運ラボ
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運の研究って進んでないのかな。なんか、浅瀬すぎるよな今のところ。
よく言うじゃん。「運が良い人・悪い人というのはいない。考え方ひとつであって、”自分はツイている”とか”自分は運が悪い”という思い込みが脳の働きを活性化させて幸運を引き寄せるのだ」みたいな。当人の認知の問題にするやつ。論文もあります、その文脈で。
この動画見ても同じこと言えんのかって思う。引き寄せの法則のような思い込みの側面がないとは言わないが、ちゃんちゃらおかしいですよね。だって「第三者」の目線でポケモンとかぷよぷよの試合を見ていても、明らかに片方のプレイヤーに「◯◯運悪いな」「かわいそう」という感想を抱くわけですよ。そっちを推してるとかでなくて、中立として見ても。なんなら匿名プレイヤー2人で戦わせても良い、それでも抱くはず。じゃああるやん、運。
いや、局所的な運の証明になっても人の属性としての運の証明にはならないってことか?でも恐山に関しては明らかに運が悪いよな。今回・前回どちらも酷いし、チャオチャオでも運負けしてたし。引いた手数と合わせて計算すればいかに法外な確率かわかりそうなものだが。
そういやそんなテーマがありましたね、ECIDで。うーん。ちょっと漁ってもやはりろくな研究はないな。そろそろ運を科学しても良いと思うんですけどね。「宇宙がこんなに我々の生存のために整っているのは都合が良すぎる」みてーな主張をするくらいなんだったら。少なくとも局所的な不完全情報ゲームの運の偏りのようなものは実証的に研究できそうだけどなあ。
運のprobabilityばかり見られていて、gravityが考慮されていない気がする。簡潔に言えば、コイントスの裏表を当てることと、「赤か青、どちらか正しい回線を切らなければ爆弾が爆発して死ぬ」時どちらを選ぶかは、計算式の上では同じ1/2と計上されそれ以外の一切の情報を持たないということ。でもそんなのはおかしいんですよ。大阪大学の村上氏がいうように、運とは価値判断であって、価値判断は人間によって下されているのだから。
「運が悪い」という感覚(sense)は、低い確率を引いただけじゃなくて、その確率を引くタイミングがどれほどピンポイントで都合が悪かったか、というのも含まれるべき。この乗算によって求められるはず。つまり
$$\text{Sense of Luck} = P(\text{Probability}) \times G(\text{Gravity}) \times T(\text{Timing})$$

うーむの顔文字
主観を持ち出す必要はないと思うんだけどなあ。減衰を考慮すればいいだけで、どんなに遠く離れた見知らぬ人間の出来事であっても「赤か青の回線を間違えて死んだ」を「コイントスに失敗した」のと同じレベルの不幸だと思う人間なんかいないでしょう。自分事よりは減衰するだろうけど、運の質量の存在が否定されるわけではないはず。
ええと、だからつまりですね、エイムをどこに置くかなんですけど、「“運が悪い”という感覚(sense)を可能な限り抱かない」が目的なら、Gravityが大きい場所やイベントに近寄らないというのが最優先になるのではないでしょうか。おこげを食べないとか。おこげを食べたって即がんになるわけでは勿論無いけど、食べないよりは確率が上がるよね。この確率は微小だがGravityは大きく、かつ行為の必然性がないのでavoidすべき、と。こんな調子でイベントをかわしまくる。その結果生まれたのが漏れってわけ。
「”運が良い”という間隔を抱く」となるとまったくアプローチが変わってくるからね。とりあえず研究基盤としてゴールを定めた方が良いんじゃないでしょうか。社会貢献を真剣に考えるなら「個々人が”運が悪い”という感覚(sense)を可能な限り抱かない」でいいと思うが。

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