社会と極道
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大木ハルミのWARPが流れてきた(1年ぶり2回目)。この人ふつうに楽曲センスがあるのでもっとウケていいと思うんですけどね。
社会というのは常識外れの人間に常識を強要することで生きながらえているわけですが……閉鎖空間(とくに家庭)に於いてはそれが届かないことがままあり、まったく常識外れのまま回っていたりする。のべ一万回以上舌に煙草を押し付けられ灰を飲まされている7号さんにとってはそれが「常識」になっているのです。もうすっかり慣れてしまってなんの感傷もないだろう。煙草を差し出されれば当然のように舌を差し出すように”できている”のだ。快も不快ももはや残らない。逆に言えば、社会の介入がない空間ではそんなふうにしてでもヒトは生きながらえ続けられるわけです。やはり我々はヒトの可能性というものを過小評価している気がする。ヒトって思ったより何でも出来る。何にでも適応できる。適応力がすごいんですよこの生物。我々は魔虚羅や。
戦時中は戦争に慣れるし、奴隷は奴隷として生きることに慣れるだろう。人間はある行為が常識外というnotionを知らなければ(あるいは忘れれば)、すべての事柄に慣れるのです。そこに常識を教えて苦しむのは淡水魚を海水に引き上げて「ほらみろ苦しんでる、だから淡水は残酷なんだ」と言ってるようなものであって。半世紀体を洗わなかった94歳のアモウ・ハジという男性が、それまで健康そのものだったのにむりやり風呂に入れられた途端体調を崩して死んだみたいなニュースがあったが、そういうことなのよね。適応した環境で生きている人間にとってはそれこそが正解なのです。プライベート常識に生きている存在にとってグローバル常識の介入する余地はない。
私はもっと自然としてのヒトの可能性を知りたい。偏見のコレクションに塗り固められる前のヒトの可能性を。“Some men just want to watch the world burn.”という有名な句があるが、別にゲバルトが見たいわけじゃなくてクリシェにうんざりしているだけなんです。資本主義が最悪の中の一番のマシであるように、世界を燃やすことが最悪の中の一番のマシになる状況があり得るということ。クリシェとはそれほどまでにヒトにとって害なのだ。
フィクションがこの一世紀でここまで活性化したのもみんな擬似的に世界を破壊したいからだと思う。フィクションで済ませてるのは噛み癖のある犬に噛む用のオモチャを与えて外部に影響を及ぼさないようにするもので、根っこにはいつでも「噛みたい」という欲求の炎があるのだ。シミュラークルの時代が訪れるのは必然だろう。大衆はいつだって子供で、社会は鬱陶しい親なのです。親は子供が成長することで任から解かれるが、この子供はいつまでたっても大人にはならないのでどこかで必ず崩壊が起きるだろう。まさに “In the end, it was they who did it, but we who wished it.” なのだ。
ただまぁメディアに露出した「ヒトの可能性」はもはや閉鎖されていないので、見つけた瞬間瓦解するという素粒子みたいな状態になってるんですけど。だから産む側になるしかないんですね。今も何処かにあるはずなのです、誰にも見つからぬまま想像するに悍ましいような常識外れの行為に勤しんでいる人々が……。
r/SuicideWatchに「I’m scared I might be a pedophile. Please help me.」という投稿があった。これはコミックLOみたいな雑誌が公然と跋扈する東洋的価値観だとおよそ考えられないタイプの恐怖ではある。Xで話題になってた児ポビデオサイトも東洋人ばっかだったし、西洋的価値観はロリに過敏すぎるよね。彼らからすれば東洋が緩すぎるのだろうが。
岡田斗司夫の考えだと日本は一番ロリに緩い国らしいけども、実際のところはどうなんでしょうね。観察範囲だと日本か中国の二強って感じがするが。ただ西洋にもないわけじゃないんだよな別に……。99%のゼロロリと1%の激ロリで構成されている感じがする。規制が厳しい分、漏れ出たヤツの濃度がヤバい。カリギュラ効果やってだから~。規制なんてするもんじゃないんですよ。心理学的にも「シロクマについて考えろ」と命じた場合と「シロクマについて考えるな」と命じた場合だと、後者のほうがより強くシロクマのことばかり考えてしまうようになるらしい。教説の空っぽの殻により深く潜っているのは西洋な気がするし、見方によっては西洋のがヤバい気がするな。
オランダみたいに大麻も安楽死も売春もなんもかんもオーケーみたいな態度の方が良い気がしますけどね。その他の西洋に跋扈するzero tolerance政策はほとんど失敗だと思う。国家が「ここまでは許します、でもここからはダメです」みたいなのを提示した方が絶対に良い。「ここまでは許します」を出すとだいたい引き下がるんですよ人は。「絶対絶対ぜぇ~ったい駄目です!」って言い張るからシロクマが支配してしまう。
この人の記事がかなりよかった。思想が近い。丸喜とか極道さんに関する解釈とかが特に。
どんな社会にも必ず正と負の側面がある。よりよい社会とは、このうち正の部分がどれだけ大きいかということに過ぎない。
社会をサイコロとするのであれば、強者とは当たりの面を引いたものに過ぎず、弱者とはハズレの面を引いただけだとも言える。
1から5まで正の面だとしても、6一つが負の面だとすれば必ず負を引くものが六人に一人はいる。
それでも多くの人が幸せであるのなら、社会はこのハズレの面を無視してしまう。
極道が許せないのはこの無視という行為なのだ。
(…)
もちろん、無視する人ばかりではないしそういった人たちの声が多く大きくなれば一つ一つ負の面というものは改善されていく。
だが間に合わなければどうしようもない。
https://note.com/ten7miduki/n/nb00810226ed4?magazine_key=m58dcc254c136

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