20231125
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ソーシャルメディアは宝石店のようなものだ。手に入らない綺麗なものがずらりと並んでいる。お金もないのに何度も何度も宝石店まで行って、何度も何度も落ち込んで、「なんで自分はこうなんだ?」って鬱ぐのはなんというか自明な自傷行為ではなかろうか。
いいえ、お金を手に入れろという意味ではない。言うまでもなく、宝石店に通うのをやめればいいのです。そこにあるのはただ、綺麗なだけで、実際のところそんなに欲しくもないでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=ijEjpofav_I
ENのハムボってはじめて見た。いるんですねそんなの。uwuともちょっと違うよな、完全に”ハムボ”だ。


千恋万花全クリアした。神ゲーでした。
レナルートだけ『大逆転裁判2』と同じ満足度がある。その後感想を求めてX見てたら毒糞(どっぷん)のような誹謗ポストが目に入って一瞬でday ruinedされた。見るな!!ソーシャルメディアを見るな!
エロゲオタクって全員どっか病んでるんじゃなかろうか。ただthe toxic shitter(毒糞をする者)は岩永先生の講義を受講していなさそうな言論をしていたので仕方ないかもね。
https://www.youtube.com/watch?v=iZ_EZjHgNHE
エロゲの魅力ってなんだろう?誰もが考えることです。そのすべての答えは彼の講義に入っています。
泣きゲーに共通するものとして、やっぱりどうしようもない悲しい運命だったり、もう救いようのない世界っていう状態があるわけです。
そこで、恋愛だけで終わって、好きだよ、私もだよ、何があってもずっと一緒にいようね、の終わり方って、ちょっと希望に満ちた終わり方なんですよね。幸せじゃないですか。
でも、そこで、それを超えて言葉なくセックスをした場合っていうのは、幸せよりも、切なさとか絶望が如実に出るんですよね。
救いようのない世界で肌を重ねるっていう状態は、そこに、**生きるっていうことへの執着みたいなのが生まれるんですよ**。
恋愛しただけじゃ命は生まれない。セックスじゃないと、やっぱり生は生まれないし、セックスっていうことで、生を実感、お互いにする。生きてるっていうのを実感したときに、でもこの救いようのない運命とか、あなたはもう一週間後には死んでしまう。そういう設定を思い浮かべたときに、やっぱり幸せだけじゃなく、**絶望とか、儚さ、切なさっていうのは、セックスにて描けるんですよね**。だからよく、こういう泣きゲーみたいなの、移植されて、エロ要素抜きにして、美少女ゲームとして出されること多いんですけど、やっぱり満足度は全然、エロゲの方が、ユーザーの満足度が高いんですよね。エロゲーっていうのは、正直売れない。買う人も多くない。幅広く売れない。販促があんまりできませんから。なんで、**この1人のお客様に、本当に全力で、ぜひ楽しませたい**って思う。その分一個の単価が高くなるけど、でも、本当に買ったら満足する。
「エロゲにエロは不要」論の人間って、ようするにストーリーのために見ているってことで、それに反目する側は「エロゲなんだからエロを楽しまないのはフェイク」という構えなわけですけど、これはどちらも不正解なんですね。もちろんゲームにも寄るっちゃ寄りますけど。エロゲと一口に言っても抜きゲーから泣きゲーまで色々あるのに十把一絡げに論ずること自体がナンセンスではある。
ただin generalには、「エロゲにエロは必要」で、何故かといえば「エロの存在が物語をenhanceするから」です。つまり物語が第一という軸は変わらぬままエロの必要性を説いた、それが岩永先生の理論の偉大な部分。
私がエロゲに惹かれる理由を完全に言語化してくれた。表現規制という枷がない世界が物語の可能性をより広げてくれる。
とはいえ、千恋万花単体について言えば、総合的にはまぁ……うん……って感じ。レナルート最後にやったからまだいいけど、さもなくば満足度0%のゲームだったかも知れない。
とりあえず「サノバウィッチ」って神がかり的に面白かったんだなぁと再認識しましたよ。
http://twotailblackcat.blog.2nt.com/blog-entry-346.html
残念ながらこれに尽きる。ゆずソフトはもう未来永劫サノバウィッチを超えられない。それがなんだか悲しい。
今までやった三作でゆずソフトというブランドの底はもう見えたので、さようならをする時かも知れない。サノバウィッチの幻影を追うのはここまでだ。最後にレナ・リヒテナウアーに会えた、それだけでよかった。星の見つけ方を教えてくれた、それだけでよかった……。それだけで… いいんだ… それだけで 何ものにも 替えられない 「交換できない」…… 幸せがあった。

まじに~?流石に気になるなあそこまで言われたら。
次はぬきたしとヘンプリ買うか……でもSteamにないんですよねえ。
今日誕生日だけど特に感想ない。これからあるかも。誕生日に毎回誰かしらからイラスト描いてもらえるのは果報者でしょうね。今年(こんとし)の豊富はレナ・リヒテナウアーのような善い人間になることです。レナさんは可愛いとかじゃなくてジャン・ヴァルジャンと同じカテゴリーの聖人だった。HELP EVER HURT NEVER。LOVE ALL SERVE ALL。誰よりもそれを実現出来ているのはレナ・リヒテナウアーでした。



レナの凄い所は、超ポジティブで超海外ノリで超バカっぽいのに、物事をきわめて理知的に判断出来る冷静さと、その場で何が最も大切なのかを瞬時に見極められる洞察力があること。そしてこれだと信じたことは、時には最愛の人と意見をぶつけ合ってでも貫こうとせん意志力がある。しかもその上で余計な軋轢を生まないように周りを慮る調停力もある。
determinationとoptimism、双方を持ち合わせて初めて人は善い人間になれる。determinationだけでは固执に、optimismだけでは奴隷になってしまう。真の”善性”とはッ!自分と他者を全く同価値に愛でることだッ!
「自分を愛せなきゃ他人も愛せない」と歌われたのはそこに所以がある。自分も他人も両方同じ大きさで愛せれば、LOVE ALL SERVE ALLは成し遂げられるのです。誰も犠牲にせずとも善い人間にはなれる。自分を砕いてまで人にいい顔をする必要はない。だからといって善い人間になることを諦める必要もない。両方愛せる筈なんだ。素直でさえいれば。
レナは色々な社会的能力が高いけど、もっとも彼女をagreeableにしたのは「素直さ」です。レナはとことんまで素直である。絶対に嘘をつかない、というような誠実さとは少し違う。自分と他人を同価値で愛すといっても、状況に応じてどちらかを優先しなければならないことが起きるのは避けられない。そのとき、客観的に場を判断してどちらを今優先すべきか考えて動ける。そのうえで、先程おざなりにした方をすぐに回復させるバランス感覚。一番わかりやすいのは終盤の白狛への手紙を書く場面。一日デートする権利を貰ったのに、日の殆どを「やるべきこと(勉強)」に費やした。これはある意味では短期的な自分の幸福を犠牲にしているが、その分今やるべきことに集中し、終わるや否や思いっきり将臣とイチャつくのです。その時言った言葉が「今日はいっぱい頑張ったので、いっぱい褒めてほしいです」。これです。これが素直さというステータスの鍵。何故かこの一言が言えない人が本当に多い。この一言にまったく嫌味な感じも強欲な感じもないのに。ただ、なんとなく恥ずかしく感じてしまうのです。それでいて欲求だけは残っているから、例えばこれを言えぬまま誰にも努力を評価されずに、「社会はいつも私の努力を認めない」みたいに捻ねてしまう……という結末を迎えた人はおそらく多い。素直さがあればすべて解決するのだ。
我々はもっとシンプルにベストエンドを目指しましょう。6年前に書いた曲の歌詞を引用して終わりたいと思います。
笑いたいんだったって
封じ込めたのだ 誰にも助けられないように
そんな僕等は此処でおしまいだ
愛してくれと声枯らしたら
笑っちゃう程に呆気ないな
傷つけ合う覚悟背負ってゆけ
プラムナイフ
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