冷笑20
この記事を閲覧するにはアカウントが必要です。
なにに対しても冷笑して冷めた目で見て切り捨ててるよりは、なにかに熱量ある方が全然マシかな…
こういう言論は比較的よく見るけど、よく考えると「なぜそっちの方がマシなのか」を説明してもらえた試しがないんですよね。
「冷笑なんてつまらないから」じゃ説明になってないしなぁ。個人の知覚の問題だから。
まあ私が思うに、大方の人に共通する冷笑嫌いの根源はナラティヴ性なんですよね。何度も言うように。冷笑から物語は生まれない……とまでは言わないけど、きわめて生まれにくいから。
あらゆる作品は……それこそ『シャインポスト』もそうだけど、誰かが何かに向かって熱量を持って必死に頑張ることで成立している。トップアイドルを目指す、サッカー全国大会を目指す、メダリストを目指す、両面宿儺を倒す、鬼の王を倒す……なんでもいいんですけど、そういう大望が必要なんですね。
これがフィクションに限らないという、それだけの話でしょう。でもこうやって記述すると、尚更冷笑したくなりませんか? 私はなるね。谷川俊太郎が唄うように。
生きることを物語に要約してしまうことに逆らって
谷川俊太郎, 夜のラジオ
人は他者に物語性を求めている。それは私にはなんだか悪徳に見える。
谷川俊太郎に出会わなければ私も冷笑を冷笑していたかも知れません。しかし「すべてのものに意味がない」と断じ、戦争も平和もどうでもいいと祓った彼が、その思想を抱えたまんまに日本有数の愛された詩人として往生したことは、私にとっては希望です。
今はすべての存在に意味があると思う世界でしょう。でも僕は、すべての存在に意味がないと思ってるの。
谷川俊太郎
わりと昔から、自分自身に関心がないんです。
いまは、生きている意味もなくていいと思える。
谷川俊太郎
まあ、私が谷川俊太郎に見いだしているもの自体も物語性じゃないかという話もありますが……少なくとも熱量がなくても物語を生み出せる稀有な例を彼は見せてくれたのです。「なにに対しても冷笑して冷めた目で見て切り捨てて、かつ面白い」。これが出来るなら越したことはないんです。私の価値観としては:
冷笑∩愉悦>熱量∩愉悦>冷笑∩不快>熱量∩不快
って感じ。私に限らず本当はみんなそうなはずなんですけどね。「冷笑∩愉悦」の存在を信じきれていないだけで。早々お目にかかれるものではないから。
虚無主義はすべての人間がいつかあきらめて回帰する場所だ。(ここの「あきらめる」は谷川俊太郎定義)若いうちはともかく、やがては虚無主義に帰るしかないという自覚がないと中々俊ちゃんのように感謝にあふれた往生の仕方はできない。
あと本当の意味ですべてを無意味と視ることなんて誰にも出来ないしね。冷笑/熱量という括り自体がだいぶざっくらばんだとも思う。ほとんどの人間はその双方を併せ持ちながら調整して生きているはずであって。逆に冷笑99熱量1で生きているヤツがいたらそれはそれでめちゃくちゃアツいと思いますけどね。たったひとつ以外をすべて冷笑する。熱量99冷笑1よりそっちのが興味深いよな。
俊ちゃん自身、みずからを「反体制的な人間」と定義しているのだけど、そういう思想の人間が思想を保ったままに振る舞いによって社会と共存し往生出来るということを証明してくれたのはとても大きいのです。さもなくば「危険思想を持つ人間は排除すべきだ」みたいな言論が力を持ってしまうからね。
記事の感想を伝えられます。
感想レターを書く
定型文を選択
スタンプを選択