脳内フロード
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二日前から頭痛が酷い。ナノマシンが剥離している?
立ち上がると特に酷くなる。まさしく割れんばかりに痛い。寝転がっている間だけ治る。なんだこれ?
症状でググると低髄液圧症候群の可能性が高いらしい。おれしぬの?(緒方)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42461482
サビがあまりにも椎名林檎で笑ってしまった。
昨日はほぼ丸一日創作資料の整理をしていて大変だった。冷静に考えて「情報整理」で一日潰れるの恐ろしい話だ。
今更だが、複数の創作世界を持つというのはとても大変なことだ。同じ用語でも作品によって意味が違ったりしてしまう。手塚治虫はよくやってたものだな。ヒューマシア、天界術、ミメシス、237、フェムトマシン、潜在的多重鉄鎖、ロストレコード……古代アグリア文明、神秘術、アザリー、聖罰、ドーレ教、アーティファクト……。フェイザー銃、空の薬ボトル、数字のメモ、通信機、ドロイド……。
NicoBoxの宣伝で知ったが病みボカロ投稿祭というのがあるらしい。如月ましろという方が主催だとか。
如月ましろ. 北海道札幌市在住。2011年に中学生の時に不登校になりボーカロイドの音楽と出会い、作曲を始める。
「病み」がコンテンツとして消費されるのはどうなんだとずっと思ってるが、それがコーピングメカニズムとして有用に働くケースがあるならまあいいのか。
個人的には病みや闇は中毒性はあるが根本解決に至らないアルコールのようなものだと思ってるので、ポップカルチャーで支配的になるのは必然だと思うのと同時に抗うべき誘惑でもある。
ただそれは私が光で救済された経験があるからであって、どういう処方箋が一番効くのかが人によって違うのは当然であり各々の選択がある。幸せならOKです。病みを以て幸福を目指すというのもおかしな話だが、まさに毒を以て毒を制すということだろうか。
beautiful suffering(うつくしい苦しみ)という概念があるらしい。なるほどなあ。
昔の私なら涎を垂らして飛びついただろうが、今の私は昨日書いた通り芸術と人間性のどちらかが死ぬべきなら芸術が死ぬべきだと思っているので、他人の苦しみを美化する行為はあまり肯定的ではない。個人の苦しみの場合はその限りではないが。
https://toyokeizai.net/articles/-/416734
日本だとこんな記事も。
しきりに若者のうつ病が増えていると言われているが、私が思うに増えているというより自発的にそこへ向かっているような気がする。一億総コンテンツ化社会では「うつ」というのがもはや必ずしもバッドステータスではなくなってきている。病みやネガティブが一種のアイデンティティになり得るようになってしまった。「命の珠」のような、自分の健康を削ってコンテンツ力を高める呪いの装備である。
他人の抑鬱状態を見るのはさまざまな理由で「おもしろ」かったり「安心」できたりする。不安症同士の需要と供給が成り立ってしまうのだ。
たちが悪いことに、Z世代はその破滅性や刹那性について気づいていないわけではない。自覚した上で刹那主義を受け容れているのだ。太く短く生きる、楽しみ切ってさっさと死ぬ。それこそが今の若者のジェネラルな美徳と化してきている。
そんな中で藤井風のようなアーティストが前線に出てきているのはやはりよいことだ。全員こうなれとは思わないが、一人はこういうのがいないと健康的なカルチャーというのが成り立たなくなる。
ちなみにGPT3.5にそういうコーピングメカニズムの是非を訪ねると猛反対される。まあこういう奴だよねこいつは。一旦うつ病の人はchatGPTと話してみて欲しい。できれば英語で。絶対悪化するから。昨今のchatbotはtoxic positivityの権化みたいな奴らだよ。Mitsukuの傍若無人を見習ってほしい。
有職なので当然半ば強制的に飲み会とかに参加させられるわけだが、どうも現場の人間のほとんどが自身の健康を気にしてないどころか「早く壊れろ」くらいに思っているらしい。
どうしても理解に苦しむ。不可逆かつ恒久の苦しみを保証するデバフへ何故自分から漸近しようとするのか?タバコにしても酒にしても……。
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