無力な私を追い詰める為に降るの
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愛せないのは自由でしょう
代償は愛されない事
薬箱
このレリック貰い受ける。
最近はひたすらヨエコを聴いている。何故か。「潰すプリンの海で泣く」なんて歌詞よく書けるわ。
一ヶ月が過ぎた頃 異変に気づく
脳内物語がまったく進んでいない
かまど……どうして……。もうだめです。おらにはなんもできんです。オム゛っが……ぐす……オムおせいです……。
ダーウィン事変という漫画を少し読んだ。まだ何がしたいのかいまいち分かっていないが面白そうな空気はある。
作中でこんな議題があったので少し考えてみる。
なんで,人間「だけ」は殺して食べちゃダメなの?
もしそれが,苦痛や死を与えたくないって理由だとしたら,
神経系を持つ有感生物はみんな当てはまっちゃうし…
それとも他に何か,人間だけを特別にする理由があるの?
私はわりと納得いく回答ができる気がするんだけど、これじゃダメなんかなぁ。
シンプルに考えましょう。これは「死にたくないから」で説明がつく。ようするにNIMBYと同じです。動物を殺すことを許しても自分に危害は及ばないが、人を殺して食べていいというルールを認めてしまうと自分が対象になり得てしまう。自分が殺されたくないから人間を殺して食べてはいけないというルールを敷く。
だから倫理としてダメというより自己保身のためにダメということにしたというイメージです。社会契約的な説明だが、これで充分じゃないかなぁ。まぁこんな浅瀬の回答には当然作中で反論が来るものとは思っているが、どうなんだろう。
決してこの漫画に限った話ではないが、よく思うのは、知的誠実さが重要な議論をする場合はアナロジーを禁止した方がいいんじゃないかと思う。主題を何かを類推するということは必然的に認知の省略を伴うし、あまりにも容易に誤った類推になりすぎるから。「赤信号は止まれ」もそうだよね。赤と青の境界と意識の境界を同列には語れないでしょう。アナロジーに頼らないと説得できないような議論ならもっと基盤を見直したほうがいい。
アナロジーって基本的に誤謬の武器庫なんだよな。その行為自体が今存在しない仮想敵を作り上げるという意味で藁人形論法に近いし、論点ずらしにも合成・分割の誤謬にも派生できる。ゲームの操作のコツとか漫画のストーリーの要約とかそういう認知の省略に使われるべきで、正義の話に持ち出すべきものではない。
なんだこの異常な浮遊感!? すげーいい。良くないはずなのに良い(!?)。なんだろう……素人感があるのにとんでもない玄人のようでもある。中学生の歌い手のようでもあり宇多田ヒカルのようでもある。すずめの兵隊のようでもありユーコアズマビのようでもある。
我が住処でクマと遭遇する確率をかなり具体的に計算してみたのだけど、絶対零度が3連命中する確率くらいでは出会うっぽい。ヤバいじゃんじゃあ。
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