殺しの作法
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- 規模
- いたずらに大きければいいというわけでもない。「核弾頭が炸裂して80億人が死亡しました、おわり」は弱い。
- おそらく1人は特例として、2~10あたりで加算的に増えていき、しかし一定以上大きくなるとむしろインパクトが減衰していくものだと思う。
- この「山谷」は一箇所だけではなく複数箇所あるものと思われる。つまり2
10で上がって1001000で下がって100万~でまた上がって……ということが考えられる。(数字はあくまで例)
- この「山谷」は一箇所だけではなく複数箇所あるものと思われる。つまり2
- 予見性
- ありすぎてもなさすぎてもダメ。だが中間というよりは「かろうじてある」くらいが最大値だと思う。(例: 氷月の死)
- ありすぎるよりはなさすぎる方がマシ。(例:クレプスリーの死)
- 予見性とは作品内文脈(internal context)にくわえて作家性などの外在文脈(external context)がある。外在文脈が高いと作品内文脈が無くても予見性は上がる。(例:ナユタの死、早川アキの死)
- 人物
- メインキャラの死か、モブの死か。当然メインキャラの方が価値が高い。
- あと男女もさすがに大事になる。ただ男女差は生き死にというより損壊状況の影響の方が大きいかも。ブラゴの腕が千切れても別になんとも思わないが、リィエンが血反吐を吐いていたらたとえ命に支障がなくても衝撃が大きい。
- 手段
- 銃殺、爆殺、圧死などなど。視覚的にゴアであればあるほど基本的にはインパクトが大きい。
- 変わり種で「生きていると思っていたキャラが実は殺されていた」というのがある。(逆転裁判6のドゥルク・サードマディ、SDRA2のKokoro Mitsumeなど)
- 霊媒や変装や双子などの入れ替わりトリックの介在が前提となるので特殊だが、けっこう(というかおそらく最も)インパクトが大きい。
- 類似して「あいつはもう死んだよ」みたいなのもある。(不滅のあなたへのリーン、進撃の巨人のユミルなど)読者の観測外でメインキャラを退場させるのは結構効果的。
- 結果
- 結果、というかほぼ蘇生の有無になる。
- シンプルに魔法などの奇跡で復活、人造人間として復活、幽霊として復活、冷凍睡眠などなど……
- 変わり種だとジョジョ6部の「世界一周」みたいな和らげ方もある。
- 案外そこまで死のインパクトを毀損しないという説がある。(「予見性」につながらない限りは)
- 意味
- 犬死にか、意味のある死か
- 基本的には犬死にである方がインパクト大。
- 遡及して犬死にするという手法もある。つまり、「俺たちはAの意志を継いで進むんだ……!」みたいな感じでその場では良い感じに意味ありげな帰結になるのだが、後で内ゲバを起こして数十話かけてAの意志をガン無視するような結果に落ち着く、というような。これは特に「遺言」がある場合、回収と放棄を割と何度も繰り返せるのでマクガフィンとして使いやすい。
- 逆に犬死にに遡及して意味をもたせる事もできるが、こっちは割とナチュラルに行われるのであまり目立たない。
それぞれがNUD(narrative utility of death)を持っており、これらをうまいこと計算してが総NUDが決まる。
「予見性」が高くても「規模」のNUDが高い(≠規模が大きい)と、それなりに衝撃的になる。(例: 闇の悪魔によるメインキャラ虐殺) しかしこれは予見性のマイナスが無効化されたことを意味するわけではない。
予見性は多分一番影響力が大きい。予見性って言うからおかしいのかなぁ……、本枠組みにおける予見性って「このキャラが死ぬ確率は高いだろう」ではない。たとえばダンガンロンパシリーズは毎回キャラクターの2/3以上が死ぬので、適当なキャラを好きになればそいつが死ぬ可能性は「高い」ことになる。しかしこれはキャラの死のインパクトを和らげない。「確率が高い」けど、そこには確かな「不確実性」があるからだ。
だから作品での「予見性」っていうのは、「この作者はこのキャラを殺したがっているだろう」というようなメタ読みに近い。これが予見されると殺しのインパクトが一気に弱くなる。ダンガンロンパシリーズにおいてはこういった気配はあまり無く、どこまで推理しても「が、誰が生き残るかわからない」というたしかな不確実性がある。
予見性のNUDがとにかく低いのは藤本タツキ作品やタイザン5作品など。アキが死んでもパワーが死んでも大して衝撃的でないのは、タツキがメインキャラを平気で殺す作家で(外在文脈)、かつそれを好んでいることが明瞭だから。
メイドインアビスも割と予見性が高いけど、人物を女子供に置くのは一番ローリスクで簡単に総NUDを高められるところではある。「手段」を激化させるのはチープになりがちだけどカートリッジくらいまでいけば割と効果を発揮している。ここもordinaryでないことが大事なのかもしれない。プレス機で圧死とかはゴアにはなるけどありふれている。少女のカートリッジ化は他に誰もやってない。
規模が上がると必然的に内在・外在どちらの予見性も飛躍的に上がるので、あんまり筋が良くないのかもな。外在の予見性って他のパラメータと違って永続なんですよね。一度上がると作品をまたいで引き継がれるからかなり厳しい。
予見性への影響は規模というより回数で見たほうがいいのか。一度の大虐殺と小規模の殺しを連続で続ける場合だと……という。
グラスチルドレン編のこととか考えても、やはり「女子供を殺す」というのが一番いい気がする。一番簡単。だからACGキャラは大体みんな少年少女なんでしょうね。あらゆる効用にバフがかかるのよ。大人がどうこうなるより。『いぬやしき』みたくそれを逆手に取ったものももちろんあるけど、原則は女子供が強い。
「結果」は一番難しい気がするなぁ。多分「復活の余地なく死にました」が一番NUDが高いってことはないような気がする。ケースバイケースすぎる。たとえば、「主人公が2話でいきなり死にました」は、まだいい。『チ。』で似たようなことをやってるけど。これがまだいいのは、「約束」をしていないから。そう、約束。この概念が要るな。作家は物語を展開するうえで「約束」を積んでいくんです。「この作品はこういう作品ですよ」という約束。ドクターストーンは「この作品は理不尽な暴力で人が殺されない作品ですよー」ということを物語を通して「約束」しているから、千空が司に脊髄損傷させられた時もスタンリーに撃たれた時も「実際に死んではいけなかった」のです。死んだらNUDが下がるんです。どこの?おそらく「結果」ということになるが……。
序盤はまだ「約束」を積んでいないから割と「復活の余地なく死にました」でいいとは思うけど、そもそも序盤の死って総NUDが上がらながちだし、よくも悪くもその後への影響が低いのであまり考えなくていいかも。いやぁそうでもないのかなぁ……インスタントでない結果は「意味」に分類されると思うのだけど。意味がそのまま約束になるという見方もできる。ネッド・スタークの死はゲーム・オブ・スローンズという作品に「約束」を打ち立てている。どういう約束か具体的に言語化するのは難しいのだけど、原則として「メインキャラは理不尽な暴力によって犬死にすることがあり、復活はありませんよ」という約束といっていいだろう。ただ此れだけでは難しい。ジョン・スノウの復活は此れを破ったことになるが、作品の質をあまり下げては居ない。逆にシーズン8のドラカリス虐殺は約束を守っているが、しかし作品を破壊した。「デナーリスは義の主人公であり、理不尽な暴力はしませんよ」という約束が別にあり、それを破った、という主張も出来るっちゃ出来るし、おそらくそれは正しいのだけど、こうなるとフレームワークが複雑化しすぎてフレームワークとしての意味をなさなくなってくる。
正確性(accuracy)と器用性(manageability)のトレードオフは基本的に器用性を優先するべきと思っているので、正直今の段階でも変数が多すぎるくらい。「約束」に合った適切な結果を選ぶとして、やはり約束はひとつに絞ったほうがいい。「デナーリスは義の主人公であり、理不尽な暴力はしませんよ」とかは「キャラクター造形」の話であって、キャラクター破綻はNUDとはまったく別の概念になるから。当たり前だがNUDはすべての作品のエラーを説明するフレームワークではない。キャラの死の効用について説明できればそれで良いのだ。
それでいうとジェイミー・ラニスターの死は最悪に近い。内在予見性がゼロで、手段がanticlimacticで、意味がない……意味がないのが一番大きいのかなぁ。流れ作業で殺された感じがある。「犬死に」と「流れ作業での死」はまた別になるなぁ。これはより大きな視点で「規模」の話でもあるのだろうか……。
思うに「犬死に」は「犬死にであるということの意味」をまた別に求められていて、ジェイミーの場合はそれすらないのでまずいのだと思う。クレプスリーは犬死にしたが、「最も長い時間一緒に居た師匠が、なんの意味もなく死んだ」事そのものがダレンのその後に影響を与えたわけで、そういう意味でナラティブ的な意味はある。
10巻の序盤でもダレンはクレプスリーの死を受け止めきれずにいる。Cirque Du Freakに戻るが、食欲はなく、睡眠不足になり、シャワーも浴びず、爪ものびっぱなし。一人、鬱鬱としている。
そんな彼のもとに、Cirque Du Freakのメンバーの一人・トラスカがやってくる。
彼女とのやり取りの中で、ようやくダレンはクレプスリーの死を泣くことができるんです。
ずーっと一人で抱え込んでいた感情を吐き出して。
Cirque Du Freakに戻ってから初めて、クレプスリーの名前を呼んで。ようやく大声で泣くことができるんです。
こうなるとそもそも犬死にとはなんだという話になるが、明言されている戦略的目標がある場合はそれを達成できずに死ねば犬死にと言っていいだろう。(例: 火拳のエース)
あと今気づいたけど「手段」に被害者の苦しみという変数もあるな。被害者の苦しみってまぁ文法上は能動なんだけど、「どう苦しませるか(あるいは、苦しませないか)」という視点で見て「手段の一環」と捉えた方がいい。
どうも手段は直接表現せず結果で暗喩する手法が全般に強いような気がする。Kanata Inoriの感電死は我々は「結果」しか知らないが、捜査過程でいかに苦しみながら死んだのかが如実に推測できるようになっている。これはインパクトが強い。
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