20231113
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https://www.youtube.com/watch?v=lJ9hI7C0Ync
この曲にボーカルをつけるという神采配。マジでかっこいい。フランス語が消えちゃったけど。

ええーーーッ!!お前そんなことができたのかよ!はよう言うてや。
Obsidianって通常のノートを左右ペインに持ってきて見れる上にピン留めできるのか……。タグをネストにしなきゃObloggerでまともに見れない問題に困ってたけどこれならいけるわ。
創作が捗ったり捗らなかったりしろ。今回の主人公は……陰間だーーーッ!!最高だね。和名主人公は歴代(シリーズ計15年)で初な気がする。レイ、ジャック、ウルフ、ラグレイ、クルト、リベリオ、ダグ、リド、フシキ、オカゲ、ヴァイ、木乃葉←New!
やっぱり新シリーズ始まったときが一番面白い。大体なし崩し的につまらなくなっていく。どうして……。
【千恋万花】
キミにはがっかりだよ。
ムラサメちゃんルート、どう考えても初H前後から「もう話を練るのがめんどくさくなった」感のある急ピッチ感で一気に醒めてしまった。ムラサメちゃんから告るのはどう考えてもあり得ん。解釈違いすぎる。彼女は将臣の青春を奪ってしまうことをずっと恐れていたんですよ?将臣から強引に「好きだ、人じゃなくてもいい、青春を取り戻そう、一緒に幸せになろう」って寄らない限り絶対に恋人になったりはしないであろう?将臣を愛しているほどに、霊の自分と恋人になるなんて枷を背負わせたくなくて自分の中にしまい込んで諦めてしまう子でしょう?ムラサメちゃんエアプだろこれ書いたやつ。話の流れ的にもムラサメちゃんはもう諦めに行く感じだったし、ものすごいturning on a dimeが行われている。
いかに紬ルートがすぐれていたかを思い出す。付き合うまでの長さよ。付き合うまでが長いルートほど面白い。
書くことが完全になくなったので5~8年前くらいに書いた小説の1話を転載して終わりにしたいと思います。いよいよ中身のない日記になったが許してくれ。最近割と色々書いたしたまにはこんな日もあろう。
花を撃つ
俺の名は木原桃矢。趣味は――「いじめ」である。
始まりは小学生の頃、クラスでいじめられている子がいた。その時は俺もいじめっ子ではなく、可哀想だなと思いながらも立ち向かう勇気はなく、他の大多数と同じように「それ」を静観していた。しかしある日、こんな事を宣っているポスターを見つけた。
「いじめを見て見ぬ振りもいじめです」
それをはじめて見た時の衝撃は忘れられない。何を言っているんだ、こいつは?負けるのが分かっていて勇敢に立ち向かえとでも言うのか?それで怪我をしたらどう責任をとってくれるんだ?さらに悪くして、新たないじめの標的にされたらどうしてくれるというんだ?あまりにも無責任だった。こんな紙切れ一枚が、何の責任も負わぬままに勝手に善良な市民である俺を中傷してきた。はたから見れば些細なことかもしれないが、俺にはこれがあまりにも不条理に見えて、とても許せる事ではなかった。
そして俺は思った。いいだろう、そこまで言うんならなってやろうじゃあないか、いじめっ子に。見てみぬふりでいじめっ子なら変わらない。「同じ阿呆なら踊らにゃ損損」とはよく言ったものだ。だったら俺は踊る側になる。我ながら捻た解答だとは思うが、その時の幼き俺が自身の鬱憤を晴らせる術はこれ以外になかった。
いじめっ子に加担するのは拍子抜けするほど簡単だった。皆がいじめている所に適当に加わっていけばいいだけだ。俺の参戦がある程度火付けになったのか、その小学校でのいじめはさらに過激になっていき、結果的にそのいじめられっ子は不登校に追いやられてしまった。全校集会なども開かれたが、加害者が多すぎて全員を捌き切ることができず、適当なお小言で済ませられた。その時、不意に俺に稲妻のような衝撃が走った――「異常だ」と。なんだこれは?善良な生徒一人の人生が、大勢の悪意によって、実質的にほとんど潰されたというのに、加害者である我々にはなんのお咎めもない。むしろ不登校に追い込んだことに対して達成感を感じている者すらいる。優しき者が挫かれクズがのさばる。こんな不条理が許されるのか?許されるとしたら……嗚呼、それはなんと甘美なのだろう。
天啓。それは、「社会では、潰さなければ潰される」というものだった。正気でない世界で、俺もまた正気を喪っていった。
すっかり人を加虐することの美酒に酔った俺は、その後中学でもいじめっ子としての名を轟かせ、いじめっ子キャリアは早6年になろうとしていた。その中学も卒業し、今日は高校の入学式だ。高校の名前は宝島高校。ふざけた名前から分かるように、さして偏差値の高い場所ではない。しかし俺にとっては構わなかった。偏差値の高い高校ならモラルが整っているからいじめが蔓延りにくいだろう。俺の人生はもはや「いじめ」によって支配されていた。「天啓」を賜ったあの日から、俺のちっぽけな自由意志は、加虐の快楽という人形師によって踊らされていた。望むもの、それはいじめのみ。新たな舞台、新たな獲物。俺は思わず舌舐めずりをした。狂っているのは百も承知。しかしそれでいい、否、だからこそ良い。後悔はしていない。おばあちゃんが言っていた――何かに狂える人生は幸せだ。
そうして新天地に赴いた俺は、1年B組という32人のクラスに配属され、LOVE PHANTOMのイントロよりも長く退屈な校長の話と、流れ作業のような自己紹介を終えて、席に付き今後の計画を一心に練っていた。
「いじめ」が成立する条件を知っているだろうか。実はそれはきわめてシンプルなものだ。いじめられたくない者は覚えておくと良い――いじめは、「多勢に無勢」でしか発生し得ない。いかなる場合でも、いじめっ子の人数は、必ずいじめられる側よりも多いのだ。これは絶対である。1対多とまで言いきってしまってもいいかも知れない。それほどまでに重要な原則だ。どれだけ攻めても、一度にいじめられるのは二人までだろう。3人以上をいじめようとする奴は無謀としかいえない。強さの問題ではない、露呈のリスクが上がりすぎる。2人でも1人と比べると圧倒的に危険だ。無料と1円では顧客の食指が何百倍も重くなるように、1人と2人の間にも天と地ほどの差があるのだ。向こうが取れる選択肢は圧倒的に増え、こちらのリスクは飛躍的に上がる。故に原則としていじめるのは一人。この大前提をもとに考えると、この一週間でやるべきことは自ずと見えてくる。まず、クラスメイトの観察。全員の特徴とヒエラルキーをいち早く把握し、可能な限り優良な―いじめやすい物件を見つけなければならない。いわば企業研究のようなものだ。それと同時にやらなければならないのが、仲間集めだ。1人の羊を見つけてもこちらも一人では意味がない。無理に気さくに振る舞う必要はないが、発言量を増やし多くのクラスメイトとインタラクションを取ることを心がける。友達作りとクラスメイトのカースト決定はほぼこの一週間で決まる、慎重に行わなければならない。仲間にする奴も、間違っても裏切らないような奴を選別する必要がある。クラス内のカーストはある程度高いが、正義感はさほど強くなくて、即物的な快楽に弱いか脅迫に使える弱点を持っている奴なら理想だ。仲間といっても心を共にする兄弟ではない、彼らもまた鎖で繋がらなければ反乱の危険性があるのだ。俺自身の要領が良くとも、仲間がへまをすれば責任は俺に問われるからな。
そんなこんなで、一週間が経過した。慣れたもので、作戦は驚くほどスムーズに進行した。いじめに加担しそうな仲間はすぐ揃った。中学時代から思っていたが、どうも俺にはカリスマ性があるらしい。お婆ちゃんが言っていた、不幸な事は望まずともやってくるが、幸運は望まない限りやってこないと。裏を返せば、俺が望みさえすれば、運命は常に俺の味方をするのだ。世界は自分を中心に回っていると考えた方が楽しい。
そして肝心の獲物だが、なかなかいじめ甲斐のありそうな奴を見つけた。その名は「佐々木奈緒」。眼鏡をかけた低身長の女だ。前髪が長くて顔はよく見えず、声は小さく口数は少ない。一週間経っても友達が一人も出来ずに、休み時間には机に突っ伏すか本を読んでいる。体育の時間は男女別なので別の女友達に聞いたが、やはり運動神経も悪く、グループからあぶれているらしい。何より気が弱く、人の頼み事を断れない。まさに典型的なホシだ。学校はどこも30人程度のクラスだと思うが、よくもまあ都合よく毎回一人はいるものだな、こういう「狩られるための奴」が。学校というシステムはひょっとするといじめを肯定しているんじゃないだろうかという気さえして来る。運命が味方しすぎていて怖いぜ。
ちなみに、獲物はどちらかというと男性の方が好ましい。なぜなら女はその遺伝子に「群れる」ことで生き延びることが刻まれているから、通報されるリスクが高いのだ。だがこの女は大丈夫そうだろう。群れる特性という事は裏を返せば、一度形成されたグループ群からあぶれたものは一生あぶれ続けるということだ。それにこの島にはこいつより弱そうな男がいなかった。
さて、獲物に必要な適性は実はもう一つある。「獲物側の汚点」だ。よく「いじめられる側にも原因はある」という言葉が跋扈しているのを聞くが、あれはある種真実だと俺は思っている。要するに、クラスの中で鬱陶しいものがいじめの標的になるのだ。それがクラスという社会における「民意」だから、みんな見てみぬふりをする。むしろ、自分で石を投げないだけで、もっとやってやれと思っている者も少なくないはずだ。言わば我々は手を汚したくない善良な市民の代わりに剣を振るう、正義の執行人だろう。まあ、そこまで言うと傲り過ぎだとは思うが、そういった側面があることは否定できない。性善説など、とんだ綺麗事だぜ。
そんなわけで、俺は獲物の「汚点」を見つける必要があった。どんな小さなものでもいい、「理由」になるならそれでいいのだ。笑い方が気持ち悪いとか、貧乏揺すりが鬱陶しいとか、臭いとか、ただ「不細工」であるという事すら理由になり得る。不快害虫などという概念を生み出した人間様だ、敵を裁く言い訳には事欠かない。
そして見つけた。はじめの一週間ではさすがに気付かなかったが、奴は「化粧」をしている。この前近づいて挨拶した時、わずかだがファンデーションの香りがした。頬を注視してみると、なるほど確かに乗っていた。明確な拘束違反だ。これは迷惑というよりは奴自身の負い目だが、「校則違反をした奴」を庇おうとする奴は少ないだろう。元の素材が良いし、充分な材料だ。
そして翌日、いじめ決行の日。いじめの道早6年、綿密に組まれたプランに隙は無い。あの加虐心を煽る子リスが泣き崩れるさまを見せてもらおう。
はじめはジャブから。いじめの基本中の基本、「上履き隠し」だ。リスクが低い割にやられた方は非常に困るという、きわめてコスパの良い戦術だ。何より、「自分がいじめられている」というのが明確に分かるというのが強い。己一人に嫌がらせをするために誰かが靴を隠したのだという事実が、獲物の心を疲弊させるのだ。
とはいえ、誰かに隠すところを見つかっては元も子もない。真のいじめっ子たるもの、成功のために自らに対しても厳しくあるものだ。俺(+友達一人)は靴隠しのためだけにわざわざ開門時刻ギリギリの朝6時に登校し、誰もいない学校でいの一番に隠してやった。隠し場所だが、ここで男子トイレとかにする奴はセンスがないと言わざるを得ない。「ちょっと遠いゴミ箱」程度がベストだ。発見者が奴自身なら、これ以上の屈辱はないだろう。
ちなみになぜ友達を一人連れてきたのかというと、簡潔にいえば、もしホシが「6時5分」に学校に来た場合、犯人はほとんど俺一人に絞られてしまうからだ。もちろん事前に奴のおおよその投稿時刻そのリズムは確認したが、リスクは分散しなければならない。0.1%の可能性も潰しに行くのがプロの仕事だ。
俺は意気揚々とクラスに入る。そもそも今日は日直なので、早朝登校もさほど違和感が無いようになっているのだ。そして日直の相棒はつい先程俺と一緒に靴を隠した友人だ。日直が出席簿順になるのは分かっていたので、はじめに懐柔してやったのだ。我ながら自分のリスクヘッジの優秀さに身震いする。
そうして2時間経ち、8時40分ごろ、ようやく奴がクラスに入ってきた。いつもより30分近く遅い。俺は思わずほくそ笑んだ。靴隠し唯一のデメリットは、奴の苦しむ顔をこの目で見られないことだな。それにしても、この速度で上履きを見つけて戻ってこられるということは、ある程度いじめ慣れしているのだろうか。だとすれば中々やりがいのある相手だ。ちょうど少しは手応えのある獲物が欲しいと思っていた所だ、もはやジャブは必要ないだろう。次からはフルスロットルでいじめてやる。
そんなことを考えながら、クラスメイトとの繋がりを深めるために近くの席の奴と適当に他愛のない会話をしていると、佐々木がきょろきょろとクラスを見渡していることに気づいた。何をしている?まさか、誰が隠したのかを探っているのだろうか。見た所で分かるはずはないのに。――待てよ、奴は……俺を見つめていないか?まさか。気のせいだ。保身の手は尽くしている、バレるはずがない。最悪でも今日同じく日直だった城野も候補に入っていなければおかしい。俺は安心したくて、思わず奴の方へ顔を向けてしまった。佐々木と、目が合った。
その目は、黒く澄んだ目は、確かに俺を見つめていた。だが、そこに燈っているのは俺がややもと恐れた憎悪の炎ではない。むしろ……慈愛だ。奴が俺を見つめる目は、まるで生き別れの兄弟と出逢ったような、十年ぶりに恋人と再会したような、深い愛情に満ちたものだった。俺はその事実にむしろぞっとして、6年前に傀儡になったはずの自由意志の糸を引きちぎられ、冷たい手で引きずり出されたような、底知れぬ「恐怖」を抱いた。
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