鬱が治りすぎている
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うつ病の人間のブログを読むのが好きだった。
鬱が治りすぎていて「つまんねー!丸くなりやがって!」と思ってしまった。
これが私が再三言ってきた病みのコンテンツ化の弊害です。治っていいんだよ!治っていいんだよ本当は!治った末につまらなくなったとしても。
でも、もう少しちゃんと考えてみると、ただ「うつ病の人の記事=面白い」「幸せな人の記事=つまらない」という図式ではないのだろうというのもわかってきた。
例えば私が最も好きなブログのひとつ(one of the most構文)の記事は、遍くきわめて平和だ。幸せそうだ。牧歌的だ。

じゃあ彼の文章はつまらないかというとそんなことはない。面白いから読んでるわけで。
逆に、彼が明日から病み全開の記事ばかり投稿するようになればもっと面白くなるかというと、もっとそんなことはない。普通に心配する。
つまり、我々はブログを脳内でカテゴライズしているのです。それぞれを特定の棚に入れているのです。
そして、「A」と書かれたラベルの棚に入りながらにして気づけばそれがAでなくなっていた時、人は不快感を感じるのです。
平和なブログがうつ病になっていたら嫌だ。うつ病のブログが平和になっていたら嫌だ。
この「変遷」こそが核だったのです。寿司とパフェは両方美味しいけど、手につまんだ寿司が瞬きした次の瞬間にパフェに変わってたら嫌でしょ。そういうことよ。
しかしこれは読者が書き手に対して「お前は幸せでなければならない」「お前はうつ病でなければならない」というロールを強いているということだ。
そしてこんなロールは無視してよいに決まっているので、つまり鬱が治りすぎていても良いのです。
ちなみにxaのSNSを見つけた: https://summary.ink/@z
サマリーってなんだよ。初めて聞いた。どんな最果て?
そもそも私の考えでは落葉はもはやブログではない。本来は誰にも見せなくていいはずの日記を、慈善事業的に限定公開しているだけ。
見られている数が多いほど言えることが制限されていくからね。西へ西へと逃げていく。
キビボ「一人称の俺を『おれ』ってひらがなで書く奴本当に気持ち悪い」
↑キビジーミル、君と僕は同じ未来を見ている。
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