無事に帰れると思うなよ
この記事を閲覧するにはアカウントが必要です。
書くことなさすぎて爆笑してる。
戦争の夢を見た。よかった。やはり戦争か。ダーガーが生涯取り憑かれていたものだ。
血縁者がケッコソして色々面倒なことになってる。すべての縁を切りたい。
私は私の情緒の二面性について長年謎だったけど、最近になってようやくわかった。普通の人と決定的に違う部分がある。それは「近しい」ことによるボーナスが存在しないということ。その代わり基礎点は高いんです。これはどういうことか。
つまりね。一般人っていうのは親族とか友達とか恋人とか、親しい人の死には咽び泣き悲しみ哀悼に暮れるわけでしょう。その代わり、今現在アフリカで飢餓で死んでる子供とか、どこの馬の骨とも知れない成人男性の自殺とかは心底どうでもいいわけでしょう。私の場合、そういう「どこの馬の骨とも知れない他人」も、「親族・友達・恋人」といった近しい人間も、すべて平等の情感しか抱かないんだ。母や妹の死とアフリカの子供の死が等価に扱われるわけです。その代わり、さっきも言った通り基礎点が高く、一般人よりも「無関係の他人の死」に強く情緒を動かされる。一般人が親しい人に100の共感、他人に1の共感を配るとしたら、私は双方に20配ってるみたいなイメージと思って下さい。
24-09-07_104829
この感覚を理解してくれる人が思ったよりこの世にいないということに気付かされた。
「家族なんだから」「友達だから」とか言われても、心底空虚です。「アフリカの子供なんだから」って言われてるのと変わらん。5000円くらいなら寄付してやるけど、それまでよ。
デルタルーンのクリスが好きすぎる。
あんまりにも可哀想で愛おしい子や。ちょマジで皆デルタルーンやってくれ。15時間くらいで終わるから。
何がすごいって、「クリス」が言葉を発することはほぼ全く無いのに、こんなにも、こんなにも色鮮やかにクリス・ドリーマーというキャラクターの人格を描けていることですよ。
ノエルに祈ると言われてマジギレしたり、プレイヤーに言わされかけた「二度と弾かない」を手を強く噛んで押し留めたり、ミニクリスから身を挺してスージィを助けたり……。何よりあのピアノよ。すごいわほんまに。
Piano that may not be played that wellに心底惚れてしまいました。なので電子ピアノを買いました。それほどまでに感動した。あまりにも切実。胸が張り裂ける思いとはこのことか。
運命の操り人形みたいなキャラが好きなのかもしれない。そのうえであがいているキャラ。
これで毛色が違う好みを全部説明できる気がしてきたな。エレン、フォス、アドルフ、ヴァルジャン……ヴァルジャンが運命の操り人形はちょっとこじつけかもしれんが。
クリスの行動ひとつひとつが愛おしい。ジュースの乾杯とかね。プレイヤーとしてそこに介在しなければいけないのは心苦しい限り。
ところでクリスって男なんでっしゃろか。基本的にアンテ系列の主人公は男派なんだけど、スージィのことを考えると女の子の方がいい気もしてきた。
百合好きが嫌いなわたしが女×女の方がいいっつってんだから相当なことよ。いや、百合にしたいとかじゃなくて、クリスが男でスージィが女だと……なんか、ねぇ? いや、いいのよ? 全然いい。男女の友情おおいにアリだと思う。ただ、別に特別どちらかである必要がないってんなら、女女の方がいいんじゃないですかね。
男女ペアってどうあったって「そういう目」で見られることは避けられないわけで。理想や思想は別として、現実としてさ。そういうリスクに直面してでも選択する理由があるならそれでも良いと思うけど、どっちでもいいってんならクリスが女の方がいいのかなぁと……。
クリスとスージィのnormal sexってまったく想像できないし心持ちに合わないけど、クリスとスージィのsesbian lexなら何か不思議なくらいしっくりくるよね。ストンと落ちるよね。
でもアズリエルのことまで考えると男のが良い気もしてきた。どっちやねん。「アズリエルの妹」ってなんかしっくりこないんだよな。アズリエルの弟ならメチャクチャしっくりくる。
まぁでも男でも女でもクリスが一番好きです。正直どっちでもいい。クリスがクリスであるかぎり。
脳内物語が完全に前進を止めている。
まあ、オカケンシリーズが脳内物語と言えなくもないですが。これはほぼぴったり100万字でひとまず完結とさせていただく。いっそ公開するか?これを。結構面白いっすけどね。
ていうかなんならオカケンシリーズのがダーガーっぽいよな。ちょうどメイン女子7人だし。
絵が意味ないのではなく、上手い絵に意味がないということに気づいた。
上手い絵ってマジで意味がない。「上手いから意味がない」のではなく、「上手いことに意味がない」という意味。この違い、わかりますかね。
if hoge.aesthetic === "good" -> meaningful
この式が誤りといっているだけで、
if hoge.aesthetic === "good" -> meaningless
と言っているわけでも
if hoge.aesthetic !== "good" -> meaningful
と言っているわけでもない。
こんなアタリマエのことが字面から分からない人が結構いるんですわ。
言いたいのはmeaningfulであるためには別の変数が要るということであって。
「じゃあその変数って何よ?」となった時、真っ先に飛びつきたくなるのは気持ちだとか感情だとか心だとかだが、これはオカルトになるので外れである。
これも同じく度外の変数ということ。いや、度外というよりはORで括られていると言うべきか。つまり必須要件ではないということ。
正体はおそらく「絵柄」であり、それ以上でもそれ以下でもない。
ねずみの住家氏の「食べないって言ったのに」とか、クドリャフカと俺シリーズとかね。お世辞にも上手い絵とは言えないが、間違いなく魅力的だ。拙いピアノだ。
我々は視覚による「拙いピアノ」を目指さなければならない。それだけが唯一芸術が為せるゴールだと思っています。その他のゴールは「芸術が為すゴール」ではなく「芸術を媒体に資本主義が成すゴール」だったり「自己実現が成すゴール」だったりする。それが悪いとは言わないが。
哲学的思考やら自己啓発やらに傾倒してみても、「忘れる」という順方向のエネルギーに押し流されて端から全部消えていくので、やる気が起きない。手続き記憶を強化するようなものにしか興味がないというか意味がない。だからピアノを弾くしかない。
もう、やめましょう……何もかも。キリがないから。ここで終わらすだけなの。さもなくば永遠に、永遠に、さまようザマ。「ザマ」ですよ。藤井風はそれをザマと言った。人生を考え直さねばならん。
米津玄師の「マルゲリータ」がピザ会社とのコラボ曲じゃないの、かなり異常である。「こちら案件動画となっております!」と叫ぶべきはずの動画でコールがないような違和感。
Comments ( 0 )
No comments yet.