ハッピーラボ2
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ひとつはっきりとわかったことがあります
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メンタル的に安定していたら絶対に人の悪口を言わなくなる
- 「安定」というのはきわめて局所的なタイミングのことね
- それはどういうことですか?
- 検証が可能です。実際にやってみれば分かるはず
- 前提条件:
- イライラしている。人の悪口を言いたい状態
- 晴天である
- 任意のタイミングで連れ出せる家族または友人または恋人がいる
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- 家族または友人または恋人と共に、30分ほど散歩に出ます
- 一人散歩でもある程度効果はあるが、思索を許すと元の情念から離れにくいので会話に占有させた方が良い
- 話す内容は上記イライラとは無関係の雑談が望ましい
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- 帰ります
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- (゚д゚)ウマー
- 前提条件:
- 見違えるほど回復しているはず。30分前が嘘のように
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逆にバッドプラクティスを教える
- 愚痴や悪口を裏垢やノートに書く
- 私はこれらに対して矛盾する別々の論文を何度も見たことがある。愚痴はストレス発散になる、とするのものと、いや愚痴はストレスを加速させるだけだ、というもの
- しかしある前提をつけるときれいにまとまる。答えはこうでした:「愚痴そのものは良いかもしれないが、『愚痴の記録』は明確に有害である」
- 嫌なことを紙に書いて丸めて(あるいは破いて)捨てるとよい、みたいなのがありますね。あれはただ気持ちを捨てる儀式というだけではない。記録媒体を明確に破壊することが必要だったのだ 「紙に書く」が主ではなく「捨てる」が主だったのです!
- 記録は記憶のアーカイブであり、感情の再生装置になります。ツイート、メモ、ノートなどに愚痴を残すと、後でそれを見た時にあんなことがあったということを”再生”する。これが脳のシナプスの結合を強め、嫌なことを自ら何度も何度も脳裏で再生する羽目になる
- 記録によって、あなたはもはや感情の主ではなく、感情があなたの主となるのだ 「今」思ってもないことを思わされるようになるのだ
- 書くなとは言わない。だが書いたら捨てる!!消す!!絶対に二度と復元できない形で!!
- 注: catharsis hypothesisは否定されているので、「書かないのが最善」には違いない。しかし人間だから常に最も合理的な行動が出来るわけではない。最善を選べなかったときの「次善」として、書いたら捨てるべきということ
- 愚痴や悪口を裏垢やノートに書く
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総合するととにかく鍵は「気をそらす」ことにある アテンションを送る一切の行為は感情を増幅させる やはりold teaching serves…「無視しろ」ということでした。
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無視するというのは受動的行動あるいはいっそ非行動に思われがちだが、まったく違う。アグレッシブに、能動的にアテンションを殺す必要がある。というよりアテンションを再帰させるものを殺す。
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たとえば元カノとの思い出に苦しむなら、元カノを殺すのではなく元カノを思い出させる一切のものをさっさと捨てる。間違ってもインスタなんて見に行かない。
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素直にやってもシロクマ効果になるおそれがあるので、「見ないようにする」「忘れる」と意識するのではなく、まず「捨てる」行為をさっさとやって、その後とにかく別のものにアテンションを占有させる。「見ないようにする」なんて意識さえ働かなくなるくらい占有させる。
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it serves in the long run.
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「考えなくなる」のが唯一のキュア方法だが、「考えなくしよう」と思うことはシロクマ効果によりバックファイアするので、例えばAを考えなくしたいなら「Aを考えるな」ではなく「Bを考えろ」に全力を注ぐ、という思考転換が必要になる。
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来週の期末テストで悩んでいる学生も、帰り道に自転車で転んで片足がブチ折れたらテストなんかで悩む余裕はなくなるだろう。極端な話だが、アテンションをシフトするとはそういうことだ。
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ちなみに
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悪口というとバカアホみたいにわかりやすいものと思う人が多いんだけど、少なくとも自分を律する際はもっと広範に考えたほうがいい。「許せない」「正さなければならない」「強く批判すべき」みたいな衝動が僅かでも働く一切のものと思った方が良い
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なぜなら人は責任転嫁の天才なので、よほど間口を広くしないと「悪口」の定義から己の行為を引き剥がそうとするからです、なんとしても
- テンプレ:
- いやこれ悪口じゃなくて事実なんで
- いや悪口じゃなくて感想なんで
- まず脳内の永田さんに「大事なんですか、あなたにとって?」と訊かれた方が良い
- テンプレ:
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間口を広くしがちというのは全般について言える。言葉はきわめてplasticであるが故に、その気になれば際限なく定義を歪曲させられる
- だからタダの戦争や侵略が別の立場では大真面目に「特別軍事作戦」って呼ばれたりするわけです
- 自分をcheckする時というのは馬鹿げていると思えるほど自分に対して厳しい定義を強いたほうが良い
- ヘイターを救いたいと思っていた時期もあったが、やめた
- なぜか:勝手に救われるから
- 年がら年中、生まれて死ぬまでヘイターってやつはなかなか居ない。若い頃はjerkでも、勝手に成長して、勝手に前頭葉を発達させて、勝手に丸くなっていく
- 下手に介入する方がややこしくなることが多いし、何よりこっちが損を食う
- 若い時期にヘイト行為で取り返しのつかない失敗をする人も中にはいるだろうが、ほとんどはそうではないし、「どんな理由があれ誹謗中傷はよくない」という土台ができていないうちに早期救済することはほぼ不可能
- 「わたしが先に忘れよう」が結局最適解ということになる あまりにも忘れたもの勝ち
- えらいとかではなくただひたすらに”最適”なのだ
- リボン先生の文章が見れる!!!
- しかもおもろいし。すごいねリボン先生、なんでもできるねぇ( https://www.nicovideo.jp/watch/sm18352691?from=606.33 )
私は上半身を起して、
「窓から小便してもいいかね。」
と言った。
「かまいませんわ。そのほうが簡単でいいわ。」
「キクちゃんも、時々やるんじゃねえか。」
朝, 太宰治
窓から小便をするという事も、だから、本来は貴族的な事なんだ。
朝, 太宰治
すべてのコンプラが破壊されていて最高。
昔の日本文学に出てくる女って誰も彼も魅力的でいいね。三四郎の人とか。昔の西洋文学だと言うほどでもないんだが。カルメンとかコロンバみたいな悪女ばっか見てるからかしら。でもテスとかはどっちかというと日本文学の女っぽいはずなんだが、しかし何かが決定的に違う。
なんでしょうね、日本文学の女ってベースとしてからかい上手の高木さんなんですよね。(?)チラリズム的なエロスというか、そういうのが常にどこかしら蔓延っている感じがある。ひとめ従順だが上手(うわて)という、前々から私が言っているストライクゾーンにはまりやすい。
- 諸事情により寂しくなってきた
- 6ヶ月ぶりn回目
- おのれの価値が揺らぎそうな時に起こると思います
- 人が離れて行ってしまう時、誰かに悪口を言われた時、試験に落第した時など
- 寂しくないときというのは、己の価値を信じられている状態とかじゃなくて、己の価値についてそもそも考察していない状態というのが正しい
- さっきの悪口理論ともちょっと関連するんですけど
- 友達と遊園地で楽しく遊んでる時に「自分って生きてていいのかな…」とか考えるかって話ですよ
- occupationがすべてを変える 席が空けば闇が生まれる それがメ・メカニズム
- 無理やりでもいいから何かにoccupiedされるべき 健全な何かに
- 瞑想が有効なのは「呼吸」を利用して強制的にoccupationを生み出すからだったんですね!
- 10年前の漏れも同じようなことを言っている
将棋やおりがみ、読書といった「清らかで無為な時間消費」はやった方が結果的に得になりやすい。
[[幻日]]
- 永田さんがセルフ・ハンディキャッピングについて批判してたの、なんかすごい違和感があったんだけど、ようやく理解した。『龍と苺』を読んでたからか
- 龍と苺って、セルフ・ハンディキャッピングの愚かさを如実に描く作品でもありますからね。確かにあれ読んでたらそりゃああ言いたくなるわ
- 永田デリバリーより龍苺デリバリーのが流石にうまい、ずっと。説教臭くならずにあのメッセージを伝えられるのは脱帽

- マジでかっこいい
- 冷笑アパシー野郎の漏れですら火がついてしまうくらいカッコいいと思う。生き方があまりに地に足がついている

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