20231115
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面白すぎる
やることがなさすぎてあやとりを買った。こう見えても昔はうまかったのよ。好きな技はびっくりほうき。
思えば子供の頃の私はずいぶん壮健だった。携帯はおろか電子機器にもほとんど縁がなかったし、晴れの日は近所の公園でぶらんこやら吊床みたいな謎の遊具で学友と遊び、雨の日は本を読んだりあやとりをして遊んだ。こんな暮らしをした儿童からどうやって今の私が出来上がるのか?不思議極まりない。
何か書くことがあったはずだが忘れてしまった。それなりに実のある話だったはずだが、はてな。
ワイヤレスイヤホンが壊れたらしい。充電が出来ない。大変困った。修理に出すのも面倒だし諦めるには高すぎる金を払ってある。厄介な事このうえなし。
最近仕事があまりうまくゆかない。やる気は平時以上にあるのだが。壁があると却ってむきになる傾向がある。
生きるのに知識など要らぬという信念を持っていたが、創作する上では必要な気もしてきた。しかしそこも確かではない。よく実際に経験してみなければその物語は描けないというような言論があるが、岸辺露伴じゃあるまいし、人殺ししか殺人事件ものを書けなければ大変なことになる。そこまで極端でなくとも、野球やら武芸やらも実経験がない者が描くことも多いだろうし、それで面白い作品はたくさんある。はたして本当に経験や知識がものをいうのだろうか。想像力の一助になるのだろうか。Dargerの例なんかを見ると、そうも言えないような気もするのだよなぁ。現代なんか昔よりよほど諸情報が手に入れやすいのにこれだけ唸る羽目になるのだから。
だいたい、私は今いい歳で、昔より知識も経験も増えているはずなのに、想像力は子供の頃と比べて枯渇の一途を辿っているのだ。むしろ邪魔になっているんじゃないかとさえ思う。凝り固まった常識や観念が想像を阻害している。たとえば子供の頃考えていたお話では、地球から宇宙列車を使って天界やら別の銀河へ渡ってどんぱちやるというものがあった。今の私では思いつかないか、思いついたところで現実的に考えて不可能だなんだといって取りやめる気がする。もとより虚構なのに変なところで現実味にこだわりたがる。木乃葉編にしたってそうで、江戸が舞台だろうと何もかも現実に則さなければならないわけではないのに。自由にやるっていうのができない。
それと、今まで出たことのある武器を使えないとか、過去の物語に捕らわれている。十五年続ければ武器も名前も性格も枯渇する。誰か助けてください。
Life Pro Tips:Visual Novelがつまらなく感じてきた時に一気にやろうとするのは愚策。どんなに中途半端なところでも一旦休憩入れて日をまたいでやった方がいい。面白さがぜんぜん違う。マジで。
「物語 考え方」で検索すると、一番に「物語の才能 - 面白いストーリーの作り方」というサイトがヒットする。
随分前に読んだが、強弁気味な割に当事者が載せている小説が欠伸が出るほどつまらないので説得力がないという結論になってしまった。ものを教える人が必ずしもその道の天才でなければならないわけではないし、また天才だから優れた教師になれるわけでもないが、やはりどうしてもそういう目では見てしまう。

たまにこの画像について考える。正しいという気持ちと間違っているという気持ちが時期によって異なって現れる。これ道徳(オモコロ)案件じゃない?
まず、先輩の思いやる気持ちをないがしろにすることはよくない。そこに異論は無いし、後輩のこの態度は適切ではない。一方で、予選落ちした先輩の技術的な助言を聞き入れるべきかどうかは選択の余地があると思う。実力がないから予選落ちしたわけで、しかも自分より長くその道にいたのに結果が出ていないわけで。とりわけ「県大会で優勝はできないぞ」という言い方は、優勝したことがある人しか言うべきではない気がする。
絵においてもそうなんだけど、「~の作り方」とか講座じみたことをやる人の作品が巧かったためしがあまりない。理由はよくわからない。面白い物語の作り方を話します、と言ってちゃんと理論的に話すことができた実力のある作家って松井先生くらいしかいない気がする。
一体……一体どうしたら面白い話が書けるんだ!特に脳内物語みたいな連載型においてのやり方を知りたい。ゲームみたく一発で表に出すものならまだ分かるんだけど、連載してて楽しい話にするのって難しい。自分が作者だから、「実はこのキャラにはこんな秘密があったんだよ!」みたいなのを初期に決めてしまうと退屈千万だし。整合性を大切にするならむしろ先に決めたほうがいいんですけどね。

木乃葉仮デザイン
VRCとかいう文字列を久々に見た。ちょうど去年の今頃よく遊んでいた。日記に書いてある。2023年10月10日に初justを成し遂げている。あの記憶が忘れられない……。知ってますか?VRで撫でられると本当に触られてるような感覚になるんですよ。ファントムセンスという現象らしい。
ちゃんとやってたのは一ヶ月程度だったが、思い出が濃すぎてもう起動する気がしない。日記にも書いてあるが、一期一会すぎて数時間話し込んだ人とそれっきりでもう会えなかったりする悲しみがある。
あそこもかなり独自文化が育っていて、一つの社会として興味深い。VRCでは直接の接触以外のほぼすべてが出来る。友達づくりも、恋愛も、喧嘩も、勉強も、なんだって出来る。閉じこもる人が増えるのも納得。
最近気づいたが、大切なものをどんどん奥へ押し込んで二度と触れないようにする癖がある。『U+』も殆ど聴かないし、聲の形も一度読んで以降ほとんど読み返していない。面白そうなゲームは出来るだけつまらなそうな積みゲーをすべて消化してから取り掛かるし、同様にしてVRCももう起動したくない。ショートケーキの苺を大量に取っておいたまま抱え落ちして死んでいく気がする。
期待は二種類のポケモンに進化する。満足か、失望かです。なので私はいずれの期待も未進化のまま留めてしまおうとする癖があるのです。possibleな失望の影から逃げ惑っている。がっかりされるのも怖いが、がっかりするのも怖い。期待を通してでしか満足に至れない訳でもないしな。むしろ期待が空っぽからの方が満足詰め込めるよ。(抽象的ドラゴンボール)
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