伝記1
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創作世界、およそはじめて同名のキャラが生まれてしまった。ミカエル(9部)とミカエル(10部)がいる。
やるべきことをやっと思いついた。
グレイテストチャンピオンへの道2……。
私はグレイテストチャンピオンへの道GBAに心から心酔しました。あんなに面白いゲームは後にも先にも現れまい。本当に本当に面白かった。デスノート並みの密度。圧倒的ボリューム。
だのに2をやったことがありません。これはいったいどういうわけだろう。グレイテストチャンピオンへの道2をやらずにこの人生を終えられますか?NO。
ただ、DSか……。出来ることならGBAでやりたかったぜ。逆に(出たよ)GBAに移植しようかな。DS→GBAに移植されたゲームがあったらめちゃくちゃ面白いと思う。
ていうか、AI時代だし、そういうダウングレードの移植を手軽に出来るようにならんかな。レトロがありがたがられる世の中だし。バニーガーデンをVa11Halla風にするとか。
Adolf had brought starvation to a fine art, though he ate very well when occasion offered. To be sure, in Vienna he generally lacked the money for food. But even if he had it, he would prefer to starve and spend it on a theatre seat. He had no comprehension of enjoyment of life as others knew it. He did not smoke, he did not drink, and in Vienna, for instance, he lived for days on milk and bread only.
俺たちと同じだ(https://youtu.be/EFrvQqEmb2c?t=39)
MBTIのパロディらしい。やってみたら「FAKE」というタイプに辿り着いて本当に最悪だった。娯楽診断にすらフェイク野郎呼ばわりされる人生。
なおFAKEタイプはENFJかINFJが多いらしく、過去ログで自分のMBTIを見てみたら見事にINFJだったので割と一貫性はあるのかもしれない。しかし提唱者タイプはフェイク野郎というのもなかなか寓話的だな。
第三者視点から語られる人物の伝記が好き。アドルフにせよナイトにせよ。私も勝手に第三者の伝記を遺そうかな。なんか、いいんですよね。何がいいというのが極めて言語化しづらいんだけど。ポカポカする(綾波)
語れる人間は何人かいるが……とりあえず仮名としてスザクとでも呼びましょうか。
第一回伝記・スザク
スザクと私は2011年ごろのTwitterで知り合った。具体的な過程はもはや覚えていない。彼は至ってどこにでもいるオタクだった。歳は私の一歳上(これを知ったのはかなり後年の話になるが)、しかし1月生まれなので実質ほぼ2年離れている。東方とポケモンを世界樹の迷宮を愛し、くだらないことを呟き、自然と形成された身内で適当に遊ぶ。我々の共通点といえる共通点は、ほとんどなかったといってよい。私もポケモンは熱を持って遊んでいたが、東方は知らなかったし、そもそもポケモンの好みもまったく合わなかった。当初乱数調整を憎んでいた私と比べて彼は圧倒的肯定派だったし、高速アタッカーが好きな自分と比べてスザクは鈍足耐久型や重火力型を好んだ。
彼の存在が私の中で特別となったのはまったく別の所にある。彼は絵を描いていた。といっても、当時の画力といえば、ハッキリ言ってしまうとひどいものだ。私も人のことを言えた義理ではなかったが、それにつけても当時彼は絵をはじめて1年や2年そこらといった具合だったし、ペイントで描いたようなバリバリの原色に強弱のない線画が特徴的だった。だが、彼は一次創作をやっていた。アメブロを運営しており、そこでは彼のOCが軽い漫才を繰り広げたり、世界観を説明したりしていたのだ。
私はそれに心底魅入られた。他人の一次創作に魅入られるという経験は、商業を除けばおそらくそれがはじめてのことで、彼の描く世界のすべてが心底魅力的に見えた。
私は立て板に水のごとく彼を質問攻めにした。このキャラはどういった人物なのか、人間関係は、属性は、能力は、設定画は……。はじめは自分の世界に興味を持ってくれたこの奇妙な来訪者に、彼もまんざらではないように見えた。しかし気づくのが遅かった。私とスザクは一次創作への向き合い方が決定的に乖離した存在だということを。
もっとも、乖離というなら私がスタンダードから一方的に乖離していたにすぎない。彼はいわば典型的な保守型の創作者だった。OCを「うちの子」と呼び、家族のように扱い、果ては己のユーザーネームにさえその姓を取り入れた。彼の創作世界は自分だけの庭であり、そこに足を踏み入れようとするものにはいつでも強い警戒を抱いていたのだ。私はそのシグナルを手遅れになるまで受け取ることが出来なかった。私からすれば、創作者は創作物の親でもなければ管理人でもなく、一度世に出した以上はあらゆる解釈と利用が自由で、骨の髄までしゃぶられ尽くすことが創作物にとっての至上の喜びだと信じていたからだ。創作物から「作者」の名前が完膚なきまでに消え失せ、遍在することにまさる喜びはない。そういった思想を当時から抱いていた。(後天的に名前をつけるなら、ロラン・バルトの「作者の死」の概念に近い)
私たちはその乖離を示し合わせることが出来なかった。私が彼の世界に抱く飽くなき好奇心と興味は、彼からすれば厄介な侵入者か、あるいは簒奪者のように見えたのだろう。
己の創作世界を愛してくれる他者の存在を、なぜ拒むのだろう? 当時の私はそれを上手く理解できなかった。さらに私を困惑させたのは、べつに彼はストイックな表現者というわけではなかったからだ。流行りには比較的阿り、女ばかりを描き、ふぁぼリツをもらうことを何より至上の喜びとした。(もっとも、彼からすれば女ばかりを描くことこそが元より本望であったようだ。出来ることなら男だけを描いていたかった私とはこの点においても真逆であった)
もっとも、私を簒奪者と警戒した彼の直感はある意味では正しかったとも言える。目下私の最大の関心事は、いかにして彼から創作世界の情報をより多く引き出すか、ということだったからだ。というのもスザクはこと自分の世界のことになると驚くほど言葉少なで、よほど頑強に問いたださない限りは情報をまったく出してくれなかった。たとえば頻繁に描かれるキャラクターの名前がわからない。「このキャラはなんていう名前なんだ」そう問いかけても、「教えない」の一点張り。こんなやりとりを数十度繰り返して、たまたま彼の機嫌がよかったときにやっとのことで聞き出せた――そんな「情報収集」が必要だったのだ。
今思うと、キャラの名前を教えてくれと言われてここまで出し渋る性分もよくわからないところではある。名前に限らず、こんな事例には事欠かなかった。たとえばある日突然既存キャラの目の色が変わっていたりする。これはどうしたんだ、と聞いてもやはり何も教えてくれない。あるいは髪色が変わっていたこともある。同じ見た目で名前が変わったことも。何も教えてくれない。彼は己の創作には神経質だったから、ただのミスというのはありえないということを、私は十全に知っていた。すべてには必ず意味があったのだ。結局私は、執拗なハンティングにも関わらず、抱いた疑問の半分も回答を得られなかった。
また、私は簒奪というよりどちらかというと何もかもに押し売りを仕掛けるタチだった。たとえば当時私はダンガンロンパにハマっていた。スザクはまったく興味が無さげだったが、ひたすらにゴリ押してやらせるところまでいった。なお、そこそこ遊べたらしい。
逆に私が彼から影響を受ける事もあった。セブンスドラゴンというゲームは彼の存在がなければ絶対に買わなかっただろうが、こちらもそれなりに遊べた。
「ゲームを作ってみたい」とこぼした彼に執拗なまでに後押しをして半ば無理やり作らせたこともある。
だがそういった押し付けがましい存在は、圧倒的自立を好む彼にとっては鬱陶しいものだった。
我々の、ほとんど徹底的に相反する性質は、最後まで解決を見ず悪化するばかりだった。諍いが増え、やがて関係は破綻した。少なくとも、表面上は。
そこからどう持ち直したかはよく覚えていない。実のところ、当時私はたいそう人格が破綻していたので、このような顛末を迎えた関係は少なくなかった。が、幸運にもそのほとんどを数年越しに回収することが出来ている。スザクとは今も年に1度はやり取りをしている。最初の再会は、(他の多くの再会をそうしたのと同じく)私からメールを送ったのだと思う。探せばログもあるだろう。
少し話が未来に飛びすぎた。もう少し中間の話をする。
スザクと私を結ぶもっとも色濃い関係は、rivalryだった。少なくとも私にとってはそうだった。互いの絵のレベルが、当時知り合いと呼べる関係にある中ではおそらく最も近いと、互いが思っていた。
ある時は明らかに互いの絵の添削をしたりアドバイスをしあうこともあった。コンペティションのようなものをしたことさえある気がする。
スザクの方が絵歴が浅いこともあり、そのぶん成長するのは速かった。彼がみるみる上達するたびに私は焦り、それは結果的に良い刺激になっていたと思う。
ライバル意識はポケモンにおいても如実だった。互いに何度も対戦し、実力は拮抗していたと思う。とかくスザクは私の終生のライバルのように思われた。
しかし、漫画家がゴッホに嫉妬したりはしないように、ジャンルが乖離してくるとライバル意識もなくなってくる。
先ほども少し触れたが、私たちの絵の好みはまったく異なっていた。当時私はとにかくカッコいい絵が描きたかった。一方スザクは可愛い女の子を描くことにしか興味がなかった。カッコいい男が描きたい私と、かわいい女が描きたいスザク。目標がまったく異なる二人は、しだいに互いをライバルとみなすにはあまりにも住む世界が違いすぎる事に気づき、そういった意識もなくなっていった。
青春とも呼べる時期をすぎると、関係性は比較的穏やかなものになっていく。
この頃はSkypeで画面共有をしながらもっぱら互いにお絵描きをしていた。彼の素晴らしい一次創作は健在で、ある時期からは世界観が一新されて新たなキャラクターが次々と出てくるので興奮したものだった。
英雄RPGという、オリキャラを使って戦闘ができるブラウザゲームで、珍しく彼が己の世界観を大いに披瀝していたのを覚えている。あの時公開された情報は今もすべて書き留めている。
彼の創作世界の素晴らしい要素のひとつとして、常にアイスバーグを見ている強い感覚があるのだ。表面に出ている設定やイラストの裏に、その何倍もの未公開の設定が隠れていることが強く感じられる。空洞ではない。私がスザク世界に強く惹かれたのはそのためだ。解き明かしたかったのだ、アイスバーグの裏側を。今でもそう思う。
私がそうまで必死になったもう一つの理由として、彼の削除癖があった。私とことごとく対照的なスザクは、とかく自分の作品を残しておくという意識が希薄で、いつどの作品が消えるかわかったものではなかったのだ。実際、当時あった絵の99%はSNSからもpixivからも削除されており、第一ブログ(アメブロ)も第二ブログ(FC2)も両方消え去った。手に入るうちに情報を得ておかなければ、彼の世界が永久に幽閉される気がしたのだ。それは私にとってはあってはならないことのように感じられた。
創作以外の面でいえば、二人のやり取りは軽口を言い合うものがほとんどだったが、私から真面目な人生相談をしたこともある。2015年8月13日、私は進路に迷っていた。これまで学んできた事を生かして情報系に進むべきか、それとも夢を追って絵や音楽の道に進むか。
普段は私を信じられないくらい邪険に扱うスザクだが、この時は至極真面目に答えてくれた。結局アドバイスに背く選択をすることにはなったが、あの時もらった誠実さは今も感謝している。
学校で学んだことを、そのまま仕事に活かす必要なんてないと思います。学校が教えてくれるのは知識ですが、実務的なスキルとなると、それをカバーできている専門学校なんてごくわずかですから。
もし誰かに「じゃあ、そもそもなんでその学校に行ったの?」と聞かれたら、答えはシンプルに「その時はそれに興味があったから」でいいんです。
そもそも、常に将来のことばかり考えて生きている人なんて、果たしてこの世にいるのでしょうか。 何が起こるか分からない10年、20年先のために準備するよりも、せいぜい1、2年先を見据えて「今、何をしたいか」を考える方が、ずっと気が楽ですし、何より楽しいはずです。
どうせ、人の気持ちなんて3年も経てば少しは変わるものです。 もし今、「あの学校に入らなきゃよかった」と本気で後悔しているのなら、その悔しさを次の機会に活かせばいいだけのこと。
個人的には、「やりたいことが分からない」と投げやりに生きるよりも、いくつかの選択肢の間で真剣に悩めるあなたは、よほど立派だと思います。
※もちろん言い回しや表現は大きく変えている。
疎遠が加速するのは、スザクの創作スタイルが徐々にしかし明確に変化してきてからだった。一次創作の割合がどんどん減っていき、二次創作が増え、やがてはまったくと言っていいほど一次創作を描かなくなった。それだけならまだしも、私の見ず知らずのひとつの作品の二次創作のみを一生やるようになったので、私はやがて興味をなくしてしまった。少なくとも創作というドメインにおいては。
だが人格という面においては、むしろ今いっそう興味を持っている。
前述の通り、スザクはとても警戒心の強い人間だった。個人情報の開示には細心の注意を払っていた。写真は一枚も載せたことがない。顔や部屋はおろか飯の写真さえ。何度か通話に誘っても、決して自分の声を乗せることはなかった。いわゆる聞き専だ。とかく人間関係を含むあらゆるアクティビティに対して消極的に見えた。
それがいつからか、というかほぼ私が疎遠になり始めてからだが、急にアクティブになりはじめた。ちょうどこの頃住居を田舎の実家から都会のアパートに移したらしく、その影響もあるのかもしれない。あらゆる人間と交友を持ち、参加できる大会や企画には片っ端から参加し、本を出しアクスタを作り抱き枕を作りコミケに赴き……。大人になってから急激に活動的になるという珍しい進化をたどったのだ。
一方で、考え方や信念めいたものを表明する機会はどんどんと減っていた。かつてのスザクはそれなりの思想家だった。私が見初めるくらいには、同年代付近の人間にしては考え方に芯があった。
例えば彼は、(近年の絵描きが容易に混合する)憧れと同一化を注意深く切り分けていた。「憧れてる人に近づきたいと思うことはあっても、その人になりたいとは微塵も思わない」と。とにかく自主性・自律性への不可侵に強い執着があったように見える。
ある時期までは、彼の考えや目指す所が私には明瞭に分かった。しかし数年前からそれがまったく見えない。彼が創作を通してどこへ行き着きたいのか?何を成したいのか?そしてそれは過去のスザクと一貫性を持つのか?私は未だにそれを知りたい。答えがどちらだろうと構わないのだ。ただ、知りたいだけ。
しかし今思うと、当時特に「不変」に固執していた私と比べて、スザクは自分が変わっていく事を当然のごとく受け入れていたように見える。記録に固執しない性格からもうかがえる。過去の自分(old self)に用はないというわけだ。
私が知るスザクの姿を遺すものはインターネットの地表には最早なにひとつとして存在しない。2022年以前のすべてのツイートは削除され、pixivからもそれ以前の絵はすべて抹消された。多くの会話を交わしたSkypeもサービスごと消えた。よって、もしスザク自身がその過去を保全する気がまったくないとするならば、私が知るスザクは私という個体以外のすべての地球上の存在から消え去ることになる。
私はそれがどうにも悲しい。だが希望は捨てていない。ここ1年近くで、彼の一次創作の比率は飛躍的に増している。いわく「腹をくくった」らしかった。
2022年の彼はこうこぼした。
「一次創作をメインでやって行きたい気持ちと、それをやるための自分の力不足感との間にずっと停滞している」
スザクには、すでに力は備わっている。私はそう信じている。後はスザクがそれを信じられるかどうかだ。スザクの創作世界は素晴らしいのだから。
( つ•᷅ࡇ•᷄ )つ…。
愛したことある?→ないよ
ここまで全部真顔で書いてる。誰を相手取ってもこれくらいの文章量は書けると思います。そらフェイカーにもなるわな。本当は興味など無いことを生涯の目標かのように並べ立てる天才。
もう誰も漏れのことを信じないでください。イベントは事実だが、エモーションは全部捏造だと思ってください。これまでもそしてこれからも。

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