生活にリアリティがない
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とにかく、生活にリアリティがない。何をしていても心が動かない。
ここ数日、平時の私では考えられないほど色々な行動を起こした。四時間近く電車に揺られた。実家に帰省した。海を歩いた。公園を歩いた。歯磨き粉と洗顔料を間違えた。二千日以上ぶりに親の飯を食べた。兎を撫でた。友人[要検証]と会った。
だのに。嗚呼、だのに……。無感動。ひたすら無感動。個人的にとくにショックだったのは兎事変です。目の前に生の愛らしい動物がいて、反応を示しているのに、こうも心が動かないとは。
海もショックだった。あんなに海が好きだったのに。晴れ渡る真冬の海辺を歩いていっても、期待していたほどの感動がなかった。海辺に群れる小鳥もいたのに。
何をやっていても実感がない。リアリティがない。心が涸れている。いま数日ぶりに家に戻って、道中降られた雪を払い落としているが、動感がない。だからどうした。
いえ、ひとつだけ心が動いた瞬間があります。実家を去って最寄りの駅へ向かう時。親が別れ際に手を振ってくれました。私はあまり気に留めず駅のホームへ向かった。そして向こう岸のホームへと続く階段をわたる時、ふと外を見ると、親はまだ手を振っていました。あの瞬間だけ——なんだか、無性に泣きそうになりました。
愛されているという実感がない。つながっているという実感がない。しかしもっと浅瀬の部分では……たしかに何かを感じたのだと思う。部落に出てからホームシックの念を一度も抱いたことのない私が、なんだかあの場所がとても恋しくなりました。もう二度と会えないような気がする。そして多分それは真実になる……。
あとあれだけ何度も確認したのに、ふつうに帰りの駄賃が足りなくて若干パニックになるなどした。裏技で金を捻出しましたが。人は追い詰められると何でもできるもんですね。最近それを強く思う。これだけものぐさな人間でも、ここまで生きていられているのだから。
子供の頃、実家の近所にある公園のアスレチックでよく遊んだものだが、見に行ったら軒並み遊具が撤去されていました。これが時代の流れか。こんな辺境の公園でまでそうなるんですね。
他にも色々「思い出」は出来たのだが、実感がない。これは本の上の記録と同じだ。自分の経験なのに心的時間旅行が発動していない。

実家の生活がいかに破綻しているかを示す画像をお見せします。(特定防止で画質を落としています)
これは私の部屋ではなくて上の人(キビボ用語)の部屋だけど。

二年前の今頃も、こういう平時には絶対にしない行動をたくさんして、風邪を引いて、向こう数日なーんにもやる気がなくなっていた気がします。気がするっていうか事実そうなんだけど。(記録にあるので)
ここ最近で一番心を動かされたもの、これまである。こういうのに弱いんです……。

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