない?
上二行もすごいんだけど、特に最後がすごい。「少しのばしたら柔らかくなることがありますよ(^o^)」。音ゲーならPERFECT!!の表記が出るシュート。
これをあえて露悪的に校正するとこうなる。
その人の人柄や態度によるので、一概に決めつける事はできません。しかし、そういう人は大抵はきはき話す人が多くて語尾をしっかり言い放ちます。
あなたはおそらく語調が強くなってしまっているので、もう少し語尾を伸ばしたりして柔らかくした方がいいのでは?
見てください。文意はほぼ同じなのに、文体ひとつでここまで印象を変えられてしまうんですよ。
「少しのばしたら柔らかくなることがありますよ(^o^)」は、命令から最も遠い提案。「してみてはいかがでしょうか?」ですら駄目だったんです。「ことがありますよ」は、もはや提案ですらない。感想の提示である。しかし、提案として受け取ることが出来る。これがスーパーソーシャルコンピューターの匿名さんが叩き出した結論だった。
「それってあなたの感想ですよね?」という最強の矛は、「感想こそが最も柔らかい言葉である」という文体論の盾によって破壊できるということを提示した偉大な瞬間です。
友人の女性にもいるんですがやらせたら少しゆったりした印象でした。
ですかその人の個性もあるので友人は強い言い方の方が本人らしくて僕らは好きでした(笑)
ここもすごいね~~!!誤字まで含めて完璧。そこまで計算のうちならゾッとするわ。
前提として、「友人とのエピソード」って実は結構explosiveです。気の弱い方だと「友人」という単語が飛び出してきた瞬間にダメージを受けることもある。そうでなくとも、自分語りや自虐風自慢みたいな感じになりがち。
それを全く感じさせない手腕はあっぱれ。conciseかつcomprehensible。しかも前のブロックの内容とシナジーになってるんですよね。「語尾を柔らかくするといいよ!」といいつつ、「人にもよるし、強い言い方の方が僕は好きなこともあるよ!」とフォローも入れる。選択の余地を極限まで広く与える。
しかも友人エピソードなのに人伝の意見ではないことも高ポイント。「って、友人が言ってた」みたいな予防線はよく使われるけど、今回は友人を出しつつも主体は自分で、「僕らは好きでした(笑)」と自分で責任を引き取っている。
そして第三ブロック。
仕事で困らなければ自分をだしたほうが周りにいっしょにいてくれる人は案外好きですよー
全体として見たときに一番タクティカルなのは、この段落で顔文字を使わないという判断をしたことです。
もしこの段落で顔文字を使うと、全体としてこうなる。
人柄もありますし、態度もあるので一概には言えないんですけど そういう人は大抵 はきはき話す人が多くて語尾をしっかり言い放ちます。
なになにですかっ?
なになにしておきますね!
少しのばしたら柔らかくなることがありますよ(^o^)友人の女性にもいるんですがやらせたら少しゆったりした印象でした。
ですかその人の個性もあるので友人は強い言い方の方が本人らしくて僕らは好きでした(笑)仕事で困らなければ自分をだしたほうが周りにいっしょにいてくれる人は案外好きですよー(´ ∀ ` *)
すいません適当で(°∇°;)
これでも十分柔らかいんですが、恐らく発言者は意図的に、第三ブロックでの顔文字を避けた。なぜか?明確な意図があります。
ここで使うと全ブロックに顔文字あるいは記号が入ってしまうことによるトーンの平坦化という問題もあるが、一番の目的は最終ラインの「すいません適当で(°∇°;)」の威力を最大化したかったのだと思う。
直前の段落にあえて顔文字を使わないことで、強弱がついて最後のムードアップ力がやや上がるんですよね。ここまで拘るのは相当コミュニケーションやり込んでないと見えない。
そして文意も言うまでもなく好印象。「ー」のバフは言うまでもなく、「仕事で困らなければ」という条件をさり気なく、本当にさり気なく入れることで極端な断定化を避けている。白眉なのはこの「さりげなさ」。例えば、
自分を出したほうが周りにいる人は案外好印象だったりします。仕事で困らないことが前提ですが。
このように書き換えるとだいぶ柔らかさが下がる。なぜならこの場合、「仕事で困らなければ」の部分に強調が入るからだ。発言者は否定的な条件の強調がもたらすマイナス性を理解していたので手前に回してスルっと抜けた。
さらにいえば、細かなワーディングも抜群に丁寧。「周りにいっしょにいてくれる人」という部分に着目してください。装飾を抜けば「周りにいる人」となる。「いっしょに」なんて言葉、文意だけを考えれば本当は要らないはずなんです。しかしこの人は必要だと思った。内容自体がデリケートだから、”ここ”は足した方がいいと判断したんです。さらに「いる人」ではなく「いてくれる人」とすることで感謝の心を示す。
絶妙なのはケースバイケースで判断ができること。どんな文章にも考えなしに柔らかくする副詞を足せばいいというものでもない。それなしでは厳し目に聞こえてしまうときだけ、適度に足す。調味料と同じ。
ではおさらいとして、文体に気を配らなかった場合と模範解答を比較してみましょう。
BEFORE
その人の人柄や態度によるので、一概に決めつける事はできません。しかし、そういう人は大抵ハキハキ話す人が多くて語尾をしっかり言い放ちます。
あなたはおそらく語調が強くなってしまっているので、もう少し語尾を伸ばしたりして柔らかくした方がいいのでは?さっきも言ったようにケースバイケースではあります。私の友人に同じように強い語調で喋る女性がいますが、私は柔らかく喋られるよりは彼女の普段の喋り方の方が好きですね。
自分を出したほうが周りにいる人は案外好印象だったりします。仕事で困らないことが前提ですが。
AFTER
人柄もありますし、態度もあるので一概には言えないんですけど そういう人は大抵 はきはき話す人が多くて語尾をしっかり言い放ちます。
なになにですかっ?
なになにしておきますね!
少しのばしたら柔らかくなることがありますよ(^o^)友人の女性にもいるんですがやらせたら少しゆったりした印象でした。
ですかその人の個性もあるので友人は強い言い方の方が本人らしくて僕らは好きでした(笑)仕事で困らなければ自分をだしたほうが周りにいっしょにいてくれる人は案外好きですよー
すいません適当で(°∇°;)
なんということでしょう。おわかりですか。これが、文体の威力です。
文意はまったく変わらずとも、ここまで印象が変わってしまう。
だから文体は大事なんです。これもエロゲとエロの相関関係と同じで、文意が最重要なのは違いないんだけど、その文意を適切に伝達するためには文体が適切でなければならない。マインド・リーディングができない人間がリモートなコミュニケーションをとるには言葉という脆弱な代物に頼るほかなく、文体に欠陥があれば文意が機能しなくなるんです。ここを一番言いたい。
また、「口のよさ」は周りからの見え方だけでなく自分自身の健康にも良好な効果をもたらします。
聞いて悟りなさい。口に入る物は人を汚しません。口から出るもの、それが人を汚すのです。
マタイの福音書 15章 11節
よい言葉を使うことで、自身の心もよくなっていく。自身の言動も「環境」の一部なんです。環境は常にパッシブな影響を及ぼし続ける。悪口まみれの環境にいるのと良口パーティーにいるのでは歴然の差が出るでしょう。
「口の良さ」は、すべてを変革し得る。私たちは彼になりましょう。レナ・リヒテナウアーになりましょう。本日の講義は以上です。
ちなみに上記回答者は「岡山市に住む男子学生」だそうです。お前在りし日の藤井風か?いや県しか同じじゃないけど。
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