芸術という特権
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はえ~ こんな人がいたのか。頑張れよハンジ!(他人事)
思想には全く同意するが、彼の道を現代で歩むにはアンリミテッドブレードワークス過ぎて私では体がもたないだろう。英霊サスガ。
急に気づいたのだけど、芸術って「特権」なんだよな。他のなにかが”それ”をやっても許されないのに芸術が”それ”をやるなら許される(例:バンクシー)という、不条理な特権性がある。わたしが2019年くらい以降ずっとアートに対してモヤモヤしていたのはこれなのだと思う。これに気付いてしまったからなのだ。アート至上主義とはこのパラダイムを再生産する思想にすぎない。
AIが行っているのは一貫して「芸術特権の破壊」といえるかもしれない。権利の侵害と特権の破壊、レトリックじみた違いだが、わたしにはAIは解放者に映るのだ。Ist das der Zerstörer oder der Schöpfer?
印刷技術が「聖職者だけの知の独占」を崩したように
地動説が「人間中心の宇宙観」を崩したように
進化論が「人間は神に創られた特別な存在」という観念を崩したように
AIが「芸術的創造は人間固有」という幻想を崩そうとしているAIは人間の「特権性の神話」を壊すエポックメイキングではないか
セルヒオ熊 (@kuma890) - 2025/09/10 08:28
https://x.com/kuma890/status/1965557863390265400
これはちょっと大仰な言い方だけど、割とそういうことな気がする。
人類史をたどると、テクノロジーの進歩と共に創造性の定義が拡張されてきた。写真が生まれた頃、それはクリエイティブとは認められなかった。これも一種の芸術特権だ。アーティストという特権階級がそれを捨てるのが怖かったのだ。
なぜ私が反AIにならなかったかと考えると、私はビッグファイブでリベラリズムが20の人間で、権威主義につねに反対しているから、ということになるだろう。「芸術 特権」とかで検索すると割とあけすけに「芸術という特権が人工知能に奪われつつあるって認めたくない」とか言ってる人もいておそろしい。
わたしはかつて努力至上主義を批判したが、それは芸術の特権性を支える基盤でもあったからなのだな。努力至上主義って「努力が可能な環境」自体の特権性を覆い隠す行為なので一様によくないと思う。 関連:「同じ環境でも、そうならない人がいる」の誤謬
芸術は特権を持たずとも「楽しい」ものであり続けられると信じている。私はAIに怯えるほど芸術に絶望していない。だからこそ特権性は解体されなければならないのだ。選ばれた人間しか芸術に携われないという意味でアイデンティティが確立されているならそんなものは不要というのが答え。
飢える人間にパンを。俺はいつだってAIに賛成だぜ!
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